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「恩を感じないのか」という親はきっと異常で異質で不気味

 先日友人と話題になった、"親孝行とはなんだ?”について
 友人とこの話題になった経緯は、友人の親・私の祖母が、自分の子に「これだけのことをしてあげたのだから恩を感じるべきだ」と言っていたことから始まった。



 私はシングルファザーで育った。
私が5歳の頃に母が他界した。父1人で子ども達を育てるのは難しかったため、祖父母が遠方から来て私達孫の世話をしてくれた。実質私達の子育てをしていたのは祖父母だった。祖父母が同居してくれたおかげで父は仕事に熱中でき、今では管理職になっている。祖父母にとっては定年後に再びきた子育て。それは肉体的にも精神的にも本当に大変だったと思う。色々と犠牲にしたものもあっただろう。父と祖父母のおかげで、私の幼少期は衣食住揃った生活ができた。そのことには感謝している。

 しかし、“あなたは私に恩を感じるべきだ”という言葉に対しては同意できない。恩は着るものであって、決して他人に着せるものではない。“恩着せがましい”ってやつだ。
”恩を感じるかどうか”は相手が決める事だ。父が祖母に向けて感じるか感じないかであり、祖母自身が決めることではない。 
 祖母は父に対し、「今あなたが仕事でいい給料を貰えているのは、私があなたの子の面倒を見てあげたおかげ。だから自分の介護も金銭的な援助も私にするのは当然のこと」らしい。
 親になった今ならわかる。私の祖母は異常だ。

 きっと“自分の息子の妻が亡くなったから孫の世話の協力をする”行為が祖母にとっては、自分の本心の良心から選択した行動ではなかったのだろう。
少しはあったのかもしれないが、世間体を気にしたのだろう。
だから後悔や愚痴が日常的に溢れていたのだろう。
私も決して物分りの良い物静かな可愛い孫ではなかった。祖母に対して反抗的な態度を度々とっていた。さぞかし私は可愛げのない孫だっただろう。
 だが子を育てる上で、自分のイメージした通りに物事が運ぶことなどないし、子が何を選択しどんな人生を歩んでいくかなんて最もコントロールできないことだ。そんなこと、子育てを普通にしていたら気がつくだろう。
 「毒を撒き散らすぐらいなら私の人生に関わらないでほしかった」が私の正直な気持ちだ。
祖母と暮らした日々は窮屈で苦しく、自己の確立の妨げになり自信を消失させられていたと、今ではそう思う。

 「孫の中に一人ぐらい芸能人になる子がいるかと思ってたのに…」祖母は真面目な顔で言っていた。


 友人との会話から、私は子どもに対して何を求めているのだろうか?親孝行ってなんだろうか?と考えるきっかけになった。
 娘が産まれてから、自分の人生を客観的に振り返る機会がとても多くなった。過去の自分の感情に名前をつけることができたり、親の行動の心理を考えるようになった。
 きっと子を育てているつもりが、自分も成長させてもらっているのだろう。年齢を重ねていく際の楽しみの一つだ。


せっかく親孝行とは?について考える機会があったので、夫婦で私達が考える我が子に求める親孝行について話合ってみた。
我が家では下記の二つに落ち着いた。

親孝行とは? 私達が我が子に求めるものは?
1.三歳までのめちゃくちゃ可愛い時期を共に過ごす
2.親の死に水を取る

 1.三歳までのめちゃくちゃ可愛い時期を共に過ごす
 三歳までの子どもって純粋無垢であり、どうしようもないぐらい可愛い。(勿論、腹立つ時も多々あるが)
自分の子が世界で一番と錯覚してしまうぐらい本能的に可愛い。この貴重な時期を親の私達と時間を共有してくれて、色んな姿を見せてくれることは正しく親孝行だろう。
(この可愛くてしかたない時期が終わった後こそ、親として大人として人として、子とどう関わるべきか。新たな試練が始まる予感はしている)

 2.親の死に水を取る
 つまり、私達を先に死なせてほしい。君の死に顔を親の私達が見ることがないようであってほしいという願い。
 看護師をしていると、50~60代の子どもが、親より先に亡くなることはザラにみかける。生き死にがコントロールできないことだと分かってはいるが、自分が死ぬ時に子が近くで見守っていたのならば、それは親孝行者な子だときっと思うだろう。
 決して私達親の世話(介護)を身を粉にしてやって欲しいのではなく、死ぬその時近くにいてくれのなら、とても嬉しいと思う。
 看護師をしていて、お子さんやお孫さんに囲まれてお亡くなりになる方をみて、こんな風に逝けたら私は幸せだなとよく思った。
自分にどんな死が訪れるかなんて分からないけどね。

 親孝行を考えるにあたり、子どもは自分がコントロールできるものではないと常々感じる。
 自分も親にコントロールされたくないと強く感じて過ごしていたし、実際できないしさせないだろう。
 娘の自我の強さを見てDNAを意識してしまう。橘玲さんの書かれた「言ってはいけないー残酷すぎる真実」を読んだ影響もあると思うが笑
自分の自我の強さがそのまま娘に表れている。
私の祖母はとっても頑固者。父も。そして私も。きっと娘も。

 私は「親ガチャ外れた」と将来子どもに言われても仕方がないと思ってる。
母親とは。愛情とは。がよく分からない人間が母親業をやっているから。
 娘は私よりよっぽど人間的でユーモアで、色々な人に好かれるような人間にきっとなるだろう。
 私が娘に対してムッとしてしまった時、娘は可愛く歌を歌ったりと私を笑かそうとしてくる。その度に、人徳の差のようなものを感じるのだ。まだ生まれて2年しか経っていない娘の方が私よりずっとできた人間だと感じる。



 娘にとって私が、毒を撒き散らす存在にならないように

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