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今日も意識高いですよ〜!

さてさて、今年もそろそろ終わりに近づき、いわゆる『師走の果て』とでも申し上げましょうか。
僕の暮らしている街では、閑散して年末の雰囲気が出ている今日この頃です。
もちろん、ものすごく忙しい方々もいらっしゃると思いますが、大多数はそうなんだろうな〜と思います。

今回もNOTEのお題に沿ってお話しできたらな〜と、思います。
今回のお題ですが、『30年後のあったらいいな』と言う題目です。


30年後の事を予想する、もしくは希望するということが既に難しいですよね〜。
まあそれはなぜかと言うと、恐らくなのですが環境がものすごく変化をしている様な気がします。
いつになるかはわかりませんが新しい通信帯域『5G』

仮想通貨で一躍トレンドワードに昇った『ブロックチェーン


次世代の車社会での必須の技術?自動運転



他にも様々な発展途中な技術が巷では叫ばれているわけですが、
僕個人が言えることはただ一つ、


『もう、人の手に負えない』


そんな状況になると思います。

AIの技術もそうだし、医療関係でもとんでもないくらい進化を遂げると予想して
僕の30年後のあったらいいなというものは、


『自分の人生を自分で決断し、自分として人生を全うしたい。』


この選択肢ができる世の中になって欲しいな〜と、思います。


少しネガティブな話になりますが、僕が思うに、いくら技術が発展しても人間から『死』というものを取り除くのはまだ難しいと思うのです。

説明としては極端なのですが、もし仮に隕石が地球に落ちてきたとします。

その影響で地球が完全に粉々になって、絶対に人間が助からない、
そんな状況なら死を覚悟する間もなく、
もしくは急な宣告を受け入れなければならない。
そんな状況になると思います。

そこでなんですが、僕はこう考えるわけです。


『このまま地球が消滅したら

人として人生が終焉を迎えるのではなく

    「モノ」として死を受け入れないといけない。』



正直、これはものすごく僕は怖いです。

殺人予告を半ば受け入れろと強制されているのと恐らく同義であると思うのです。

僕はまだ32年しかこの現世で活動していませんが、されど32年です。
この『32年間』が自分の生きてきた足跡だと思いますし、自分の財産そのものであると思います!

短絡的ではありますが、今現在の世間一般と言われる教育を受けてきたこの時間は、自分の中での有様を形づけるものとしては十分なものであると思います。

今後人類というものはサイボーグ化して機械と同調して
生きていくことになるのではなかろうか?

そうなってきたらもう自分たちが学んできた道徳、哲学、倫理などは全くついていけないと思うのです。

そういったものが、認識を変えて自分の中の、世の中の常識がアップグレードしていっていくと思うのですが、そうなるといよいよ人間が『人」から『ヒト』として捉えられるような社会になると思うのです。

そうなってくると進化のスピードもどんどん加速して、人という価値観がどんどんなくなっていくような気がするのです。


その時に自分で終わりを選択できる、そんな時代に30年後なって欲しいです。


これはもちろん進化をやめて欲しいということではなく

大半の人がこれを受け入れていくと思います。

僕は新しい技術の発展をものすごく心待ちにしていますし、昔の方が良かったという『懐古』に浸りたいというわけではないのですが、両方の良さを容認できるという自信があるが故に、全てをまとめて言葉にすると、


『技術の進化と共に、思い出や気持ちが
留まり続けられる世の中。』

それが30年後にあったらいいなと、

思います。





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