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久しぶりに家で髪を切ってもらった話。

幼少期、両親に髪を切ってもらったことがある。


父は、通勤用の定期券を駆使してとなり町の格安スーパーまで生鮮食品を買いに行くような筋金入りの節約家だ。近年、マイルを貯めることにハマっている所を見ると、もはやそういう趣味と見える。私の散髪もその一環、いや実験くらいの意図はあったのでは。そう勘ぐりたくなってくる。


父は、従業員五百人、売上高数十億円規模の企業にエンジニアとして就職した。大学では希望の研究室に入れず、働き口も教授から紹介された、理想と程遠いものだった。母曰く、子供が生まれるまでは会社を「サボる」ことも珍しくなかったとか。その話は、しばらく母の作り話だと思っていた。


というのも、順風満帆な父の姿しかみたことがないからだ。物心ついた頃には数十人規模の営業所長。「職場見学」という小学校の課題に際して少し緊張しながら、やたらと誇らしげなその表情をはっきり覚えている。その何年後には役員。そのまま社長になり、10年近い。


私には、兄が一人いる。価値観は全く異なるけれど「常識が何かを決める理由にならない」という価値観を共通してもっている。何だかんだ、僕達兄弟は一人の人間が30年近く背中で語り続ける帝王学に、今なお強く影響されている。


「髪を切りに行ってくるよ。」


言い切る前に、ダメよ、と食い気味に制された。
気持ちは分かるけど、流石に年明けまでに切らないと。そう言い切る前に、また先を越された。


「じゃあ、切ってあげる。」


うーん。悔しいけど、別に拘りがあるわけでもない。それじゃお願いします、と返すと、椅子とビニール袋を持ってきて手際よくすきばさみを入れていく。ケタケタと明らかに増している息子の笑い声。戦いに負けるバイキンマンと、髪の毛まみれの僕。一体、どちらのせいだろう。今は、顔の筋肉を動かして確認する術がない。


「どう?」


いきなり鏡をずいっとつきつけられて我にかえる。髪の毛が目に入らないように。見たいような、見たくないような気持ちと相まって、必要以上に慎重に目蓋を開いてゆく。


うん。会社で笑われる事態は何とか回避できたようだ。(そういえば、妻は手先が器用だ。)


「ドトールのカボチャのタルト、アイスのハニーカフェラテM、よろしく。」


ザーと浴室にこだまする水音をすり抜けて、確実に耳に届く断固とした要求。心の中で「はーい」と短く応答して、タオルを探す。

我が家にも帝王が一人。新春の寒空に対抗すべく、いそいそと身支度を整えていると、楽しげなオモチャの笑い声が響いてきた。つられて含み笑いしながら、暖かい陽射しの下を短い旅にでかけていく。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)