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2020年3月福島取材㉓/消えた子供たち

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長命山正福寺の脇を抜け、まどか保育園へ。ここは、17年にきた時は、感度の悪いエアーカウンターSでも毎時4.06μSvに達した場所。あの時はその数値に息を呑んだものだが、昨日毎時6.41μSvを経験したばかりなので、それほどの怖さはなかった。慣れとはこういうものか。

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(簡単に3μSv/hを超えた)

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前回来た時とほぼ変わらない風景のまどか保育園。園庭も園舎も震災直後の姿をそのまま留めている。

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(時計は2:46で止まっている)

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(園内はほとんどのエリアで毎時2.0μSvを超える)

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猪が掘り返した場所も、17年11月に訪れた時と変わらない。

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あの時よりはカメラも格段に良くなり、僕自身の経験値も増した。ただ夢中でシャッターを切る。マスクはいつの間にかうざいと思ってはずしてしまった。

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園庭で前回毎時4.06μSvを記録した場所は大体覚えていた。同じ場所に立ち、手元の線量計を見る。常に毎時1.5〜3.0μSvは示していたが、ここで一気に数値が上がり、毎時3.80μSvに達した。前回来た時から2年と4ヶ月、少しは線量が下がったが、それでも高い値をキープしたままだった。

先日、東京新聞の記者さんとも話したが、この場所の線量の高さは異常だと話していた。もちろん、帰還困難区域にはもっと高いところもあるのだが、双葉駅周辺のエリアでは、このように非常に線量が高いホットスポットが数カ所点在している。

いくら私有地とはいえ、「特定復興再生拠点区域」として、何故ここまで立入規制を緩和したのだろう? 確かに福島県内の避難指示解除基準は毎時3.8μSvだが、「毎時0.23μSvを目指す」ことにはなっている。にも関わらず、私有地の除染はほとんど行われずに、スケジュールありきで立入規制は緩和されてしまった。

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(職員室もこの有様。大地震が起き、何もかもそのまま、着の身着のままで避難したことがわかる)

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(ただ、息を呑むばかりだ)

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(日常の保育園から、子供たちが神隠しにあったような、そんな光景にさえ見えた)

かつて野田内閣で環境大臣だった細野豪志は、双葉町民に対し、「採算度外視で除染をやり抜く」と約束した。しかし実際は、線路と駅前、駅前の公道のみ形だけの除染が行われただけだった。そして本人は、何食わぬ顔で常磐線全通セレモニーに呼ばれてないのに突然現れ、白々しく双葉町民とともに記念撮影をしている。

SNSでは帰還困難区域ゲートと常磐線を同じフレームで撮影し掲載した朝日新聞に噛みつき、自分は福島に寄り添うと言いながら汚染水の福島近海での放出を目論んでYouTuberデビュー。

「クズ」とは誰のための言葉だろうか。

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『幼児の美しい心

 すこやかなからだ

 ゆたかな夢をそだてる

 それは双葉保育園のねがいです』

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犬がいるのかと思って一瞬焦った。考えてみればそんなはずはないのだが。

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浜通りの空は青い。広く、空気が澄み、抜けるような美しい空の下、地震で傾いた寺と子供たちが消え去った保育園は、9年間ここに佇んで来た。原発事故の記憶を刻んで。

放射能で汚染され、自然に任せて朽ちていきつつあったこの場所が、今また「復興」の名の下、人の手で解体されようとしている。

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いたたまれない思いを抱えて、その場を離れた。

<続く>


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