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【私小説】私の進路と死②─鎌倉─

 12月の初めのある日の早朝。地図を持って、私は旅に出た。あてのない旅に。

 計画としてはこうだ。

 まず、誰にも何も言わないで家を出る。三浦くんにも、多田くんにも。もちろん、あの母親は論外だ。もし誰かに言い出したら、強引に引き止めようとしてくるかもしれないからだ。

 とりあえず海の方へ出よう。そう思ったので、藤沢経由で鎌倉をめぐって横浜を経由して東京へ出ようと思った。埼玉、千葉方面どちらに行くかは東京に着いてから考えよう。

 親の寝ている間にこんなことを考えていた。計画がいつ露見するか考えると怖いから、メモの類は持ち帰る必要のない家庭科や技術、音楽の教科書に挟んでおいてある。

 決行の前日にそれを持ち帰り、シュレッターにかけて処分した。嘔吐物を処理するときに使う黒いビニール袋に入れて。

「冷たっ!」

 冬の初めということもあってか、吹き付ける寒風が冷たい。凍え死んでしまいそう。

 でも、もう決めたんだ。死ぬ前にやることをやって死ぬんだと。もう、生きていてもろくなことはない。生きてこれから送る人生なんかに比べたら、こんな寒風なんて、まだ暖かい。

 そう自分に言い聞かせながら、私は薄暗く寒い早朝の田舎道を自転車で駆けていった。


 藤沢へと入った。

 冷たい潮風に吹かれ、寄せては返すさざ波の音。聴いているだけでも、心が癒される。

 海側に江ノ島が見えてきた。ついに長い旅が始まった気がして、ペダルを漕ぐスピードがぐんぐん上がってゆく。足取りもいつもより軽いせいか、すいすいと進んでゆく。途中にあった鎌倉の大仏がある高徳院や由比ヶ浜に立ちよりながら。


 昼くらいに鎌倉駅近くの駐輪場に自転車を停め、段になった参道をたどって鶴岡八幡宮まで歩いた。

「あれが、鶴岡八幡宮か」

 鳥居をくぐり、屋台が並ぶ参道の先にあったのは、丹が塗られ、金の装飾で彩られた優美な門だった。その左下には大きな木の切り株がある。

 鶴岡八幡宮の門は、教科書や写真集、旅行番組でしか見たことがない。同じ県には住んでいるけど、なかなかこうした場所には足を踏み入れる経験はして来なかったものだから。

 ちょっとした感動にひたり、門を眺めていたときに、

「歴史に興味があるんですか?」

 神社の関係者と思しき人物に声をかけられた。その人は、白い着物に水色の袴を履いている。

「ま、まあ」

「銀杏の切り株あるでしょ?」

「うん」

「あの銀杏には源頼家の遺児であった公暁(くぎょう)が、叔父である鎌倉幕府三代将軍実朝を暗殺する際に隠れていた言い伝えがあるんですよ」

「なるほど……」

(源頼家、公暁、鎌倉幕府……。あと誰だっけ?)

 情報量が多くてよくわからない伝承の話を、必死で聞き取っていた。歴史のテストはいつも30点の私には、はっきり言って何がなんだかさっぱりわからない。

「源頼家は鎌倉幕府の二代将軍。その息子が公暁」

「ふむふむ」

 神社の人の話を聞きながら、私は大銀杏にまつわる話を日誌代わりのノートにメモをした。

「やっぱり勉強少しでもしておいた方がよかったかな……」

「私も頭が良かったらな……」

 このとき私は、自分の怠惰さと頭の悪さを呪った。もっと勉強しておけば、もっと頭がよかったら、風景以外にもいろいろ楽しめたのだろう。でも、もうやりたいことをやって、あとは死ぬだけの人間には、勉強も頭の悪さもどうでもいいのだけど。

 カメラを手に写真を撮り、お参りを済ませたあと、自転車を回収しに駅の駐輪場へと戻った。


 次はどこへ行こうかな。

 地図を開いて、私は次の目的地をどこにしようか考えた。

(腹切りやぐらでも行ってみようかな)

「腹切りやぐら」

 この心霊スポットの名前を、私は何度かブックオフに売られていた心霊関係のムック本で目にしたことがある。子細は覚えていないけど、合戦で負けた落武者の霊が出るとか何とか言われていて、地元民から恐れられていると聞いている。近いし、怖いもの見たさで行ってみるか。

「よいしょ」

 自転車にまたがり、私は腹切りやぐらを目指すことにした。

 腹切りやぐらは、鶴岡八幡宮から東へ走ってすぐの場所にあった。

 山道の前に自転車を停め、私は腹切りやぐらのある場所へと向かった。

 開けた場所の断崖に供養塔のようなものが見えてきた。心霊関係のムックで何度も見たそれだった。

 供養塔の前には花が供えられている。地元の人たちから大切に扱われているのだろう。

(それにしても、静かな場所だな……)

 真上からは初冬の穏やかな日射しが降り注ぎ、周りにある森からは小鳥の鳴き声が漏れ聞こえてくる。心霊スポットと聞いていなかったら、普通に癒しスポットとして長居できる。

(こんな場所で最期を迎えるのもいいかもな……)

 そんな考えが頭をよぎる。静かな場所で一人逝けたなら、どれだけ幸せだろうか。

(いかんいかん。私はやりたいことをやるために今旅をしてる。死ぬのは東京に着いてからだ)

 ふいに湧いてきた希死念慮を振り切り、私は供養塔の前で手を合わせた。

 本に書かれていたように禍々しい感じがする場所ではなかった。ゆったりとした時間の流れている空間。一言で言うならこれがピッタリな場所だった。


 藤沢を目指し、自転車を漕いでいた。

(まだまだ時間もあるし、どこかに寄っていこうかな)

 夜まで少しは時間があるから、どこかへ寄ろう。県道を走りながら、そう考えた。

 建長寺の塀の前に自転車を停めた。背負っていたリュックから地図を取り出して、近くに何かあるかどうか見た。

「円覚寺と明月院か」

 さて、どちらへ行こうか考えてみる。

 距離的には明月院の方が近い。でも、駐輪場とか藤沢へ向かう距離を考えると、北鎌倉駅の近くにある円覚寺の方が好都合だ。

「円覚寺にしようか。駐輪場も近いし」

 円覚寺へ向けて、私は自転車を漕いだ。

 北鎌倉駅の近くにあった駐輪場に自転車を停め、円覚寺へ向かって歩いた。

 円覚寺の前は鉄道が走っている。しかも、庭を横断するかのように線路が引かれているのが面白い。

(ここらで鉄道写真を撮ったら面白いだろうな)

 時期は過ぎたけれど、円覚寺の紅葉をバックに鉄道が走っていたら、さぞ絵になることだろう。あと、池が鉄道の影を映している感じになるのもまた一興かもしれない。

 そんなことを考えながら、踏み切りを渡り、脇に散る紅葉のある石段を登った。


 古刹円覚寺の中は、大観光寺院の乱立している地帯とは思えないほど静かだった。聞こえるのは向こう側にある山にいる鳥の鳴き声のみ。

 庭を眺めているときは、特に落ち着いた気持ちになれた。

 散って池へと落ちていく紅葉や池にある石がいくつかを数えていると、今まで考えていた先のことがどうでもよく思えてくる。

(やっぱり、先のことをあれこれ考えて不安になってたのがバカみたいに感じてきた)

 正直、バカらしい。先のことを考えても、怖くて不安で仕方ない。特に運動も勉強もできなくて、手先も不器用でコミュ障な私には。少しでも人に誇れるような何かが一つでもあれば、また違った人生になったのだろうが。

(見えない力に身を任せて生きるのも悪くはないかも)

 人間も池の目の前にある紅葉の葉のように、いずれは朽ちていく。朽ちていくとわかっていながらも、人間はこれからのことを考えては苦しむ。中には恐怖に耐えられなくて、何かに依存したり、心が壊れてしまったりする人間もいる。

 それだったら、目の前のことを楽しむためだけに生きた方が、遥かにいい。始まったばかりの私の旅は、これからのことを忘れるためにもあるものなのだから。

「ここでぼーっとしていてもきりがないから、次めぐろうか」

 私は座っていた椅子から立ち上がり、円覚寺の奥の方へと向かった。


 円覚寺を出たあと、藤沢駅の近くにある安い定食屋で夕食を食べた。そして、ネットカフェで一夜を明かした。次の目的地を調べたり、漫画本を読んだりしながら。


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