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【世界考察4】少子化の本質〜オールウェイズ同じ味を提供?〜/統計と論理と直感/AI神様の限界

●少子化の理由

少子化の理由。

賃金が低い。金がない。支援がない。暇がない。男が育児しない。男の価値観がアップデートされない。ジェンダー平等。女の負担がでかい。女の我儘。自由の代償。草食化。結婚しない。結婚できない。普通の男がいない。年収500万。大卒。晩婚化。オーバーエディケーション。あーだこーだ。

理由は調べたらいくらでも出てくる。それなりに根拠も提示される。統計を取った裏付のデータらしきものもある。とにかくいろんな人がいろんなことを言っている。その対策もあれやこれやと出ている。少子化対策は私が子どもの頃からどうのこうの言っている。全く効果が出ていないのか。それとも効果が出ていて遅らせることができているのか。どちらかといえば効果は出てないと思うが、どうなのか。

●統計と論理と直感

ただ実際のところ、私は統計などどうでもいい。興味がない。統計のことは社会学方面で議論する。今後の考察でも数やデータを積極的に用いることはない。統計は私の世界理解に何の影響も与えないからだ。数がどうでもいいのは当然として、論理すらどうでもいい。論理など論理を共有する相手を(もしくは自分を)説得する何かにすぎない。真実の理解者にとって(私がそうだと言ってるわけではない)論理など単なる回り道だ。私はただ直感に従って世界を理解するし、それでいいと決めている。根拠もいらない。妥当性を議論する気もない。私は私の理解を開示している。独り言と言ってもいい。独り言でいい。そもそも分かり合う気がない。分かり合う気がないのに文章を書いてるのは楽しいからだ。そして私の感覚という意味では、上に書いた理由はどれも腑に落ちない。本質とは思えない。

こんなことを言っているとデータも読めない情弱と言われそうだが(言われてもいいが)、大学院までずっとサイエンスをやっていたので、データを語ろうと思えばいくらでも語れる。昔はそういう人間だった。今はデータが世界を表せるとは考えていないだけだ。もはやサイエンスが世界の究極を表せるとすら考えていない。知を極め、そのまま非知に向かって静かに着地する。吉本隆明はそのような理想を語った。私は知を極めてもいない。知の中腹、いや麓付近でしばらくイキり散らかしたあと、非知に向かって逃亡した。なので統計の相関関係など語りあう気もしない。人間が本質的に因果関係を認識できるのかどうかは議論の余地があるが、統計が好きな人はそんなことは意識していない。因果関係は統計の中にはない。俺があると思えば因果関係はある。それが今の理解に近いが、正確に伝わる気はしない。ファイヤアーベントの科学アナーキズムなど妄言の類だと思っていたが、今はよくわかる。そうでしかないことを突き詰めると、ファイヤアーベントと同じ結論にならざるを得ない。

こんなことを言っていると、じゃあお前は統計を一切使わないんだなという反論が発生するわけだが、私の世界の理解に統計がつかえないと言っているだけで、必要な実益が取れる場面では統計は使う。統計は実益としては有意義だし、研究する価値はある。ただ世界を表すわけではない。世界の理解に寄与もしない。なので個人的な興味はないし語る気もない。私にとって統計とはそういうものだ。統計は実益を語る。私は私の世界の理解を語る。噛み合うはずがない。実益とは何か。それも話すと長くなりそうだ。

●AI神様の限界

データ厨の王であるAI神様とて世界を表せるわけではない。だがAIは知の時代を終わらせる人類の知、サイエンスとは情報の削ぎ落としによる近似計算の世界だからだ。こんなものはAI神様のお得意様である。我々は(AIも)真の世界から使い物になる程度の何かを引き出しているだけで、世界の本質など理解していない。伝記にあるディラックの絶望も同じだったに違いない。どれだけ量子力学の底に降りていっても世界を掴めなかった。ヒトの知はその程度のものだ。その先に更なる知の世界はあるのか。ないのか。少なくともヒトの脳機能の敏腕代理人にすぎないAIの延長にはない。なのでAI神様にも限界はある。しかしそもそも世界の本質など理解する必要はあるのか。ない。理解可能なのか。わからない。そうなると更なる知の世界など必要もない。我々はAI神様の導きのままに近似と統計の世界を生きていくのが「実益」的には一番いい。実益追求に限界はない。AIの限界とは何か。

話が逸れた。閑話休題。

●少子化の本質

本題の少子化に戻る。

少子化の理由はオールウェイズ同じ味が提供されないからだ。

次の時代は周央サンゴとスペイン村だの、少子化の理由はオールウェイズ同じ味が提供されないからだの、毎回何を言ってるのか。心配せずとも話は繋がる。

オールウェイズ同じ味が提供されるとはどういうことか。時刻表に沿って定刻通りに辿り着く電車に乗り、そこにあるはずのいつもの店に辿り着き、日本語がきちんと通じる店員にいつものメニューを注文し、予想通りの味の食べ物が、毎回毎回きちんと出てくることを指す。オールウェイズ同じ味が提供されるとは「全てが予想通りに進む」ということだ。

全てが予想通りに進むことは、今の世の中では絶対の正義であり、何よりも優先される事である。オールウェイズ同じ味を提供しないものは全力で除外される。それはそうだ。常識的な感覚に従えば、いつもの店に行って毎回味が違っては困る。店がなかったら困る。電車は定刻通りに来なければ困る。予想できない事は、現代では蛇蝎のごとく忌み嫌われる。しかし昔の人は困らなかったのかもしれない。困るのは現在の我々が予想通りになる世界に慣れきっているからだ。

結婚し、子を生み、育て、そっぽ向かれて、老いていくという、在りし日の人類の常識であった一連の流れは、予想できないことだらけというか、ほとんど予想できないことしかない。昔の人はそれを「しゃーない」で済ませた現代には「しゃーない」がない。なんでもかんでも人が考えて人が対策して人が予測して人が解決できると思っている。そんなわけはない。ああすればこうなる。予測可能な事象だけを取り出して並べ立てているから全てが予測できると感じるだけだ。予測できないものを排除しまくっているので、世の中予測できないものだらけであることに気づかない。恋愛、結婚、子育て、オールウェイズ同じ味を提供しない、予想できないことは目の前から消していった結果、当然子どもは生まれなくなる。予測できないファクターは破滅的な何かをもたらすこともある。昔ならそれすら「しゃーない」で済ませたのか。どうだろう。きっとそうだ。だから子どもは増えた。自由教、努力教、自己責任教の現代人には考えられない話である。

●解決不能な事象の解法

少子化のからくりはわかったと。じゃあどうやって少子化解決すんのよと。いやいや、何でもかんでもは解決できないって言ってるじゃんと。こんな難題は解決しそうにもない現実がそれを実証している。何をやってもどうやっても、出生率が人口維持のラインまで回復したケースなど、ほとんどないのでは。もはや現代人は予測できない世界に耐えられない。

解決不能な事象の解法とは何か。

放っておく以外あるのか。

オールウェイズ同じにならない事象は排除する。排除するのは自由で、批判されることでもないが、デメリットはしっかり享受するしかない。歴史は繰り返す。きっと呼吸のように人口増加と人口減少のターンが巡ってくるのだろう。切羽詰まったら舵が切り替わり、また「しゃーない」のターンが来るのかもしれない。その時まで待ち続けるしかない。ターンが来なかったらどうすんのって? 来ない場合はおそらく別の解決策が提示されている。人工生命とか、人間が生身でなくなるとか、情報だけの存在になるとか、そういうやつだ。

少子化もAIが解決するのか。


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