沢山の自己否定を抱えたまま恋して、そしてお別れした話

それはよくある大学のサークルでの出会いで、話してすぐにこの人が好きだと思った。
目的に一直線な私だから、すぐに声をかけてデートの機会を設けてもらった。

初めてのデート、一緒に夕飯を食べて、そのあとカフェに入った。
わたしはそこで不眠症で眠剤を使っている話、どうしても薬を飲みたくなくて寝る時間が遅くなったり授業に遅刻をしたりする話をした。
彼はそれを聞いて、怠惰だね、と言って私のことを笑いながら叱った。

薬を処方してもらってもなお健康な生活が送れない自分のことを、私はすべて自分の怠惰のせいだと思っていたから、この人は本当によくわかっていると思った。

今の自分はさぼっているだけで、もし頑張ることができればまともな時間に薬を飲んで毎朝ちゃんと起きることができると信じていたから、叱ってくれるこの人と一緒にいれば自分は変われると心の底から思った。

寝る起きる以外にも、お風呂に入る、メイクを落とす、着替えるなど、自分の生活にかかわるすべてのことが私はうまくできなかった。
それら全てを難なくこなす人に私はひどく憧れていて、自分も頑張れば本当はできるんだ!と思って無理をしては倒れる、といったことを元々繰り返していた。

彼にこの手の話をすれば、じゃあ今からメイク落とそうか、とか、お風呂入りな、待っててあげるから、とか言って私にエンジンをかけてくれた。

そういう声かけを一つ一つしてくれるたびに、私にはこの人しかいないと思った。

彼は生活を一切の問題なくこなせるから、私は常に、彼に対して羨望の眼差しを向けていた。
別れた今だってどうしようもなく憧れている。

憧れの人が、自分の生活を支えてくれる。これ以上ない恋の形だった。




問題が露呈してきたのは付き合って1カ月くらいのことである。



わたしの告白をきっかけに付き合いだしてから、起きる、通学する、といった健康な生活をするための手助けをずっとしてくれていた。
でも、 今までまともな生活を送ってきていない人間が、たかが1カ月で簡単に変われるわけがない。

だんだんと、彼に声掛けをしてもらっても思うように体が動かない日が増えてきた。
それでも彼は私に、頑張れ、できるよ、ちょっとずつ動いてみようと言い続けていた。

きっと彼なりの優しさだったのだと思う。
私が変わりたいというから、その言葉に応えてくれていただけなのだろう。

しかしそれは少しずつストレスに代わっていった。
パニックの回数がはるかに増え、今まで絶対にやったことのなかった自傷が始まり、食事が思うように取れなくなり体重は3kg落ちた。

頑張れない自分のことが本当に許せなくて本当に嫌いだった。

何度か、優しさなのはわかっているけどこれ以上言われたら本当に死んでしまうと伝えたことがある。
そのたびに、大丈夫分かってるよ、頑張ろうね、と言われた。


付き合って僅か2カ月で、勉強と自分のことを何よりも優先したい彼に、今月はテストがあって勉強したいから会えないよと言われ、言われるがまま1か月会わない期間に入った。
基本的に我儘はほとんど言えない私だったが、本当は毎週会いたいくらいだったから、一度だけ会ってくれとお願いして時間を作ってもらった。
お互い予定をこなした後の数十分だけ、2人が共通して利用する駅で立ち話をした。

彼はなんだか今までとは全く違った雰囲気の人になっていた。

自分のことができない私は勉強もまともにできないし、そもそも遅刻が多く単位もギリギリだった。
待ち合わせをして、軽く挨拶をして、雑談の気持ちで、この授業ちょっとギリギリなんだよね、と伝えたところ、「うーん、俺に言われてもちゃんと大学行って勉強すればよくない?としか思わないからその話しなくていいよ」と言われた。
本当に今までの彼とは別人のようだった。
確かに私に改善を促すようなセリフを言い続ける人だったけれど、ここまで突き放されたことはなかった。この他の会話はもうあまり覚えていないけど、似たようなことをたくさん言われたと思う。

家に帰ってからは、やることができない自分への嫌悪感と急な彼の態度の変化を消化できずに酷くパニックになった。


ここから二週間、彼と連絡を取るのを辞め、友達の手を借りながら沢山脳内整理をした。
たくさんたくさん考えたけど、彼が急に変わったこと以前に、こんなにパニックになって体をぼろぼろにしてしまう人とは一緒にいてはいけないと思いお別れすることにした。

もうちょっと歩み寄りの努力をしてもいいんじゃないと言ってくれた友人もいたが、もうこれ以上私の体に自傷跡を増やしたくなかった。

数週間ぶりに会い別れ話をした時、泣きながらいろんな話をする私に対して、彼は俺ももういいと思うよ、俺が全部悪いから、以外何も言わなかった。

未だに彼の急な変化のきっかけは分からない。
扱いづらい私のことがめんどくさくなったのかもしれないし、単純な倦怠期だったのかもしれない。
変化だと私が思ってしまっただけで、そういう面を元々持ち合わせていたのかもしれない。
勉強に強くこだわりのある人だったから、私がちゃんと勉強ができないことに苛立ちを覚えたのかなぁとも思ったりもする。

わたしはこの一件で、他人に自立の助けを求めることってやっぱり駄目なんだなぁとたくさんの傷とともに体感し、自分の否定癖と鬱に全力で向き合おうと思うようになった。

不安が原因で詰めまくっていた予定を減らし、本を読んでなんとなく思ったことを書きだしたり、事実と認知を分ける作業をしたり、自分と向き合う時間を増やした。比べてしまうような投稿が流れてくるSNSも極力遠ざけるようになった。この努力が正しいのかどうかはきっと数年後にならないとわからないから、今はゆっくり、自分を責めないように、思いつくことを一つ一つこなしている。


憧れの人、きっかけをくれて本当にありがとう。
今はまだ、あなたとの別れと存在の刺激が強すぎて、冷静に話はできそうにないけど、もししばらくたって、落ち着いて話せるようになった時、また少しだけお話ししてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?