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ワークショップの苦手意識から生まれた新しい視点

現在、自分が取り組んでいる子供を対象とした美術教育の根底には、過去に自分が各地で行ってきたワークショップでの経験と気づきが反映されています。そこで、今回はワークショップについて書きたいと思います。

自分はアーティストとして、これまで美術館で作品を発表したり、街中でのアートプロジェクトに参加してきましたが、作品を展示することとは別に、主催者からワークショップを依頼されることがあります。

でも実は、ワークショップにはずっと苦手意識がありました。
アーティストの中にはワークショップを得意とする人もいて、作品発表よりもワークショップの方が需要があり、作家としての収入源のほとんどがワークショップの講師料だという人さえいるそうです。

自分の場合はハッキリ言って不得意でした。キャリアの最初の頃は、ワークショップを依頼される度に、内心では自信がなくて困っていたほどです。

何に困っていたのか。
まず、内容を考えられない。美大で勉強していた頃から、「つくること」しかしていないので、ワークショップに関する知識や、思考の積み重ねが全くありませんでした。言うなれば、無免許で車を運転するくらいの不安な心持ちです。つまり、自分の経験値不足による苦手意識だと、当時は捉えていました。でも実際には自分自身の考え方に原因があったのです。

とにかく最初の頃は自分一人では何も思いつかないので、主催者に頼るしかありません。担当する学芸員さんと一緒に実現できるアイデアを考え、何とか助けてもらいながら実施してきました。

よくある王道のパターンとして、作家固有の制作方法、あるいは扱っている材料を踏襲して、参加者に同じ制作方法を体験してもらうワークショップがあります。見本となるアーティストの作品があった上で、「〇〇を使って、〇〇を作ってみよう」といった形式ですね。参加者がつくったものの出来栄えはともかく、アーティストの制作体験を追体験できる訳です。

自分に関して言えば、ずっと映像を扱い、それもモニターを使うのではなく、映像を実空間に投影することで作品を成立させてきたので、必然的にプロジェクターを使ったワークショップを行ってきました。プロジェクターから映しだす映像に関しては、ワークショップ内の短時間では作れないので、そこは割り切って、自分の映像作品をパソコンから出力して投影してもらいました。

唯一、変わっている点としては、「何を映すか」よりも、「何に映すのか」という視点が自分の作品では重要だったので、ワークショップでも普段スクリーンにならないような素材や、場所に映像を映すことによって、その場や素材で起きる「作用」を参加者に発見してもらうことを主目的としていました。そんな映像を使ったワークショップをこれまで横浜美術館(09年)、広島市現代美術館(12年)、松本市美術館(12年)などで行ってきました。

▲2009年の横浜美術館でのワークショップ(企画:庄司尚子)懐かしい〜。

そうそう、広島市現代美術館では、小学生20人が対象でした。使用できるプロジェクターの数の制約上、2つのグループに分かれてもらったのですが、片方のグループが途中で喧嘩してしまい、泣き出してしまう子がいたのを今でも鮮明に覚えています。子供達だけのワークショップが初めてだったということもあり、自分のファシリテーション能力のなさはもちろん、ワークショップの設計に無理があるまま進めてしまったことを、帰りの新幹線で深く反省したのは懐かしい思い出です。

そんな苦手意識を払拭できたきっかけは、2013年に群馬県立近代美術館で行ったワークショップでした。その時も対象は小学生だけです。もちろん広島での苦い経験が蘇りました。そこで思い切ってワークショップに対する自分の考え方を大きく変えることにしたのです。まず何をしたか?

プロジェクターを使うことをやめ、「つくること」自体もやめてみました。

結論を先に言うと、「自分のお金をつくろう」というドキッとするタイトルのワークショップを企画しました。このワークショップについては、自分が考える美術教育を語る上で、重要な視点がふくまれているため、別の機会に詳しく紹介したいと思います。

それでは何故、群馬では今までのようにプロジェクターを使わず、つくることさえもやめたのかについて説明したいと思います。

それまでは「つくること」に固執している自分がいました。ワークショップを受講する子供達(あるいは受講させたい親御さん達)も、きっと何かをつくることを目的に集まってきているはずです。でも、当たり前なことですが、美術の体験というのは「つくること」だけではありません。

それはアーティストである自分も同じことです。実際にアート作品をつくる前には、興味を覚えるものに出会い、調べて、自分なりの視点で考えてみる。そうしたプロセスを経て、アートは生まれるし、そのプロセスそのものに、アートにとっての大事な技術が宿っているようにも思えます。

ワークショップを通して自分がやれることは、参加者と一緒に何かをつくることだけではなかったのです。アーティストとして、自分がこれまで培ってきた「観る」、「調べる」、「考える」ことを主体にしたワークショップでも十分に展開できるということが、その時の実体験として分かりました。
むしろ、そうした「考えること」を主眼においた内容のほうが自分は楽しかったし、向いているのだと感じました。

自分にとって、この発想の転換は大きな気づきでした。
「ワークショップって、面白いかも」と感じ始めたのはその頃からです。
たとえ、どんな内容になっても、アーティストとしての自分の視点さえ入っていれば、そのやり方や切り口はどこまでも自由なんだと思えるようになったのです。その後も映像を扱う作家だったら、普通ならやらないようなワークショップをいくつも行ってきました(花びら染めやキャンドル作りetc.)

2020年から新たに始めているオンラインによる美術講座は、実は2013年に群馬で行った子供達とのワークショップから気づいたことが下敷きになっています。つまり、自分が苦手だと思いこんでいたワークショップをきっかけにして生まれたアイデアだったのです。

あの時、思い切って考え方を変えたことが、大袈裟ですが、その後の自分の人生を変えてくれたようにも思います。自分の固執したやり方を疑うこと、そして視点を変えて物事を考え直してみることは、まさにアートという営みを通して、自分が身を持って学んできたことの一つだったと言えます。

作品制作のための取材をはじめ、アーティストとしての活動費に使わせていただきます。