別角度の自己紹介
いつかすべてが君の力になる
先日、いつも関わっている子どもと学校の図書室に行きました。そこでふと梶裕貴さんの「いつかすべてが君の力になる」という本が目に留まりました。この本は声優の梶裕貴さんが14歳の子に向けたものです。
梶裕貴さんは、進撃の巨人の「エレン」、僕のヒーローアカデミアの「轟」などの声優をされている方で、特に声優に詳しくもない私でも名前くらいは知っている声優さんです。
この本は、もう題名でメッセージが明らかですが、どんな経験も力になるから何事にも全力で向き合おうという超絶前向きなものとなっています。スティーブジョブズさんのconnecting the dotsとも通ずる考え方です。
自己啓発思考バリバリを通ってきた私は当然深い共感です笑。しかし、自己啓発から距離を置いている今でも、このどんな経験も無駄ではないという考え方はすごく納得するのです。自分の経験を振り返ってみると、マイノリティーな経験をしているなと思うからです。
noteも始めてから1年半以上経ちましたし、改めて自己紹介みたいな感じ。マイノリティーかと思われる出来事を記憶からたどります。
マイノリティー人生記スタート
小学校
いきなりですがすみません。ほとんど記憶ありません笑。ということは小学校は、平凡で普通な生活を送っていたのでしょう。あまりにも記憶がなさすぎて、両親からは「小さい頃に旅行に連れて行ってもダメなんだな笑」って言われたほどです笑。
唯一のマイノリティー記憶は、学級委員(地域によっては代表委員とか室長とかのやつで、クラスのリーダーみたいな役割のやつです)になったことです。この学級委員自体は珍しくないかと思いますが、私の場合で何がマイノリティーかといいますと、学級委員で私ともう一人立候補したのですが、立候補相手の子が私に票をいれたということです笑。
その子はやりたくなかったのだと思います。私がなるとまずいと思った周りが推薦して立候補になっただけなので、気を遣われた形です。しかも結果は一票差。なんともドラマチック笑。
中学校・高校(中高一貫校だったゆえ)
・部活でいじめ
野球部で物を何度も隠されたり、なくされたり、走り方を馬鹿にされたり、能力を否定されたり。
・体罰
今では考えられませんが、宿題を忘れたとき、出席簿で頭の上から来たあと 横の2連撃。
・追試
英語ができなさすぎて、小テストの追試で夜8時ころまで学校に残りました。
・休み時間の逃避行動
いろいろあったので、友達とも距離ができ休み時間は誰にも見つからないところで、雲を眺めるという時間を約2年間しました。
・将棋
野球部後、将棋部へ。将棋にはまり、土日には高校生ながらたばこの煙の充満する道場へいりびたる。学校の部活では、面倒見のよい先生と出会います。この出会いが今の教員への第一歩でした。ちなみにその先生は将棋がめちゃくちゃ強いが、将棋部の顧問ではない笑。
大学生
大学デビューを目指し頑張った結果、いわゆる普通の学生の生活を送れました笑。
・生活科のゼミへ
物理が難しすぎて、小学校の1・2年生のみの教科「生活科」を研究するゼミに入りました。
・職務質問
授業の関係で、大学周辺の植物を調査しなければいけなくて、植物をさがしながらキョロキョロしていたら職質にされました。また、夜駅までの道のりを自転車で爆走していたらパトカーから逃げていると思われたのか職質されました。
・研究室に寝泊まり
卒論と採用試験の勉強が忙しくなり、家に帰るのが面倒になったので、研究室に1ヶ月ほど住みました。寝袋と炊飯器を持参し、朝は運動部のシャワーをこっそり使い、過ごしました。
社会人
はじめは小学校の先生として採用されました。
・1年目に学級崩壊
もはやマイノリティーではないのかもしれません笑。当時の校長からは「給料泥棒」と言われ、保護者からは「授業をしてください」と言われ、子どもからは「死ね。消えろ。」と言われました。
・部活動がクラブチームに
バスケ部の副顧問でしたが、主顧問の先生が部活のメンバーをそのままクラブチームとして登録し、土日も練習するようになりました。私はというと審判要員です(バスケの審判ほどおそろしいものはないんですよ笑)。あ、当然私はバスケ未経験です。
・6年生を3連続
初任者は1年~6年をわりとまんべんなくもたされ、いろいろな経験をさせられると聞いていましたが、初任校最後の3年間はずっと6年生でした。
・安全な組み体操校
危険だから今ではほとんど見ない組み体操。私が担当したのは組み体操廃止の最後の年でした。だから、組み体操の技は残しつつも、安全で表現要素もいれた安全な組み体操を考えてくれと言われました笑。
・学校内の居場所づくり支援員
自治体初の試みの支援員として今働いています。レイアウトや物品などを考え、部屋のゴミの片付けからスタートしました。まさに立ち上げです。
パパ
・11年目で育児退職
次男の発達が遅れていることが心配で、後悔しないためにも11年目という働き盛りで退職。職場のほぼ全員から「もったいない」と言われました。
・次男が発達障害
退職して時間ができたため、いろいろと検査。結果、発達障害と診断。今では、週に3日療育に通っています。送迎もしています。
・妻がうつ
まったく触れてませんでしたが、以前実は一度妻が仕事の関係でうつ診断。うつ前は話を聞いたり、受診を勧めたりといろいろとありましたが、今はなんとか復帰しています。
まとめ
今回は私のマイノリティー経験を振り返ってみました。振り返ってみて感じたことは、意外とマジョリティーとマイノリティーと両方とも経験しているなということです。
小学校時代は割とマジョリティーな生活で中高はマイノリティーな生活。野球部で補欠にすら入れなかったけれど、将棋部ではエース。はじめは正社員として勤務で、今は非常勤。まえは担任で今は、担任ではない。長男は障害なくて、次男は障害がある。クラブチームまでバリバリにやっていたときもあれば、最後は部活を辞退しました。
マイノリティーの経験だけだと価値観がそっちにも偏りすぎてしまうこともあります。よくあるのはマジョリティー批判。「なんでわからないのか」って。
マジョリティーもマイノリティーも経験した。この経験は確実に今の私の力になっていると思っています。そんな私だからこそできる教育・育児があるはず。
でもそれは私だけでなく、これを読んでくださっているあなたも同様なのだと思うのです。ひとりひとりマジョリティーなところとマイノリティーなところがあるはずです。あなただけの経験があり、あなただけの価値観があるはず。私にもあなたにも、だれにでも。
だから、周りに合わせすぎず、かつ固執しすぎず。少しずつ変化していくことがいいのだと思います。
優しい世界を目指して
最後までお読みいただきありがとうございます。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。
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