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「愛を失った」というのは、愛し合っていなかったということです。

「相手の望むことを想像している」ならば、愛は終わらない。

「全てを許す」ならば、永遠に別れはない。

究極の恋愛・結婚での到達点です。

本当に愛している時には、「何があっても・・・別れない」という境地に到達します。

つまり、どんなに相手に非があろうとも、全て許せるのです。

もし、自分に非があれば、心底、許されるまで謝罪をするでしょう。

相手の欠点や過ちを許せないというのは、結局は自分のことしか考えてないからです。

自分の短所や罪を深く反省出来ないならば、身勝手な利己主義で凝り固まっているからです。

「愛」には、厳密に言うと4段階があります。

①恋から愛へ変わる時
 ワクワク(恋)から利他的な愛に気づく

②愛を確かめ合う時
 相手も同じように愛を感じている

③愛を深める時
 お互いの人生を楽しみ、あらゆるお互いの困難・苦難も受け入れられる

④愛を悟る時
 愛とは「全てを許す」ことだと覚醒する

どの段階も愛ですから、どの段階だから不足している、不足していないといった意識とは無関係です。

極論は、愛を知らなくても、別に生きることに支障はないでしょう。

ただ一度の人生を、真に豊かな心で過ごすには、愛が必要になるということです。

この意味は、経験的に愛に辿り着いてない人には、いくら理屈や解釈を聞いても生涯理解出来ません。

しかし、繰り返しますが、愛が分からなくても人生は困りません。

むしろ、気軽に生きていけるかも知れません。

人生100年です、深い生き方をするには充分な時間があります。

むしろ、人生哲学的な意味において、寿命50年の時代より、充実した人生を目指せる時代と言えます。

男性なら働いて稼げるまで、女性なら閉経までが、大体50年(昭和の寿命)でした。

それから残りの人生が50年あるのですから、「肉体的な充実」よりも、「精神的な充実」を求めなくては、より深く長く人生を楽しめないといえます。

ビシネスでどんなに成功しても、何百億の金を稼いでも、投資で億り人になっても、愛とは無関係です。

下世話な話ですが、「どんな女(男)でも抱ける」「何でも手に入る」と喜んでいるのは、ますます愛から遠ざかることになります。

手段に過ぎない「金儲け」が人生の目的になれば、ただただ自分(人生や愛)を見失うことになるからです。

世の中で唯一、愛だけが、全ての人に与えられた、人生で最も尊いものなのです。

格差も支配も、全く無関係ありません。

そもそも、人生の目的はないのです。

目的があると考えると、肉体的に衰えた老後は惨なものになるでしょう。

ただ生きていることを「尊い」と考える。

それが「今を生きる」ということです。

もし、あなたが100年人生をより充実させたいならば・・・

2人のかけがえの無い人生を共に歩き、相手の幸福を望みながら、愛を深めてゆけば、

人としての成長を実感しつつ、人生の最期を迎えられるはずです。

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