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宇宙論(13)

 映像について。僕はテレビっ子だったから(今でこそほとんど見ないけれど)、幼少期から映像を浴びるように見て育った。映画も親の影響でたくさん観た。『未知との遭遇』、『E.T』、『ゴジラ』、『ガメラ』、『ウルトラマン』、『トムとジェリー』、エトセトラ、エトセトラ。

 成人してから、とある友人との出会いによって、映画への情熱が焔の如く巻き上がり、毎日、狂ったように映画を観た。黒澤明、小津安二郎、フェリーニ、タルコフスキー、トリュフォー、ヴェンダース、スピルバーグ、ノーラン、エトセトラ、エトセトラ。

 24歳の時、入り浸っていたロックバーの店長に花見に誘われた。僕はそれに行った。そこに映像制作会社の社長がいた。社長は僕に聞いた。「今は何をしてるの?」。僕は10年間続けていたバンドも解散し、ヴィレッジ・ヴァンガードでバイトをして、映画を観て、おそらく趣味で少し映像を撮ったりしているような状態だったから、「何もしていません」と答えた。すると社長は言った。「うちにおいでよ」。そこから半年ほど考えて、僕はその会社に入社することにした。これは人生の大きな転機だった。

 その会社で僕は広告映像の制作に携わることになる。企業からの案件を受けて映像を制作する。しんどかったり楽しかったりした。最終的にその会社で僕は東京に転勤して、大手百貨店や大手自動車メーカーや大手飲料メーカーや経産省や内閣府の仕事をすることになる。大きな転機だった。

 内閣府の仕事に関しては素敵なエピソードがある。前にインスタグラムに投稿した文章を引用する。

 ◎

 内閣府の仕事。首相官邸で打ち合わせをしたりした。なんだか妙な気分ではあった。検問があり、僕のジャケットのポケットにたくさんの小銭が入っていることが分かると、警備員は妙な顔をした。僕はずぼらなのだ。病気。YouTubeで107万回再生。ありがたや。

(2024.3.14)

 ◎

 関係はあるようでないけれど、映画が撮りたいと思っている。脚本はある。昔書いた『無人駅』という処女短編小説を書き直したもの。物語は小説の時とは大きく変わっている。でも撮れなくてもいい。撮れたならより楽しそう。そういった感じのもの。

 いつ死んでもいい。そんな気持ちはいつでも変わらない。

(2024.4.25)

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