45歳以上のリストラから考える平成停滞のわけ、心理から見る平成という時代

NEC、富士通といった大手企業のリストラが一部で話題になっている。リストラは45歳以上のいわゆる中年が対象。中年が言うのもなんだが(笑)、昔から中年世代は組織にとって厄介な存在。とはいえ、背景を考えると、平成停滞の理由にも行き当たる。

一部のメディアは平成を敗北だと報じたが、敗北は勝利を感じた経験のある人が使う言葉にも思える。

個人的には平成は停滞の時代に見える。全体的に大きく前進するでもなければ、極端に後退するでもない、スピードを出していた車がアクセルを踏むことなく、惰性で進んでいき、徐々に速度を落としていくような。

社会全体はそうでも、部分となる個人は属した時期や組織によって大きく異なる。時期とは社会人デビューした時期である。

いまリストラ対象とされる45歳以上のなかには、①バブル期入社で楽して稼げる良い思いをした50代の人と、②就職氷河期で苦労をし、やっとの思いで入社した40代の人が混在している

ただでさえ、体力的な衰えが出始め、家族への配慮も求められる40代は身動きが取りにくい。若い時に良い思いをし、その後もなんやかやで過ごし、定年カウントダウン入りで諦念している50代とは異なる。氷河期世代の40代とこうしたバブル世代の50代とが同様に扱われては理不尽とも思える。

人手不足と言いながらリストラが行われる背景として、デジタル化の波がある。従来とは大きく異なる環境の変化に組織を合わせる、デジタルトランスフォーメーションをするのに組織のスリム化、若返りを図りたいのだろう。

平成が停滞したのは産業転換が進まなかったこと、企業がインパクトある事業の変革と創造をできなかったことに理由がある。(詳細は先日の投稿「日経の『平成の敗北 なぜ起きた』に異議あり」に書いた)

さらにその産業転換が進まなかった理由、企業が変革と創造をできなかった理由を考えてみたい。

着眼点や立場によりいろいろ理由は挙げられるだろうが、ここでは変革と創造を担うはずだった世代(担い手)の心理に着目したい。

いまリストラ対象となっている人もかつては若かった。これらの人が変革や創造を担うこともできたはずである。ではなぜできなかったのか?

①バブル期に楽をすることを覚えてしまったので、しんどいことに取り組む意欲が湧かなかった(50代以上の経営陣&管理職&社員)
➁就職氷河期を経験してしまったので、守りの意識が強すぎた(40代の管理職&社員)

結果、①②ともハードで新しいことに自ら挑戦する意欲や発想が湧かなかった。

そんな風に考えると、変革も創造も産業転換に繋がるようなことが起きなくても無理はない気がする。

さらに①の50代、②の40代の人が就職時に大手企業を選んだ理由を考えてみる。

①大手企業なら大きな仕事ができ、自分も成長できる(成長欲求)
➁大手企業なら安定した生活が手に入る(安全欲求)

結果、社会全体でみれば大手企業に優秀な人材が偏在した。

社数、就業者数では中小企業が多いが、中小企業は直接・間接的に大手企業の影響を大きく受ける。その大手企業はデジタル化への対応が遅れ、大手企業に偏在していた人は今、リストラの対象となっている。皮肉なものである。

そもそも、デジタルトランスフォーメーションの動きをいち早く察知しなければならなかったのは経営陣である。そしてNEC、富士通はそれができるはずの業界にいた。なのに、できなかった。

本来、経営とは変化に適応する、変化を先取りする、変化を創造することが求められる。それができていない。来るべき変化に合わせて人を育ててこなかった。

しかし、大手企業のこれまでの経営陣がそのことに対して責任を取ることも、自らを反省することもない。何より、彼ら自身は生活に困ることがない。困るのは社員とその取引先や関係する中小企業である。

こうしてみれば、大手企業の経営陣にも、その下で働き、いまリストラ対象にある人にも、取引先やその関係者にも、いずれにも言えることは外部環境の変化を受け身で捉えてきたことである。

外部環境の変化を自分事として捉えられず、他人事にしてしまっている。
誰かがなんとかしてくれる、意識・無意識の他律に依存している。

これこそが平成の産業転換、事業の変革・創造への最大の阻害要因だったのではないか。

米国に追い付け、追い越せで、米国に続けば良い時代はある意味、米国という他律に依っていた。米国を真似た政策を取り、その政策に乗っていれば良い時代は、政府という他律に依っている。

どの国でも、国の成長に企業の成長が乗り、属する個人の成長が重ねられる時代がある一定期間、存在する。この間は他律でもなんとかなるのである。

そんな時代はとうに終わっているのに、繰り返されるバブルとその後の対応に一喜一憂してしまった。そこに相次ぐ災害が加わってしまった。平成はそんな時代に思えるのだ。

つまるところ、平成は他律から抜けられなかった時代といえるのではないか。

外部環境の変化を自分事として捉えること(自分ごと化)で、自律から自立へ自らをマネジメントする必要性は高まっている

私がキャリア、起業、ビジネスのコンサルタントをしているのもそれが理由である。







歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。