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読んでない本の書評51「夏への扉」

188グラム。もちろん中を読まずに、表紙の猫の後頭部を見つめる用途専用に使うのにも適している。

 自動掃除ロボットのルンバを見かけると、なんとなくいちおう値段をチェックしてしまう。購入を検討したことこそないが、「自分では買わないが、誰かが急にくれたらはしゃぐ」系家電のトップ10に入るのではないか。

 我が家は猫が二匹暮らしている都合上、とにかく掃除機をかけるのに手間がかからない部屋になってる。こたつテーブルさえ上げてしまえば隅々まで掃除をするのにほぼ何の障害物もない。ルンバが走るにはうってつけの部屋である。そしてルンバが走りやすい部屋というのは、自分で掃除するにも手間はかからないのだ。狭い家なれば、費用対効果を考えるとルンバに走ってもらうより自分の手でかける掃除機のほうがだいぶ効率が良いのだろうな、という結論になる。

  本当に切実な実用上の理由から自動掃除ロボットを夢想してきた人は、そもそもルンバが移動できるような部屋に住んでいるわけがないのだ。
 そういう人に必要なのは、ルンバが走る空間を作ってくれるルンバ用ルンバであり、心底掃除が嫌いな人にとって一番複雑で困難な問題なのはむしろそこに違いない。しかしルンバ用ルンバは、いまだ世に出る見込みすらないではないか。

 「夏への扉」は家事ロボットを大量生産する会社を作った技術者の話だ。1970年、ダンが作った「文化女中器(ハイヤードガール)」はこのようなものだった。

文化女中器は、一種の記憶装置の働きで、時に応じてあるいは掃き、あるいは拭き、あるいは真空掃除機と同じように塵埃を吸収し、場合によっては磨くこともする。そして空気銃のBB弾以上の大きさのものがあれば、これ拾いあげて上部に備えつけた受け皿の中に置き、あとで、彼らよりいくらか頭のよい人間様に、捨ててよいかどうかを判断してもらうこともできるのだ。

このSF的想像力の結晶である自動掃除機能ならばどうだろうか。
 こたつの中で発見された靴下の片方だの、いつどこで本を読み始めても不自由ないように部屋のあちこちに置いてある付箋だの、猫がじゃれて変なところに投げ飛ばしたスリッパだのを毎日頭にのせて持ってくるロボット。そしてそれら脈絡のない品物をいちいちロボットのいいなりに元の場所に戻さねばならない日々(ただし靴下は洗濯機へ)。はたしてこれで本当にヒットする目はあるか。

 その後、ダンはさらに一念発起しトーゼンチューブ(たぶんメモリスティックみたいなもの)を装備することで、より多くの家事に対応させることができる改良版ロボットのピートを開発する。それでも当のダンは食器すら汚したまま、「控えめにいって豚小屋」みたいな部屋に住んでいるのである。つまりは家事を覚えさせていくことはそれなりに面倒なことではあるし、家事は複雑で数も多いのだ。重箱の隅をつついていくとSF的なロマンと毎日の家事は食い合わせがわるい。

 優秀な科学者が1970年代と2000年代を行き来しながら、自らの人生の再起と愛と猫をかけて必死で開発した家事用ロボットでさえこれほどぎくしゃくしたものになるのだ。きっとルンバだって使ってみると、案外あいまいな気持ちになるに違いないよ。…などと虚空にむかって言い聞かせながら年末家電セールのページをそっと閉じる。

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