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『渋イケメンの国〜無駄にかっこいい男たち~』/カオの本棚より

偏愛の詰まった本棚からお気に入りの本を紹介する2回目。
疲れて乾き切ったココロを癒やしてくれるのは、アイドルでも俳優でもなくただのオッサンの写真集だ!という摩訶不思議な事実と共にご紹介します。

一回目はこちら↓

江國香織の次が、インド系男子ってどういう趣味の人間だよ‥?とお思いかも知れませんが、ええ、説明できません。
好きに説明はいりませんよね?

『渋イケメンの国〜無駄にかっこいい男たち~』/三井昌志/雷鳥社/2015年発行

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この写真集の被写体はインドとバングラデシュの働く男たちです。
モデルでも役者でもなく、写真家が旅をしながら出会ったただのオッサンです。
そのだれも彼もが濃くて渋いイケメン揃い。彫りの深い顔、目力、たくましい体、どれをとっても日本なら俳優クラス。
でも何よりのポイントは“無駄にかっこいい”ということなんです。

前書きからですが、恋愛がおおっぴらにできないお国柄であり、ハンサムだからと言ってさほどメリットがないんですね。

「異性にモテよう」という意識をまるで持ち合わせていなかった。自分のカッコ良さに気づいてさえいない様子だった。

と筆者は言っています。

自分のカッコ良さに無頓着で、黙々と己の仕事に打ち込む男たち。
服は破れ時に半裸で、でも日々の労働で培われた肉体の美しさ!
佇まいがもう絵になり過ぎです。男前っぷりが一枚一枚の写真から滴り落ち、それが集まりイケメンの大河となって、見ている者をイケメンの濁流に飲み込みます。
この圧倒的な感じは、彼等が体を張って生きていることに裏付けられているのでしょうか。
不自由かもしれないけどシンプルな生き方は、人にこんな美しさをもたらすのでしょうか。

働く人のカッコ良さ、という点で思い出すことがあります。
子どもの頃、町内には住居と店舗が一体になった家が多く、友だちの家が建具屋だったり旅館だったりしました。
遊びに行くと職人さんとか板前さんに会うわけです。
家の隣が会計事務所で、スーツ姿のおじさんが出入りするのも目にしましたが、自分が親しみをおぼえたのは圧倒的に職人さんたちの方でした。
スーツのおじさんは節度ある紳士という感じでしたが、職人のおじさんたちは、ちょっと自分たち寄り、子どもの高さまで目線を下げて付き合ってくれるようなところがあって、そこが嬉しかったのかも知れません。
ダイナマイトで手が吹っ飛んでしまったおじさんがいて、なんの仕事か不明なんですが、広い駐車場があってそこに犬がいるので見に行ったりしてました。おじさんはフック船長みたいな鉤爪の義手を装着していました。
子ども心に興味津々で、怖いけどなんかスゴイという畏敬の念がありました。鉤爪のおじさんはおじさんで、子どもが怖がるといけないと義手を見せないように気を使ってるんですね。でもたまに、鉤爪で器用に物を扱うところを披露してくれたりして。自分も含め子ども達は「おお!」ってなります。おじさんもまんざらではない感じ。
生活の中に仕事場があることで、おじさんたちの働く姿に馴染んで育ちました。彼等の纏っていた雰囲気を、インドのイケメンは思い出させます。
イケメン達の笑顔はカラリとしつつ堂々としています。おじさんたちの笑顔は、業務用の笑顔でなく喜怒哀楽からの笑みだったと思うんです。
やや気分屋でありながら根は優しく素朴だった近所のおじさんと、黙々と働いて屈託のない笑顔を見せる異国のおじさんたちが重なります。
顔の系統は、全く違いますが。


年を取ることをともするとマイナスに考えがちですが、年を取らないと得られないものもあると思います。
この写真すごく好きなんですよね。一服する後ろ姿にさえ詩情が漂います。

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年を取るほど渋みと奥行きを増す‥。まさにいぶし銀!
老いることを恐れない、外見にとらわれない。その姿勢がイケメンをイケメンたらしめているのかも知れません。
どこまでも深い魅力に満ちた渋イケメンたち。

魅力を解く鍵は、

おそらく「何の役にも立たない」というのが重要なポイントなのだと思う。どのような人間的属性もすぐお金に換算されてしまうような計算高いこの世界にあって、使い道のない無駄なカッコ良さほど贅沢なものはないからだ。

と、こんなとこにあると思います。

評価意味ランクから逃れられない我々の生活の中で、イケメンは消費されるものになって久しいのに彼等はどこふく風。
このイケメンの源泉掛け流しっぷりに、今日も癒されています。


引用:写真・色がけ部分 「渋イケメンの国〜無駄にかっこいい男たち〜」三井昌志より

読んでくれてありがとうございます。