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満員電車と大人。横柄な人。スマートに席を譲る人。それを見ている人。

東京で出勤となると嫌でも経験するのが満員電車。
ある程度は覚悟していたが、やはり毎日はつらい部分もある。

それでもそのつらさを共有しているからか、互いに一人の人として、苦しみを分かち合い尊重し合うようなマナーの良さで、混雑はあるが目立ったトラブルはない日々が続いていた。

しかしながら、東京には「いろんな人」がいる。
しかも今回は、行きの電車で反面教師にしたい人に、帰りの電車で自分も見習いたい人にそれぞれ出会うという経験をした。

そうした小さな行動ひとつひとつも、確実に誰かに見られている。
それが不特定多数の中であっても。

1,満員電車で横柄な人

満員電車の車内。当然、途中駅で降りる人も出てくる。
奥まった場所にいる人は、降りるためにはドア付近まで、人の「森」をかき分けていかねばならない。

多くの人はその点で慣れており、後ろから降りようとしている方がいれば自然と道を開く。ドア付近の方は一度ホームに降りて導線を確保する。
もちろん、降りる旨を伝えた方が丁寧だろう。
しかし、それを全員が、毎回駅に到着する度に言っていると、車内は騒然となりストレスの原因となりうる。
言葉を交わさなくても、明日は我が身、譲り合いの精神で、それが暗黙のマナーと認識していた。

その日たまたま奥まった場所にいた僕は、降車駅でいつものように降りようとした。
しかし、前の人は動く気配がなく、むしろ降車を妨害してきた。
それどころか、降りようとすると驚くべき発言をしてきたのだ。

「なんだよ、なんか言えよ」

上記のような考え方を持っていた僕は、この人を見下すような発言には驚いた。

とはいえ、トラブルになりたくなかったため、大人の対応として降りる旨をさっと伝えてその場を去った。その人は特に深追いはしてこなかった。
その人が降車時に「降ります」と言ったかどうかは、その人の降車駅で近くにいた人以外知る由もない。「なんか」言えよ、だから言葉荒く「どけ」でもいいのかもしれない。高身長から見下ろす形で人を小ばかにするような口調。憎まれっ子世にはばかる。バーカどこかで天罰が下ればいいのにとちょっと考えることでストレスから目を背け、僕は日々の業務に何事もなく取り組んだ。

2,スマートに席を譲る人

退社後の時間。早朝の通勤通学の人以外にも、お買い物帰りの人、塾通いの学生など、多様な方が乗車する。
そうしたとき、何かしらハンディキャップをお持ちの方が乗ってくると、座った状態であれば譲りたいと思うのは、僕にとって自然なことだ。

ただ、例えば4-5歳頃のお子さん連れの方に譲ろうとしても、逆に遠慮されて譲れないこともしばしばある。
逆の立場なら僕も遠慮してしまう部分があると思うのだが、何とかスマートに譲れないかは常々考えているところだ。

しかし退社後の車内で出会ったその方は、所作が本当にスマートだった。
高齢の方が目の前にきた際、「どうぞ」とつぶやきその場を去る。
もう戻ってこないのだから相手に遠慮はいらないし、座りたくなければそのまま立っていればいい。周りにいる人は状況を分かっているから競って座ろうとしない。

文字で書くと一定程度陳腐化しそうだが、横で立っていた僕には、その動作がとてもスマートに思えた。

3,客観的に見てみると

このように、僕は出社前という時期にかなりのストレスを被り、また退社後に大きく感嘆したのだが、これを僕個人の視点ではなく、一度「一般」の視点から見てみるとどうか。

まず、基本的に多くの人はおそらく無関心だろう。
関心があっても、ちょっと視線を移しただけで特に何も行動しない。
自分に影響がなければいい。ストレスがかからなければいい。
これが多くの人の思考なのではないだろうか。

また、一部の人は同情、共感してくれるだろう。
前者であればこんな感じだろうか。

なんかトラブルメーカーがいるぞ、近寄らないようにしよう。
そんな人に絡まれてあの人も可哀想だな。
さらっとかわして大人だな。

後者であれば、このひと凄い、自分も真似してみよう、といったところか。
そう、僕が感じたように。

こんな考えを心のどこかで描き、そしていずれ消える。
そのタイミングでは、前者で言うならば僕は「被害者」、相手は「加害者」だ(と信じている)。

しかしここで例えば反撃をしてしまったらどうか。
「なんだと?」などと応戦体制になれば、一部の野次馬は喜ぶかもしれないが、多くの人にはストレスの源だ。まして駅員の方が介入し電車が遅れたりすれば非難の対象は僕になるかもしれない。僕もそのストレスに加担する加害者となる可能性があるのだ。

だからこそ、売られた喧嘩は買わずにさらっとかわすのがよい。
いいと思ったことは、それを次回は真似できるようにすればいい。

これが電車内での、大人としての対応だと思う。

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