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赤面症は、克服できます。

【はじめに】


今回はわたしの経験談をお話しさせていただきます。

一番お伝えしたいことを先に申し上げますと、
「赤面症は、克服できる」ということです。

わたしがこれまでどのような苦しみを経験し、それをどのように乗り越えてきたのか。

約4年間の葛藤を、この記事にまとめてみました。


【赤面症は突然に】


高校1年生の秋ごろ、校内でお昼ご飯を食べているとき、
それは突然の出来事でした。

30人程の空間だったでしょうか。

周りが誰かと楽しそうにご飯を食べている中、自分だけが一人で食べていることに気づいてしまい、いつの間にか顔が熱くなっていました。

これが、赤面症のはじまりです。

周りに見られていると思い込み、「あの子だけ一人だ」とか「かわいそう」とか、聞こえないはずの言葉が聞こえてきました。

一度顔が真っ赤になると、なかなか元通りになりません。

最悪、一日中続くこともありました。

赤面している姿を見られていると思うと、とても苦しかったです。

それ以降、私は公の場から逃げるようになりました。

それからというと、誰かと向かい合わせになっているわけでもないのに、
人前でご飯を食べなくてはいけない状況になると、顔が真っ赤になり、手も震えてしまい、
呼吸の仕方も忘れてしまうくらい極度に緊張してしまうようになりました。

今思えば、会食恐怖症にも該当していたのかもしれません。

高校生の頃は寮生活をしていたため、ご飯も列に並んで自分お皿に盛り付ける形式で、その工程さえも人に見られていると思うと緊張してしまい、顔が赤くなりました。

当時の私からしたら、苦痛で仕方ありません。

それだけでなく、偶然友人に出くわして「一緒に食べる?」なんて誘われたらどうしようと。

それを考えるのが嫌で、友人だとしてもご飯の時間には避けていました。

大学受験のシーズンでは勉強のため、長期休暇も寮に滞在することがありましたが、お昼休みの時は大勢が集まる食堂しか使用できず、人目を避ける場所がありませんでした。

その時の私は1日12~13時間も勉強していたはずなのに、何も食べませんでした。

人前で食べて顔が赤くなるくらいなら、何も食べない方が断然マシだったからです。

そのせいもあり、コンディションは毎日最悪でした。

受験当日は不安とプレッシャーと日頃のストレスで試験中に頭が真っ白になってしまい、とてもじゃありませんが試験を受けられる精神状態ではありませんでした。

100人以上もの人が会場にいるわけですから、緊張でその時も顔が真っ赤でのぼせていました。

結果的に第一志望の大学に落ちて浪人することに。

試験を終えて寮の部屋まで戻った際、あまりの不甲斐なさに膝から崩れ落ちて泣き叫んでいました。

泣きながら鼻血が大量に出てしまい、床にたまった血を眺めて呆然としました。

この受験の日のために、約2年半、勉強漬けの時間を過ごしました。

それがいざ本番になると、パニックで文章が頭に入ってこない、周りが気になって集中できない、緊張で赤面して思考ができなくなる。

ふざけるな。今までの努力が全て水の泡になったじゃないか。

当時はそう思いました。

私はこの赤面症を、心底恨みました。

これさえなければ、もっと楽しい学生生活を送れたはずだと。

友人と楽しく美味しいご飯を食べたり、勉強にも勤しんで良い成績を取れていたはずだと。

なのに、こんなわけもわからない症状に人生狂わされて、どうしてくれるんだと。

とっても、悔しかったです。

【苦しい日々】


受験が終わっても症状は相変わらず続き、
高校の卒業式で配られたお弁当は、トイレにこもって1人で食べました。

症状で悩んでいる期間は、ご飯を味わって食べることができませんでした。

赤面症だった大学1年の終わりまでの約4年間、
おかげで私は外でご飯を食べることも、美容院にも行くことができませんでした。

周りの視線が怖くて、電車に乗ることさえも難しかったくらい、社会生活そのものが苦痛で、
コンビニの会計時でも、店員さんと対面するだけで顔が真っ赤になってしまい、ずっと下を向いていました。

高校を卒業したわたしは、危機感を覚えました。

一度は予備校へ通わせてもらい、なんとか家族に心配かけないようにと、再度勉強を頑張ろうとしましたが、
集団授業であてられた際に周囲からの視線に耐え切れず、結局半年で辞めてしまいました。

自分の子どもっぽい服装や男っぽい振舞いが周囲から浮く原因になっているのではないかと考え込んだり、
人が怖いからといって逆に近寄りがたい雰囲気を自分から出してしまっていて、誰一人とも話すことができませんでした。

本当に、自分が嫌いだと、心底思いました。

このままだと、働いて自立することすらできないのではないか。

不安でいっぱいでした。

予備校を辞め、わたしは7ヶ月ほど引きこもってしまいました。

暗い部屋で寝たきり状態。

窓からも日の光を浴びずに一日を終えることもありました。

両親や祖母にも会いたくない、話しかけられたくない。

放っておいてほしい。

ご飯は何を食べるかと聞かれても「いらない」の一点張り。

食べることがあったとしても、会話をしたくないから背中を向けていました。

その時はさすがに怒られました。

誰がお金を出していると思っているんだと。

本当にその通りです。失礼極まりない。

それでも何かしなきゃと考えてはいました。

自分でお金を稼いで、家族を安心させなきゃ。

そう思っても、アルバイトに応募することも怖くてできませんでした。

収入源がほしいという焦りから、「スマホ一台で稼げる副業」にも手を出したこともありました。

思考力が低下していたため、疑うことなくのめり込んでしまい、結果的にお金を無駄にしました。

わたしは自分を責めました。

苛立ち・焦り・不安でいっぱいで、
昼夜逆転で生活リズムは崩れ、好きだったランニングや球技スポーツもやらなくなりました。

何もしようと思えず、無気力な日々が続きました。

しばらくして少しずつ回復し、外出が多少できるようになってからメンタルクリニックへ行きました。

診断結果は、社交不安障害。

人前で注目が集まるような状況で強い不安や恐怖を感じ、極度の緊張とともに動悸や赤面といった身体症状があらわれてしまう病気です。

赤面症は社交不安障害よりも狭義なものになります。

わたしはなぜか安心しました。

生きづらい理由が作れたから。

同情してもらえる理由ができたから。

私はこんなに苦しい思いをしてるんだぞと。

けれど、このまま両親や祖母に養ってもらいながら生きるのか、、?

考えれば考えるほど、自分に対する情けなさ、怒りでいっぱいでした。

中学時代はテニスの大会で入賞したり、勉強でも校内で表彰されたことがあるほど、周りからは努力家だとか、ストイックだと思われていました。

それが、高校を卒業してからは大学に行っているわけでもないのに働きもせず、食べたり寝たりして気を紛らわしては空虚な日々を過ごし、
一日一日を使い捨てのように消費しているだけの生産性のない人生。

こんなやつが何で生きてんだ。こんな恥ずかしい姿、見られたくないな。

誰にも会いたくないな。

そうやってどんどん塞ぎ込んでしまいました。

いっそのこと、死んでしまいたい。

そう思いました。

【大学進学を果たすも、再びどん底へ】


それでも、嫌いな自分をこれ以上見たくないこともあり、
大学へ行って没頭できることを見つけようと決め、踏み出すことはできました。

新たな環境で頑張ってみようと、そしたら何か変わるかもしれない、
やりたいことも見つかるかもしれない。

そんな期待を抱き、少しずつ回復してなんとか気力を振り絞り、大学へ進学しました。

運動部へ所属し、部活動に励むこともありました。

とにかく、両親や祖母に心配をかけたくない、その一心でした。

だけど、やっとの思いで入った部活動も、もったのは1年。

チームの空気感についていけず、人間関係も上手くいきませんでした。

良いように思われたい、輪の中に入って仲良くしたいという思いが空回りし、孤立していきました。

我慢を続けていたわたしは、このままだと自分のメンタルが壊れてしまうと思い、部活動を辞め、大学も辞めることを考えました。

高校のときも、部活動の厳しさに耐えきれず辞め、アルバイトも半年続いた経験もない。

結局、私は全部が中途半端だと、悔しさよりも自分に対する諦めの気持ちが強かったです。

赤面症も悪化してしまい、講義を受けようと教室に入るのも怖くなってしまいました。

周囲の話し声が自分の悪口を言っているように聞こえ、恐怖心でいっぱいでした。

息が苦しくなり、頭も真っ白で冷静になれない。

辛い。帰りたい。辞めたい。

状況が良くなることはなく、
私は再び、メンタルクリニックへ通うことになりました。

引きこもりのときに逆戻り。

就職も諦めていました。

この先どうやって生きていこうかと。

先のことなんて、考えることもしたくない。

死にたい。

わたしは生きている理由を失っていました。

【『赤面症が根本から治るセミナー』との出会い】


けど、それでも諦めきれない自分がいました。

このまま死んだとして、私に残るものはなんだろうと考えたとき、
そこには後悔しかないと思いました。

そう思えたのは、今までたくさんのものを祖母をはじめ、家族から与えてもらっていたから。

予備校を辞めて引きこもることになっても、家族は何も言わずに見守ってくれて、むしろずっと心配してくれていました。

特に、祖母にはずっとお世話になっていました。

中学・高校・大学・予備校と、学費を全て出してくださって、
両親は共働きだったから、わたしが家にいるときはご飯も祖母が毎日作ってくれました。

わたしが小さいときから、ずっと一緒にいた祖母。

祖母はわたしに毎朝、笑顔で「おはよう」と言ってくれました。

思い出も数え切れません。

その分お世話になっているのが余計に申し訳なく、何も返せないのが悔しかったです。

このまま死んでいっては、祖母にあわせる顔がない。

私は赤面症を治す方法を、ネットでひたすら探しました。

方法論は山ほど載っていました。

首を冷やしたり、ツボを押したり等。

だけど、実践してもどれも効果を感じられませんでした。

探しに探して、最終的に見つけたのが「赤面症が根本から治るセミナー」。

当時は、このセミナーが私の人生を一変させることになるなんて、知る由もなかったです。

「もしかしたら」の可能性を捨て切れず、私はそのHPの詳細を見ていきました。

そこに表示されていたのは、
主催者の言葉、参加者の動画や大量の感謝のお手紙。

色々見ていく中で、「この人は本気なんだ。本気で赤面症は克服できるって言ってるんだ」と、この人は信頼できるかもしれないと思い、

思い切って電話をしてみました。

普段なら自分から電話なんて怖くてできなかったけど、不思議と躊躇いはありませんでした。

自分の抱えている症状や参加費についてお話しし、そこからはメールでのやり取りが始まりました。

最初に電話をしたときのことは今でも忘れられません。

自分の苦しみを全部吐き出して、それでも大丈夫だと、絶対にどうにかなると言っていただいて、それがどれだけ救いになっていたことか。

話していくうちに、このセミナーにかけてみてもいいのではないかと思い始め、

参加費も当時の私の貯金では大きな金額でしたが、覚悟は決まっていたので、迷う余地もありません。

これで変わらなかったら、それこそ人生終わってもいい。

そんな気持ちで、私はセミナーに参加する決意をしました。

驚いたことに、主催者さん自身も、昔は赤面症で苦しんでいたんだとか。

私にはそんな風には全く思えず、その方は堂々とした口調で言葉に力がありました。

ほんとに4年間も苦しんでいたことが、たった一日で克服できるものなのか。

とても信じがたいことではありましたが、

そのセミナーは想像を絶するほどで、
学んだことは、今では私の思想の根幹になっています。

今までHSPや対人恐怖症関連の本を読み漁っては知識が増えるばかりで、

症状はちっとも改善しなかったけれど、そのセミナーは頭で考えることを許してくれず、
それが私にとっての大きな内面の変化につながりました。

一緒に参加した方々もあがり症や赤面恐怖症、多汗症等、様々な症状を抱えていて、それでも克服したいという強い意思を持った方々が集っていたので、私もそのパワーに引っ張られていきました。

【赤面症が根本から治るセミナーを終えての大きな変化】


セミナーが終わった後、とても驚きました。

帰り道、通り過ぎる人たちの顔を見ることができて、
以前は真っ先に自分が周りにどう思われているかを気にしていたのに、
全くと言っていいほど、そんなことすらも忘れていました。

いつもなら向かいに人がいるだけで嫌だった電車内も、なんてことなくて、顔を上げて人の表情や仕草を見ることができたんです。

その日の睡眠は質がとても良く、こんなに安心感に包まれて寝れたのは何年ぶりだろうというくらい、目覚めが良かったです。

翌朝、起きてからカーテンを開け、真っ先に目に映ったのは、

雲一つない満天の青空でした。

涙が止まりませんでした。
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

こんなにも綺麗な景色が目の前に広がっていたなんて、

どうして今まで気づかなかったんだろうと。

そう思いました。

高校生のときに突然罹った赤面症。

これまで苦しんだ分、目に映る世界が違って見えたときの感動は格別でした。

家族にはセミナーへ参加することは黙っていましたが、
私のあまりの変わりように、何があったんだと驚いていました。

「明るくなったね。」「元気になって良かった。」「変わったね。」

沢山の愛のある言葉をいただきました。

今なら胸を張って言えます。

このセミナーに参加して、本当に良かったと。

【楽しい日々】


それからして、私は早速、自己分析や就活を始めました。

就活は大変というイメージでしたが、人との交流が楽しくて、ハードなこともありましたが就活イベントにも積極的に参加しました。

スポーツも再開して、休暇に友人とテニスをしたり、マラソン大会に出るまでになりました。

大学卒業後は、福祉業界の会社へ就職しました。

人と接する機会が非常に多いお仕事です。
昔であればそのような仕事に就くなんてありえないことだったはずです。

けど、人と関わって働くことがむしろやりがいに思えています。
新しい目標もでき、今はその目標に向かって仕事をしています。

これまでずっと、自分のことばかり考えていたけれど、
今度は、わたしが周りに与えていく番だ。

与えられる側から、与える側になるんだ。

そう決意しました。

赤面恐怖症を克服して、約4年が経ちました。

今は毎日が楽しいです。

外で誰かと一緒に美味しいご飯が食べられ、

もちろん、美容院にも行けます。

高校生の時に食べ方が汚いと言われてから、人前で食べることすらも怖くなっていた時期も長くありました。

今では会社で大食いだと名が知れ、一番美味しそうに食べていると言ってくれる方もいます。

映画館も、カラオケも、テーマパークも、宿泊も、

全部が楽しく感じます。

昔は写真も大嫌いでした。

写りを気にして表情がぎこちなくなり、それこそ見られるのが恥ずかしいから嫌いでした。

まだ慣れませんが、今では歯を出して笑い、ピースも自然にできるようになっています。

そして、辞めようと思っていた大学では、なんと答辞を読ませていただきました。

それこそ注目を浴びるような場面でしたが、

堂々と読み上げ、むしろ自分を誇らしく思いました。

【赤面症の体験を通して皆さんにお伝えしたいこと】


ここまでの話を聞いて、
そんな上手い話あるのか、運が良かったんだ。

そう思う方が出てきても仕方がないと思います。

運が良かったのは本当です。

恩師(セミナーの主催者)との出会いで19歳で赤面症を克服することができ、

やりたいことも見つけられ、それに向かって努力ができる。

こんな幸せなことはありません。

ただ、赤面することが全くなくなったわけではないんです。

照れたり、恥ずかしいなと思ったら顔が赤くなってしまうことはあります。

けれど、それを苦だと思わなくなりました。

克服したとは、そういうことなんです。

赤面することを気にしている限り、克服はできません。

治そう治そうと思っていること自体が、すでに赤面することで頭がいっぱいになっているからです。

ですが、それはもうこれっきりにしましょう。

わたしを見つけてくださって、今この文章を読んでいる方々に言いたいです。

人生には辛いことや苦しいことが、必ずチャラになる瞬間があります。

覚悟と勇気を持てば、

どれだけ苦しくても、その苦しみが清算される時がやってきます。

その日がくることを信じて、

皆様もどうか希望を持ち続けてください。

絶対に、乗り越えられます。

その時、別人のように成長した自分に出会えるんです。

赤面症なんて知っている人の方が少ないでしょう。

実際、私の周りにはその症状名を知っている人はいませんでした。

だからこそ誰にも明かすことができず、今でも1人で抱え込んでいる人がたくさんいるはずです。

だけど安心してください。

あなたは一人ではないし、もう十分苦しんだと思います。
これ以上、自分を追い詰める必要はないんです。

今苦しくても、変わりたい。

その気持ちが少しでもあれば、絶対にどうにかなります。

今ではむしろ、赤面症になって良かったと思っています。

この症状で悩んでいる人の気持ちが痛いほど分かるからです。

この経験があったから、今の自分がいて、

赤面症は克服できるという確信が持てたから、

実体験を多くの人にも伝えていきたいと強く思いました。

それに、10年20年と、私以上に悩んできた人を何人も見てきています。

それでも赤面症が根本から治るセミナーに何度も参加して克服することができているのですから、
諦めない限り、人間にできないことなんてないんだと思います。

これまでの話を聞き、わたしの実体験について、
そして『赤面症が根本から治るセミナー』についてもっと詳しく聞きたいと思っていただけたのなら、何時間だってお話しします。

私と同じようなことで悩み苦しみ、それでも変わりたいと思っている方々へ。

この言葉が、今現在の皆様の心を少しでも軽くする一助になっていますように。


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