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アレですから、ごゆっくり。

三月最初の週末、両親に会いに行った。
少し春めいてきた休日の電車の旅は、車窓も車内もおだやかでのんびりしている。
今回のビールのお供は、とろたく巻き。うまい。大正解。
この至福の時間だけでも、出かけてよかったと思う。


家に入ると、雛人形が飾ってあった。
元々は豪華絢爛七段飾りだったが、両親が地方移住する際にお内裏様とお雛様だけとなった。

私の初節句のために祖父母が用意してくれたもので、人形の街として有名な埼玉の岩槻まで買いに行ってくれたそうだ。生まれたばかりの私に注がれたたくさんの愛情を思うと、改めて感謝したくなる。
四十年以上も前の人形だが、着物も御髪もまだきれいだし、お顔立ちも上品で美しい。凜とした眼差しで、正面に座る私を見ていらっしゃる。
少しばつがわるい気がして、「嫁いでなくてすみません」なんて言いそうになる。
いや、親はちゃんと毎年早めに片付けてくれてたんですけどね、私がどうもアレでして・・・などと、言い訳なんかもしたりして。

入浴を済まして出てくると、台所から両親の会話が聞こえてきた。
父「お雛様いつ仕舞うの?」
母「もうちょっと出しておきましょうよ」
父「出しっぱなしは良くないんじゃないの?」
母「いまさら早く仕舞ったって別にもう、アレでしょ。」

「アレってなんだよ」と心の中で突っこみつつ、私は静かに、いったん脱衣所に戻った。そのまま出ていって一緒に笑ってもよかったのだが、なんとなく、そうしなかった。
それにしても、「アレ」って便利な言葉だ。

帰る日の朝、母と一緒に人形を仕舞った。
片付けながら、初節句の時は親戚が大勢集まって賑やかだったことや、七段飾りは当時の家には大きすぎて大変だったことなど、昔の話を聞いた。毎年こうやって雛人形を出すたびに、私やきょうだいが小さかった頃のことを思い出せるのだという。
「お金がなくて大変な時もあったけど、それでもあの頃は楽しかったわ」
それは、母の心からの言葉だろう。
そしていつものように、「今あなたが毎日楽しく過ごせてるなら、それが親にとって一番の幸せ」と言ってくれるのだった。

その後も昔話が続いた。
ちらし寿司と一緒に唐揚げをリクエストしたこと。
お内裏様の烏帽子の紐が切れて、麻紐で代用した年があったこと。
私がきょうだいの鼻の穴に雛あられを詰めたら取れなくなってしまった“事件”の話では、涙が出るくらい大笑いした。
水分を含んでどんどん膨らむあられ、泣きはじめる幼いきょうだい、母に見つからないようにその口をふさぐ私・・・ぜんぶ鮮明に覚えている。母にこっぴどく叱られ、結局は私も泣いたのだった。

そんな家族のいろいろを、ずっと見ていてくれたお雛様。
また来年お会いしましょうとご挨拶して、箱にしまった。
来年の桃の節句に来られるかはわからないけれど、きっと母は飾ってくれるだろう。急いで片付ける必要もないから、また、ゆっくりと。


雛人形など年中行事に使うものを整理した話はこちらで書いています。
なんとも潔い断捨離でした。


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