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【エッセイ】岩槻②─岩槻城と桜ファイナル─『佐竹健のYouTube奮闘記(66)』

 岩槻城へ着いた。

 岩槻城の跡地は公園になっていて、あちらこちらに桜の木が植えられている。だが、桜の枝には青葉が生えていて、散った花びらは宙を舞って地面の下を白く染め上げている。ものによっては散っていたものもあった。

(もう、桜も終わりか)

 そう考えると、少し切なくなってくる。いつもならもう少し長いが、今年は桜梅雨と言わんばかりに花の盛りに雨が降ったせいなのか、見られる期間がとても短かった。

(まあ、葉桜も葉桜で悪くない、か)

 葉桜は葉桜の良さがある。特にソメイヨシノは葉っぱが出ると散るのだが、その落ちた花びらが雪化粧をしたかのように白く染まる様は、とても趣がある。また、水場にある場合は、散った桜の花びらが水面に落ちて漂うさまが、何とも風流でいい。

 右側に目をやると、そこには小さな滝があった。滝の水は小さな川を作っている。

(花筏の行く先が気になるから、行ってみようか)

 花筏が流れに乗って行き着く先に何があるのか気になった私は、あとをたどってみた。

 川と花筏の行き着く先には、池があった。

 池には風で飛ばされて行き場を失った花筏が溜まっている。真ん中には、蓮だかジュンサイだかわからない沼地に生えている植物の丸い葉が顔を覗かせている。

 池の対岸へと渡れる橋があった。橋はコンクリート製で、欄干には朱いペンキが塗られていた。

 橋を渡る。

 橋の真ん中からは、周りに咲く散りかけの桜がよく見えた。散りかけ、といっても、こちらの桜はまだ花びらを留めていた。同じソメイヨシノでも、早生と晩生があるらしい。


 公園のメインとなっている、桜がたくさん咲いているところを離れると、本格的な城跡が出迎えてくれた。

 草木に埋もれた堀、小高くなった土塁。かすかではあるが、どれも当時ここに城跡があったという事実を物語っている。

 新曲輪方面へと行くときの道には、大きな空堀があった。

 大きな空堀には降りられる階段があって、その下は道になっている。

 空堀の下の道は、周辺に生えている木々のおかげで陰になっていて、梢や葉っぱの隙間から入ってくる木漏れ日が気持ちよさそうだ。

(やっぱり城跡といえば、こういうのがいいのよね)

 整備されている城跡は、それはそれでとても見栄えがいいが、草木が生えているのもまた、時を感じられていい。


裏門
黒門

 新曲輪から歩いた先に岩槻城の門があった。

 門は、小さな門で、屋根と扉がついた質素な造りのものだった。鉄砲の弾は防げそうにないが、矢を防いだり、軍勢を寄せ付けたりしないという意味では、調度いい造りの門であった。

 この門は、裏門と呼ばれている。どこにあったかはハッキリわかっていない。だが、ハッキリわかっているのは、岩槻城にあったということだろう。それも「裏門」とわざわざ呼んでいるところやあまり攻撃を防げそうにない造りからして、裏口のような場所にあったことは確かだろう。

 裏門がある場所から道路を挟んだ先に、黒い木の壁が特徴的な門が見えてきた。こちらの門は、鉄砲や人海戦術での突破に耐えられそうな堅牢な造りとなっていた。

 この門は、黒門と呼ばれている。こちらも位置はハッキリわかっていないが、三の丸にあったと推測されている。また、埼玉県庁の門としても使われていたこともあったらしい。

 この二つの門以外に復元移築された建物は無かった。


 城の建物の中で、一番よく残っているのが門だ。土浦城の本丸へと通じている門、高崎城の乾門、江戸城の大手門や平川門、桔梗門。復元されたものや移築されたものも含めると存外多い。

 門の場合は、どこかに移築されていることが多いから、わりと残りやすいのだろう。

 反対に一番残っていない建物が、本丸や二の丸の御殿や庭である。こちらは廃藩置県のときに破壊されたり、第二次世界大戦での空襲で焼け落ちたりしたので、全容がイマイチよくわかっていない。現存しているものとしては、有名なものだと、川越城と京都の二条城ぐらいではなかろうか。庭という意味では、彦根城の庭園もある。

 ただ、江戸城ほどの城になると話は別で、図面が残っているので、ここに松の廊下があって、あそこに黒書院があって、奥の方に大奥があったみたいに詳細がわかる。

 天守閣といった櫓に関しては、復元されたものが多い。こちらも本丸や二の丸と同じ理由で残っていない。現存しているものといえば、江戸城の富士見櫓や犬山城の天守閣ぐらいではなかろうか。ちなみに名古屋城と大阪城、会津若松城の天守閣は、コンクリートで復元されたものである。

 岩槻城には天守閣は無かった。天守閣が無い城には、代わりの役割を果たしていた櫓があったので、それが城のどこかにあったと考えられる。詳細な位置についてはよくわからないが。個人的には本丸辺りにあったのではないかと推測している。江戸城の富士見櫓も、川越城の富士見櫓(現存していない)も本丸にあったからだ。


桜ファイル

(さて、門を見たことだし、駅へと向かいますか)

 私は駅へと向かおうとした。そのとき、まだ満開の名残を残した散りかけの桜を見つけた。

「お、桜ファイナル」

 岩槻城の桜はほとんど散っているか、もしくは散り始めていた。だが、この桜は満開の時の美しさをよりよく残している。

「いいねぇ」

 私はポケットからスマホを取り出し、写真を撮った。

 この後は諏方神社へと通じている小径を抜け、再び裏小路へと戻った。裏小路に戻ったあとは、近くにあった岩槻藩の藩校遷喬館を見て駅へと戻った。


 岩槻を巡った感想としては、埼玉には昔のものが残っていると感じた。特に東京から離れているある程度離れた場所には。やはり昔のものというものは、中心ではなく周縁に残るものなのだろうか。

 そして今年の桜の散り際もきれいだった。


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