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小学校からして超ハードル高い件

入学前の健康診断

男の子と女の子に分けられて、上級生が案内するという仕組みだったようだが、男の子に分類されていて、そのことに最後まで気づくことはなかった。
後になって、母から何度もその話を聞いた。間違われたのよ、と。

入学式

全く気づかなかったが、当時は子ども向けのパンツスーツを着た女の子はいなかったのだろう。入学式のすぐあとで教室に入ってからも、なんとなく疎外感があった。

担任の女性教員のことを、今でも母は言う。「お宅では○○ちゃんを男の子としてお育てですか」と聞かれた、という話。母は怒って「本人の希望でそういう格好をしている」と言った、らしい。

でも、「男の子として」とか「女の子として」育てるとかじゃなくて、それは親が決めることではないし。それを母は言ったのだろうと思うけど。

でも、「フリフリのスカートとか着せてみたい」などと母は時々言うのだった。罪悪感が募った。

ランドセルの色

1980年代半ば、ランドセルには青やピンクも出始めていたようだけれど、男の子は黒、女の子は赤と相場が決まっていて、黒でも赤でもない色を選びたかったけれど、言えなかった。勇気が無かった。赤いランドセルは、なんだか気持ちを重くした。

小学校も4年か5年くらいになると、この赤いランドセルが憎らしくて仕方なくなり、帰り道の荷物持ちゲームの時は、わざと道に放り投げたり踏んだり蹴ったりして、ボロボロにした。今は、ランドセルに申し訳ないと思う。

5年くらいのとき、ランドセル以外の鞄でも通学していいことに気づいて、紺色のリュックサックみたいなものを買ってもらった。

でも、ワガママだと感じて苦しい気持ちだった。妥協点を見出そうともがくたび、親にお金を使わせたり労力を使わせたりして、罪悪感ばかりが育っていく。

ブルマと水着

体操服が嫌いだった。ブルマとかいうパンツのようなものが嫌だった。これは女性からも不評なようだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

そのひどさは、他の人の記述に任せてしまうけれど、体育の授業、とくに球技は嫌いじゃなかったのに、その衣装だけで鬱だった。

もちろん、水着だってそうだった。プールは泳げなくても楽しかったのに、スクール水着も同じく、胸を隠すようになっているところも「(小学生なのに・胸が大きいわけじゃないのに)女性であることをアピールしてるみたいで」恥ずかしいし、お尻に食い込みそうな裾の短さもあり得なかった。(その上着るのもトイレに行くのも大変だ)

こうして、プールも嫌いになったから、泳げるようになるはずもなく、むしろサボりたいくらいに水が嫌いになった。


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