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ハンターキラー潜航せよ ; 人格者たるリーダーが持つものは

2021年最初の鑑賞は「ハンターキラー潜航せよ」。

Amaプラでおすすめに上がってきていたのと、以前から観たかったので鑑賞。

アクション映画観て気分転換、のつもりが大変良い作品でした。

全体最適の信念を植え付けるのが真のリーダー

ジェラルド・バトラー自体も大変格好良いけれど、演じる艦長の英断がどれもこれも素晴らしい。

ロシア内クーデターに端を発する、陸海空のうち特に原潜を舞台にした米ソ冷戦を描く本作。
大統領、幕僚長、艦長といったリーダー格の人間たちが、自らの命をかけ、敵味方や過去の確執にとらわれず、より多くの命を救うため、選択と実働を、その実力を以ってやりきる姿が大変に格好良い。

船員たちも、やがて彼の信念の強さ、実力、誠実さに、その信念を自らも貫こうと、仲間の命を助けようと、尽力するようになる。

武力万歳、米国万歳、で終えない。
本作の素晴らしいところは、あくまで結果論としては成功例だが、「英断とは、信念とは、人間が採るべき決断とは何か」を、主人公やその周囲の人間たちの生き様を通して、伝えようとするところにある。

真のリーダーとは、信念の遺伝を行う者であると私は思っている。
それを見た者が自らを改めたくなるほどの「あるべき姿」を貫くこと。
自らを、「正しき行動を採っている」と認められる者ほど、海のように落ち着き、寛容で、とても深い怒りと慈しみを抱いている。
ここに絶対の信念が一本通っているため、どれほど揺さぶられようと、本人は必ず戻ってこられる。
周囲の人間はそのまっすぐさに、自らを自発的に恥じ、改心させられずにはいられない。

この時の正しさとは、「自己承認欲求でなく、全体最適のための判断」である。独裁とはこれを以ってそれを達成し得ない。

肩書きや恐怖で他人を縛ろうと、それはその者を守りたいとは思わせない。
縛り付けたところで、最後、誰もその者を助けようとはしない。
その者が自分も他人も信じられず、恐れと不安に慄き、それを隠そうと必死に暴れて噛み付こうとしていることくらい、周囲もわかっているものだ。

一方、真の人格者とは、自身の命や立場など最初から問うていない。
他人より自律心が強く、恐れをもってなお自分を恥じずに覚悟を持てる人間が行うべきは、戦場に放り投げられた全ての兵士が、自らの力を以って戦場を生き抜けるまで、誇りを持って戦い、仲間を助け、全員で帰投できるようになるまで、背中を見せ、鼓舞していくことだ。
そしてそういった勇気を与える人間は、慕われていく。

怖い。痛い。でも絶対倒れるわけにはいかない。
おぶられるな。全員の一挙一動が、仲間を生かし、時に命を奪う。
全員で生きて帰るために、自分にできることを考え続ける。
人の強さとは、恐怖を超えて使命感に宿るのだろう。

自身が、自身のためを超えて、全体最適のために生きる。
だから、それに倣う後続が増えれば、自分が死した後もきっと、世界はなんとかなる。
リーダーとは、それを体現して見せた者を指すと思うし、全ての生き物はその姿勢を目指して欲しい。

名もなき人間などおらぬ。
だからこそ全員が全員のために死力を尽くすのである。
仲間とは、そのために強くなろうとする人間のことを指す。

信念は寿命を超えて尊く、
希望は、死なない。

”柱”の背中を追いかけて

これは、鬼滅の刃と同じ題材であると思う。
多くの尽力した人間たちが死んでいくが、希望は死なず、受け継いだ者たちが、いつかきっとそれを果たす。

誰かを傷つけて無傷ではいられない。
だから、どれほど激怒しようと、目の前の人間が地雷を踏んでこようと、決して同じ土俵には上がらない。
その後に自らを襲うのは虚しさ。その行動を採ってしまった自分を、傷つけた相手の哀しそうな顔が、責め続ける。

返す刀で攻撃され、瞬間的怒りよりも尾を引く後悔が、ずっと胸に残り自分を苛む。
後悔は自分を弱くする。
弱く自分を信じられなくなった人間は、やがて異なる意味での保身に走り、全体最適と真逆を行き、孤独を突き進む。

(禰豆子は実弥に挑発されようと喰わず、鬼たちは鬼になってなお人間に執着し、無惨が最後抱えるのは”孤独”)

自分を裏切るな。絶対だ。
戦うための、守るための強さは必要だ。
だが、残虐になることに意味はない。
生を受けたならば、改心を説き、その命尽きるまで、他の命のために死力を尽くさせるのがあるべき姿だ。

相手を理解しろ。
その行動に至るまでに、きっかけが必ずあったはずだ。
相手を叩きのめす必要はない。
その人を打ちのめし、恨みを抱かせるほどの、弱く腐った人間が、他にもいたのだろう。

その強さを以って生まれたのなら、その力で守り育てられる人たちがいるはずだ。
変わろう。その力を、待っている人たちがいる。
全体最適のために生きられるようになれば、もう一人ではない。

理想はどこで育っても抱ける

こういった姿勢は、洋画や漫画で繰り返し繰り返し描かれる。

映画感想を書くたびに書いている気がするが、私は日本のど田舎に生まれ育ったものの、米国、特に宇宙探索に軍事モノを好んで鑑賞し続けた結果、見事に米国の軍事教育に染まり、体力はないものの信念だけはすっかりヒーロー主義に育った。(一国傾倒のGod bless Americaという価値観はないが、何を以って”理想的”とするかは、ピカード艦長や米軍兵の背中に見ている)

強烈な正義や理想を目にしてしまえば、それを信じ、それに倣おうとする心が、生き物にはある気がする。

格好良さとは、憧れとは、知名度でも外見でも社会的地位でも資金力でもない。私は自分という存在を含めて三次元に諦めを抱き、自らの理想を美談である二次元に見出したに等しいかもしれず、これは現実から目を背けた机上の空論なのかもしれない。

どれほど説いて、孤高の姿を見せ続けても改心せず、醜いままの世界など捨て置いて、自分の幸せを追いかけたくなる時もあるだろう。

それでも、語られる英雄たちは泥臭くて、自らの手を汚してでも信念を貫き、大事なものを守って倒れていくその背中を追いかけたくて、そういう作品がいつの世も評価されるということは、生き物として格好良いという概念は普遍であるようにも思う。

(将来の夢が”仮面ライダー”でもいいじゃないか)

理想が多く普及し、自律的で、全体最適を選べるその姿を素敵だと思え、夢想だと切り捨てずに、自らも変わろうという覚悟のある生き物が増えれば、今よりいい未来が待っている気がする。

それは繁栄を超えて尊さがあるように思うし、たとえ全ての種が潰えたとしても、宇宙史にかけて、誇らしい種族であったと思って死せるのなら、それも良いのではなかろうか。

現実逃避のためではなく、感動するために、良き方向に感化されるために、人には映画をもっと見て欲しいし、小説ももっと読んで欲しい。

有事訓練にも映画は有効

ちなみに、個人的に空自、陸自は実体験含めてある程度の知見があるけれど、海自はあまり詳しくなかったので大変勉強になった。

思えば 大好きな作品の一つである「亡国のイージス」は海軍が舞台だったけれど、やはり映像履修で得られる情報は大変多い。
(軍事英語履修にも良いです)

VRARといったXRが人事教育に用いられ始めているが、軍事のみならず災害想定など有事訓練として、特に映像作品は大変有効であると思っている。

ソナー、ミサイル、救護艇の連結方法…
世の仕組み以前に、物理学の理解がなければ最適行動すら取れないが、実際に何がどうなったら何が起こるか演習して見せてもらえるのでとてもありがたい。

結局私がずっと関心があるのは、映画そのものでもなく独裁でもなく恐怖でもなく、人間という生き物が崇高であるための信念や、それを実装するための物理学で、それが結果として国防論に集約されていて、これを知らぬは、すなわち無知は罪と考え、全体最適=現代社会の和平と人類という種族の信念的進化、のために少しでも力があるということ=個人としての最低レベルを国防理解と野営力に置いている、と捉えているのだと改めて感じる。軍事映画には物理的生存を果たすための知識や有事での思考力のヒントが目一杯詰まっていて、私にとっては教科書そのものだ。

幸運に幸運を重ね、結果、安全な場所に生かされている自分に、甘えるな、お前が立っているのは奇跡の薄氷の上だと警鐘を鳴らし、何ができるかと思わせるために、定期的にこういった作品に触れる。

全ての要素が人の進化をつなぐ。
今年は、自分に何ができるだろう。



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