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セージの耳打ち

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声高に叫ぶのがはばかられるヨタ話を厳選してあなたの耳元でささやきます。
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記事一覧

セージの耳打ち#261 ここらでちょっと小休止

毎日更新を続けてついに260回に到達した「セージの耳打ち」ですが、新企画の「ぬまずみ」に集…

セージの耳打ち#260 CMスポンサーの受難時代

CMキャラクターに著名人を起用する場合、スポンサー企業が気にするのは「スキャンダルの発覚」…

セージの耳打ち#259 メンタルはどこまで弱体化?

このあいだ、とある人気イラストレーターの旅エッセイを読みました。 ブックレビューで「頼ま…

セージの耳打ち#258 子どもって変なものを欲しがる

子どもの頃、クラスで変なものが流行ったことってありませんでした? いや、大人になった今だ…

セージの耳打ち#257 パソコンの重さで感じる時代の流れ

このあいだ、ノートパソコンを持って歩きながらふと思ったんです。 「そーいや昔のパソコンっ…

セージの耳打ち#256 だから私は「歩く」のです

私は自動車が好きではない。 ぶっちゃけて言うなら「嫌い」なんです。 だから極力「歩く」よう…

セージの耳打ち#255 「幸せ者」と「そうでない者」の違い

「運の総量は誰でも一緒」と、欽ちゃんこと萩本欽一さんは言っているそうです。 私もそれは同感で、「運不運の個人差はそんなにない」と思っています。 「運の良い人」というのは正確には「自分は運が良いと思い込める人」なんです。 だから「運の悪い人」だって「自分は幸運の持ち主なんだ」と思い込めるようになれば、目の前の色は大きく変わるはず。 私は完全なる前者で、周囲にあるものを「ラッキーアイテム」だと信じられる特技があります。 対して周囲は後者が多く、そういう人は、私が自分のラッキー

セージの耳打ち#254 「ホメる仕事」はしたくない

メディアの世界には「これをホメてください」と頼まれる仕事があります。 私的に試してみて「…

セージの耳打ち#253 「ゲンかつぎ」と私

「ゲンかつぎ」というのをする人は少なくありません。 私もそのひとりで、じつは今現在も、過…

セージの耳打ち#252 風水は「無理なくできること」のみ取り入れる

「風水」というやつが一般化したのはいつ頃でしたっけ? 私はスピリチュアル系の人ではないの…

セージの耳打ち#251 自分のできること=他人もできること、ではない

イケイケ状態の人間にありがちなのが「自分のできること=他人もできること」と考えてしまう行…

セージの耳打ち#250 本気で信じておりました

幼少期から私は「興味あることはトコトン調べ上げる」けれども「たいして興味ないことだとあま…

セージの耳打ち#249 ずっと「東京」を探しています

脱東京をした人間の言葉とは思えないかもしれませんが、私は「東京」が大好きです。 と言って…

セージの耳打ち#248 「諦める」ということを卑下するなかれ

人生とは「諦める」ということの繰り返しであると思います。 何も諦めることなく人生を全うできた人なんて、たぶんいないでしょう。 「諦める」という選択をする際に卑屈になる人がいますが、いやいや、そんな必要は全然ないんですよ。 「諦」という字を分解してみてください。 「帝(みかど)の言(げん)」になるでしょう? つまり、「諦める」というのは高貴な選択であるわけです。 卑屈になる必要なんて全くなし! これからは皆さんも堂々と胸を張って「諦める」ようにしてくださいね。 ・・・ま