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2020年6月福島取材⑨/あくまでも帰還困難区域

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県道251号を西へ向かい常磐道をくぐり抜け、2つ目の道を左折、大野幼稚園手前の諏訪神社を目指す。

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(空気は澄んで美しい。それだけに…)

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(広い空、美しい山々)

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抜けるような青空の下、歩を進めると、黒いフレコンバッグが見えてきた。この日は日曜日だが、建設作業員が仕事をしている。諏訪神社周辺は綺麗に除染されていた。

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グーグルマップで見る鬱蒼とした様子とは全く異なり、とても明るい雰囲気だった。周囲の木のほとんどが除染のために伐採されてしまったようだ。

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(社殿はそのままのようだが)

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神社を写真に収め、手を合わせる。少し作業員の視線が気になるが、実際に声をかけられることはほぼない。何枚も写真を撮りながら、奇妙な違和感を感じる。

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周囲を更地に囲まれ、木も伐採され。神社の脇に立つ「忠魂碑」に祀られている人たちは、どのような思いでこの風景を眺めているのだろう。

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(「不審な人」です、ハイ。)

そこから少し歩き、大野幼稚園手前に大きな広場があった。最初はここが幼稚園の園庭かと思ったが、どうやら違うようだ。朝礼台が立っているし、遊具もあるし、体育館もあるが… ここはかつて小学校があったのではないか。

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小学校が廃校になり、校舎を解体した後、公園として利用していたのかもしれない。体育館の中が見たいと思ったが、諏訪神社で働く作業員の視線が少し気になり、ここはスルーした。

かつてはここで子供達がたくさん駆け回っていただろうに、おそらくもうここに子供の姿が戻ることはないだろう。

その後、思ったよりも綺麗な大野幼稚園へ。

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浪江で見た幼稚園などと違い、ここは鉄筋コンクリートだ。震災前、大熊町は全国でもトップ10に入るほどの裕福な町だったが、そういうところの違いが出てるのだと思う。

…ここは幼稚園の裏側か。正面の園庭には、厳重に施錠がしてあり入ることは出来ない。中を覗くと、これまで見てきたところと同じで、震災当時のままだった。

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(毛布が痛々しい。)

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強化ガラスを使っているのか、人や動物に荒らされることもなく本当に当時のまま。職員室の中もそのままだ。言いようのない感情に襲われつつひたすらシャッターを切る。ここに通っていた子供らは今どこにいるのだろう。

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すぐ側を走る県道35号線からは綺麗な大熊の山並みが見える。

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快晴に恵まれ壮観な眺めを見つつ、震災当時のまま荒れ果てた大野幼稚園の園庭を見渡す。いや、鬱蒼と雑草や木が生い茂り、見渡すことは出来ない。ただただ寂しい光景を目に刻む。

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(正門)

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(園庭も当時のまま)

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首都圏に住む人々の一体どれだけの人が、今もここに震災直後のままの風景があると知っているだろう。

2020年9月20日、双葉町に原子力災害伝承館が誕生した。初日にそこを訪れた高校生は、「今も放射能を取り除く仕事が続いていると思わなかった」とニュースで語っていた。演出された「復興」ばかり伝え、負の側面を伝えるだけで「デマ」「福島差別」とプロの記者まで吊るし上げる連中は、こういった声をどう受け止めるのだろう。

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(近くの小さな公園)

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大野幼稚園を離れ少し歩いて休憩していると、一台の車がゴミ捨て場の前に止まった。車から一人の女性が降りてくると、トランクからたくさんの荷物を取り出し、捨て始めた。かつてこの周辺に住んでいた人だろうか。解体前に自宅を片付けているのだろうか。どんな思いで、たくさんの荷物を捨てているのだろう…そんなことを思いながら、こんなところを歩いていると驚かれると思い、すっと身を隠した。

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(県道35号。山麓線と呼ばれる。)

県道35号に出て、熊川を目指す。山麓線が一部区間で車だけでなくバイクも通行可になったのは知ってたが、ここはどうなのかわからない。ここは帰還困難区域なのか、特定復興再生拠点区域なのか、判別のつかないまま県道を歩く。空間線量は1μSv/h弱と言ったところで、少し高めだが、さほどではない。

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5分に1台くらいのペースで車が通りがかるが、こんなところを歩いている僕の姿を誰もが不審に思うことだろう。最初は僕自身も少しは気にしていたが、今はもう気にならない。声をかけられれば、「絵描きです」と正直に答えるまでだ。

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熊川にかかる橋が見えてきた。「ここまで帰還困難区域」と書かれている。ふと、ああここは「帰還困難区域の中の特定復興再生拠点区域」なのだと気付く。マスコミも政府も「避難指示解除」と盛んにアピールするが、あくまでも「立入規制が緩和された帰還困難区域」=「特定復興再生拠点区域」なのだと思う。そう考えれば、伝承館が出来ただの何だのと言いながら未成年者をこのエリアに入域させるのはどうなのか。どうにもおかしな感覚に囚われる。

色も臭いもないが、確かにここは汚染されていて、でも僕は丸腰でここを歩いている。二十歳に満たない少年が双葉を訪れて町なかを見ていくのを、ぜひ現場を知ってくれと思い背中を押す…僕は何をしているのだろう? 僕のやってることは正しいのか…答えは出ない。

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美しい熊川の清流を写真に収め、少し引き返してから常磐道へ向かう。常磐道の下をくぐって、再び町なかへ戻り引き返そうと考えた。

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常磐道大熊IC近くに森がある。ログハウス風の廃墟と重機が放置されている。

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ここは線量が高そうだと思い手元のガイガーフクシマに目をやると、案の定数値は上昇、高い場所では2μSv/hを超えた。見慣れた数字とはいえ、どうしても冷や汗が出る。マスクをしながら、かつてここに住んでた人はどんな気持ちだろう、といつもの感情が湧き上がってきた。

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(木から放射線が降り注ぐと考えればいいだろう。)

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(大熊インターが見える。)

大川原地区に復興住宅が整備され、そこで生活し始めたと言っても、かつて住んでいた浜通り特有の大きな家とは似ても似つかぬ小さな復興住宅。かたやすぐ近くには「東電ヒルズ」と呼ばれる復興住宅よりも大きな社宅が並ぶ。どんな思いでそこで暮らしているのだろう。800人が暮らすという大熊町だが、そのうち600人は東電関係者だ。「復興」の第一歩を踏み出したとはいえ、そればかりをアピールされることに戸惑いはないのだろうか。

様々な感情に蓋をして生活してるのかもしれない。僕みたいにたまにきてフラフラと町なかを歩くだけの人間に、とやかくは言われたくないだろう。そう思いながらも、黙っていていいわけないだろうという感情がもたげる。答えは出ない。

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<続く>



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