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毒屋、「蝟」。

 人の闇が蠢く街、「闇の街」。
 都内にあるこの街は、そう呼ばれている。己の欲望や利益の為なら、他人の人生や命でさえも利用する。そんな化け物達が、闇の街に棲息している。
 ある目的地を目指し、僕は闇の街のラブホ街を歩いている。
 ラブホに設置された照明から放たれる紫色やピンク色といった妖しい色の光が、夜道を照らす。ラブホに挟まれた路地を、手を繋ぐ若いカップルや老夫婦、風俗嬢、サラリーマンが行き来する。ラブホの前に立つのは、街娼か。そこら中を、熱気のような性欲が漂っている。
 アングラ街ライターである僕がここを訪れたのは、エロ目的ではない。
 小さめのラブホが並ぶ、とある路地裏に入った。その中に、「蝟」とネオン管で形作られた物が、屋根の下辺りに取り付けられた建物がある。紫色の妖しい光を放つネオンサインがよく目立つこのお店は、蝟という名前の毒屋だ。
 青みがかった鉄製のドアに取り付けられた、縦に長いコの字型のドアノブを握り、体重をかける。ドアの上辺りにあるフックにかけられた紫色に光る円形の照明が揺れた。
 まるで異世界に迷い込んだような紫色の妖しい光が、広くはない空間を包んでいる。日常では浴びることのない色の光に、映画の中の登場人物になったかのような興奮を覚えた。店内には、3列に並べられた商品棚が奥に伸びるように設置されている。
 恐る恐る、僕は左側と真ん中にある商品棚に挟まれた通路を進む。客は僕を含めて、3人。誰も口を開かない。静かな空間に水が沸騰しているような、ぼこぼこぼこという音が響いている。
 商品棚には、紫や黄緑、紫等の毒々しい色の液体が入ったビーカーやフラスコ、メスシリンダーが並んでいる。これ等が商品である毒だろう。
 店の奥に勉強机程の大きさの硝子ケースをカウンター代わりにして客を待つ、20代後半ぐらいの男がいた。彼は煙草を吹かし、カウンターの上にある硝子製の灰皿に灰を落としていた。煙草が当たる度、灰皿の中に収められた紫色の液体がぬらぬらと揺れる。
 男と目が合った。一重の奥にある死んだ魚のような目が異様な色気を放っていた。
「いらっしゃいませー」
 男は面倒臭そうに小さな声で僕に挨拶をすると、再び煙草を口に咥えた。
 間違いない。彼が毒屋の店主、蝟だ。寝癖の目立つ黒髪で、黒色の長袖Tシャツを着て、黒色のワイドパンツと黒色のサンダルを履いている。右手の甲には、黒色の蝟の刺青が彫られてある。事前に聞いていた蝟の見た目と同じだった。
 興奮を抑えつつ蝟に話しかけようとしたら、突如彼は煙草を灰皿の底に押し付けて立ち上がった。そして、1番左側の通路へ勢いよく入っていった。その時、ぎらりと光る物を蝟の右手に見た気がした。
「ぶあぁっ」
 蝟が向かった左側の通路から呻き声のようなものが聞こえた後、どすんと何かが倒れるような音も続いた。
 気になったので、僕も物騒な音が聞こえた通路へと足を運んだ。
 蝟がこちらに背を向けるようにして立っていた。彼の視線の先には、先程まで商品を眺めていた巨漢の客が痙攣しながら倒れていた。
 巨漢の客が動かなくなるのを見下ろしながら、蝟は両手で頭を抱えた。
「あー……。面倒臭い。面倒臭い面倒臭い。また、殺っちまった。あー、あーーー……」
 何やら呟き続けながら、蝟はズボンのポケットからスマホを取り出して画面を右耳に当てた。
「あ、『屍蟹』? 俺、蝟。あー、そう。依頼。仕事の。場所? 店。俺の。1人。でかい男。多分、190センチぐらいある」
 男が電話を切るまでの2,3分の間に、僕以外にいた唯一の1人客は帰ってしまった。
 蝟はスマホをポケットに仕舞うと、僕を見上げた。
「何? 何か用?」
 闇の街に住んでいると、感覚がおかしくなる。この街の住人は、犯罪を犯したところを人に見られたからと言って動揺なんかしない。犯行の目撃者(僕)を目の前にしても、蝟は死んだ魚の目のままだ。闇の街では、人殺しが毎日のように行われている。だが、何故か警察は動かない。だから、犯罪者は堂々とこの街で生きることが出来る。そんなイカれた街、日本では珍しいだろう。
「……何で、殺したんですか?」
「何でそんなことを聞く?」と言いたそうな顔をして首を傾けた後、蝟は答えた。
「こいつが万引きしようとしてたから。俺ならバレないとでも思ったのか? ……馬鹿にしやがって。馬鹿にしやがって! だからな、ほら、これ、即効性のある毒をぶち込んでやった!」
 話すにつれヒートアップしていく蝟が見せてくれたのは、右手に握った空の注射器だった。
「これ! これん中入ってた毒を! あの馬鹿でか鈍間豚野郎の首に針をぶっ刺して注入してやった!」
 そこまで言い終えると、蝟は我に返ったような顔をした。気まずそうに、毒の説明を続ける。
「……どんなにでかい奴でも、この毒なら一瞬で仕留めることが出来るんだ。『隼』って呼ばれてる」
 蝟は我を失って大声を出したことに耐えられなくなったのか、新たな煙草を咥えてカウンターの後ろに置かれた丸椅子に座った。そして、ライターで煙草に火を点ける。
「で、何か目ぼしいものでも?」
 煙を吐き出しながら、蝟が尋ねた。
 聞きたいことは色々あるが、彼の機嫌を損ねると僕の命も危ういことが分かった。深掘りするのは、止めておこう。
「護身用の毒とか、あったりしますかね」
「あるよ」
 蝟は煙草を咥えたまま、1番右側の通路へ向かった。手前にある商品棚の1番上の段から、小瓶に入った紫色の毒を手に取る。
「『毛蟲』って毒。これを相手にかけたら、毒が触れた部分が痒くなって何も出来なくなる。地面の上で転げ回りながら、身体を掻き毟る以外は」
 毒について語る蝟の目は、輝いていた。
「それ、いいですね。買います、毛蟲」
 僕は蝟の熱を持った瞳に、頰が緩みかけた。他者から見てどれだけ変でも、理解されなくても、自分が好きだと感じたものに対して、率直な愛を注げる人は見ていて気持ちがいい。
「相手を痒くさせる毒って、何だか可愛いですね」
 カウンターに戻った蝟に、商品棚に貼ってあった値札に記されていた金額の金を渡した。
「だろ。毎度あり」
 ドアの開く音が聞こえた。
「おー、屍蟹ー」
 蝟が出入り口に向かって、煙草を持つ左手を軽く上げた。
 足音が近付いてくる。
「俺は毒が好きだ」
 蝟は再度こちらに顔を向けると、死んだ魚のような目でまっすぐ僕の目を捉えた。
「最期は毒に塗れて人生を終えたいぐらいに。この街の客は、己の欲望を満たす為に毒を買っていく。彼等にとって毒は、何かを成し遂げる為の手段でしかない。道具でしかない。毒が可哀想だ。毒に対する愛情がない。だけど、君は毒に対して興味を持ってくれている。ただの興味に過ぎないかもしれないけど、興味は愛だ。毒に対して敬意も糞もないあんな塵屑野郎と比べたら、百億倍もの愛がある」
 蝟は、僕に毛蟲を手渡した。
「今来た屍蟹って死体掃除屋は、俺の店の毒を使って仕事してる。毒に興味があるなら、毒を使った死体掃除の現場、見せてもらいな。俺が彼女に話し付けてやるよ」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」
 言えない。僕にとっての毒も、いい記事を書く為の道具に過ぎないだなんて、絶対に言えない。

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