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エッセイを読みながら それでも世界はなくならない

最近立て続けにエッセイを読んだ。村上春樹と江國香織。幼少期から知っており日本を代表する同時代に生き作品を発表し続けている2人。本が好きな人なら一度は手に取ったことがあるのではないだろうか。例にもれず私も2人の作品を10代から読んできた。大ファンというわけではない。それでもノルウェイの森やねじまき鳥のクロニクルには夢中になったし、すいかの匂いやその他の短編はふと時間がある時に読むにはぴったりだった。

今回は「遠い太鼓」村上春樹著、「物語のなかとそと」江國香織著というエッセイを。2人の作品を読むのは久しぶり。日本、村上は世界でもだが有名な作家の作品を読みたいと思ったのも海外に移住したからな気がする。遠い太鼓は1986年から3年余りヨーロッパに滞在した記録なので、ヨーロッパ在住者には特におすすめだ。時代も違うだろうが、ギリシャやイタリアの何でもない島や町に行きたくなる。当時は日本人は珍しかっただろうが、子ども達にカンフーをふっかけられたら応えてあげる村上春樹に驚いた。意外とフランクな人なんだな。まだノルウェイの森で大ブレイクする前だったので普通の人の感覚が大きかったのかもだけど。

とにかく驚いたのは彼がどこでも書いているということ。作家だから当たり前なのだがロンドンではほとんど人と話さずずっと書いている。小説につまづくと息抜きとして翻訳をしている。彼の世界は書く読むでまわっている。そしてこんな大作家でも他者からの批判を恐れたり、作品がつまらなかったらどうしようと思っているなんて安心というかびっくりした。書くことが彼には経験することで生きることなんだ。

江國香織のエッセイでもそれは同じ。インターネットもテレビもつけられないらしい彼女はほとんどの時間を読むことと書くことに費やしている。そしてお酒を飲んだり美味しいものを食べたり。彼女の小説の主人公はよく浮世離れしており生活感がないなと思っていたけど、彼女自身がそうだったのだ。インターネットもパソコンも使わず仕事は紙とペンらしい。夫に話したら、日本ではまだそれでも生きられるけどヨーロッパではもう無理だよねと。確かにベルギーではあらゆるものが電子化、市役所の予約もオンラインだし電話はできると思うが電子機器が苦手な人には生きづらいかもしれない。

今回のエッセイでは彼女の文章の滑らかさと軽やかさ、読みやすさとそこに含まれる物語性に引き付けられた。魔術師のように言葉を操りそれを感じさせない軽やかさに圧倒された。小説より好きかも。以前VERYに連載されていた気になっていた「抱擁、あるいはライスには塩を」を今度は読みたい。彼女はタイトルもいつもいいよなーと、自分のセンスのないnoteのタイトルをみて思う。

2人に共通して思うこと、それは本の世界に生きているということ。書くこと読むことに人生のほとんどを費やしている。わたしはずっと本の世界に生きることが現実から逃げているようで怖かった。何かを逃している気がした。就職したIT系会社で苦手だったパソコンやソフトウェアを学び、経営企画室で上場や企業買収や株や投資を学び社会を知った気になっていた。気が進まない飲み会でも社交でも二つ返事で出かけた。どこの誰とも覚えてない人と話しお酒を飲むのが世界と通じることだと思っていたのだ。

今は違う。本を読んだり書いたりしていても世界は決して逃げないしなくならない。


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