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ラジオを祀る、とある教団について。

 本日は、「ラジオを祀る、とある教団」について書きたいと思う。
 僕が主に取材しているこの街は、様々な闇が蠢いている。金や性欲、その他の特殊な性癖……。街の住人の殆どは、己の欲望を満たす為に犯罪であろうと関係なく動いている。だが、極稀に目的が分からない存在がいる。何の為に? いくら考えても、答えが見付からない。
 今回は、そんな不可解な集団を取材してきた。
 

*

 目的地を目指して、夜の居酒屋街を進む。狭い道の両側には、居酒屋やスナック等がところ狭しと並んでいる。電飾看板や赤提灯、古びた街路灯が道を照らす。
 焼き鳥屋から煙が流れ出ている。成熟した猫ぐらい大きな鼠が、店と店の隙間から店と店の隙間へと逃げ込む。「へい、いらっしゃーい!」という威勢のいい店員の声が聞こえてくる。
 居酒屋街特有の熱気に包まれながら、目的の建物の前に到着した。
 2階建ての古びた建物。1階は居酒屋。錆だらけの外階段が設置されており、2階へ繋がっている。2階の窓は黒いカーテンが閉め切られており、中は見えない。
 向かう先は、2階の部屋。
 階段に足を乗せると、案の定、ぎぃ、と軋む音がした。
 ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ……。
 登っていく度に鳴る悲鳴にも似た音が、元々あった不安を増幅させる。地上では賑やかな音や声が飛び交っている筈なのに、耳には一切届いていない。
 2階に到着すると、黄ばんだ白色のドアがあった。
 勇気を振り絞り、円柱型のドアノブを掴む。この世の物だとは思えないぐらい冷たく感じる。それでも、アングラ街ライターとして、先へ進まなければならない。ドアノブを回して、ドアを引いた。
 ぎぃぃぃぃぃぃ……。
 なるべく音が鳴らないよう慎重にドアを開けたつもりなのに、不快な鋭い音が辺りに響く。
 中に真っ暗な廊下が見えた。玄関には、いくつもの黒色の革靴が綺麗に並べられている。ゆっくりとドアを閉め、脱いだ革靴を1番外側の列に並べた。
 事前に得た情報だと、目的の部屋は玄関から廊下を見て、右側の1番手前にある和室とのことだった。
 確かに、和室に繋がると思われる引き戸があった。戸の向こうから、何とも言い表し難い、何人もの暗くて不気味な声が漏れている。
 心臓をばくばくと鳴らしながら、引き戸を開く。
 ひんやりとした空気が、全身を撫でた。
 そこは、鳥肌が立つぐらい異様な光景が広がる、6畳の和室だった。
 まず目に入ったのは、ラジオだった。部屋の奥に押し入れがあり、その正面に設置された小さな木製の机の上に、1台のラジオが置かれていた。ラジオの両脇には、火の灯った蝋燭が1本ずつある。部屋の明かりは、その蝋燭の火だけだった為、余計に目立っていたんだと思う。
 次に目に付いたのは、遺影だ。顔の部分が何かで黒く塗り潰されている。そんな遺影が、押し入れがある壁以外の3面の壁上部に取り付けられていた。
 1つ1つの遺影の下に、壁に身体の正面を向けた喪服を着た人が1人ずつ立っていた。老若男女、様々だった。
 それ以外にも、喪服の人々がいる。ラジオが置かれた机の前から、座布団が縦3列、横5列と綺麗に並べて敷かれている。その上に、喪服の人々が無言でラジオを見ながら正座をしていた。前から4列目までは、既に埋まっている。
 5列目の1番左側(引き戸側)に、恐る恐る僕は正座した。
 不気味な光景を眺めながら、噂通りだと思った。
 この街には、ラジオを祀る教団がある。
 本当だったんだ。ラジオを祀る儀式は定期的に開催されており、信者ではなくとも誰でも参加出来る。儀式は1回に付き30分。途中参加は可能だが、途中退出は不可能らしい。儀式の内容が気になった僕は、いいネタになると思い、参加してみることにした。
 だが、身体中が全力でこの空間を拒絶している。記事なんてどうでもいい。今すぐここから抜け出せ、と。
 そう思わせた1番の要因は、部屋中に響き渡るお経のようなものだった。遺影の下にいる喪服の人々から、発せられている。日本語のように聞こえるが、何を言っているのかは聞き取れない。泣いているようにも笑っているようにも感じる、何とも言えない声の震わせ方をしていることが原因だと思う。
「……おぎぎぎぎ……泣き声を……臍の緒……咽び泣く……おぎぎぎぎ……」
 ラジオからは、無感情な女の声が流れている。まるで出来の悪いロボットに原稿を読まさせているような、抑揚のなさ。
 音質が悪かった為、僕は耳を澄ませた。

「おぎぎぎぎ おぎぎぎぎ
 白の世界 産声を
 ずりりりりゅ ずりりりりゅ
 黒の世界 泣き声を
 それでも臍の緒 繋がりて
 断つ恐ろしさに 咽び泣く
 海の導き 神への誘い」

 歌のようなものが、無感情な女の声でラジオから繰り返し流され続けていた。
 部屋の薄暗さ、和室特有の匂い、顔が黒く塗りつぶされた遺影、喪服の人々のお経、ラジオから流れる歌……。全てが気持ち悪かった。何を目的とした集団なのか全く分からないことが、気持ち悪さを増幅させている。
 何故、ラジオを祀っているのか? 誰が信者なのか? 何故、信者ではない者も儀式に参加可能なのか? そもそも、教団なのか?
 様々な疑問が頭の中に浮かぶも、一言でも言葉を発することが躊躇われた。また、これ以上、この教団に関わってはいけないとも感じた。
「まことくん」
 喪服の人々のお経とラジオの歌に混ざって、誰かの名前を呼ぶような声が聞こえた。
 神経を集中させ、先程の声の元を辿る。
「……まことくん……まことくん……まことくん……」
 老いた女の声だと分かった。前方から聞こえる。そちらに顔を向けると、押し入れが目に入った。開いた襖の先、押し入れの2段目に、人影が見えた。暗闇に目を慣らすと、襖に右半身を隠した老婆が見えた。正座をする彼女は、全裸だった。よぼよぼの身体を埋め尽くすように、文字が書かれている。何が記されているのかは、暗さと文字の崩し具合で一切読み取れなかった。
「……まことくん……まことくん……まことくん……まことくん……まことくん……」
 全裸の老婆は、虚な目で同じ言葉を繰り返している。
 まことくんとは、一体誰のことなのか。
 そんなことを考えていたら、老婆と目が合った。すると、彼女は本当に嬉しそうな目をして、微笑んだ。黄ばんだ歯が、とても汚らしかった。
「まことくんの、器になれますよ」
 老婆の言葉に、背中に冷たいものが走ったような感覚になった。今すぐにでも立ち上がって、その場から逃げ出したかった。
 そうしなかったのは、途中退出が許されていないから。掟を破ったら、何をされるのか皆目見当が付かない。
 お経と歌を聴きながら、全裸の老婆に見つめられる数十分は、地獄のように長く感じた。

*

 ラジオを祀る教団。目的不明の集団。
 儀式が終了したら、座布団に座っていた人々と一緒に部屋を出て、外階段を使って降りた。地上に足を下ろし、居酒屋街の音を耳にした時は、これまでにない安堵感を覚えた。
 何をしているのか分からない存在が、1番怖い。目に見えて悪だと分かる奴等よりも。
 教団名は知っている。だが、敢えて、ここには記さないことにする。これ以上、関わりたくないから。そして、相手に自分の存在を認知されたくないから。
「まことくんの、器になれますよ」
 押し入れにいた全裸の老婆の心底嬉しそうな笑みが、ずっと脳裏にこびり付いて離れない。
 それでも、この記事を公開したのは、儀式が行われなくなったという情報が入ったから。
 後日、あの建物に行ったら、1階にあった居酒屋ごと、もぬけの殻になっていた。大きくて邪悪な生き物があの建物からいなくなったみたいに、廃墟同然の建物になっていた。
 1階の窓に貼られた「テナント募集」と記されたポスターから、諦めに似た虚しさを感じた。

*

 以上が、今回の取材内容である。教団名を除いて、この記事に書いたことが僕の知る情報だ。
 ラジオを祀る、とある教団について。
 何か分かったことがあったとしても、詮索しないで頂きたい。
 しない方が、いいと思う。

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