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【目印を見つけるノート】864. 東京にある加藤清正ゆかりの地

暑さが戻ってきましたが、ちょっとだけ移動してお寺詣でに行ってきました。
本当はお墓参りがよかったのですが、ちょっと日射しに負けてお彼岸にまたということで。

キバナコスモスが咲き始めています。
お彼岸の頃にはたくさん咲いているのでしょう。
お盆の時期は遠くに行かないことが多いです。母方のおばあちゃんに先見の明があったのか分かりませんが、行こうと思えばすぐに行けるところにお墓があります。墓守りは伯父さんですが、ありがたいなと思います。

今日は77年前に戦争が終わった日で、お昼前に帰宅して黙祷しましたが、それも含めてお寺詣でをしたような感じです。お寺は思っていたよりは空いていましたが、それなりに人はいました。暑くて少し「もやって」いましたが、一通り広い境内を回ってきました。

これは道すがらの川沿いにあるお寺、照栄院。
山ひとつが寺域でした。
本門寺大堂への門。

懸命に生きたすべてのご先祖さまが、すべての子孫を見守ってくださいますように。

さて、こちらのお寺では、加藤清正公を祀る三重塔(お堂)を再建中です。

東京で清正公といえば白金の覚林寺が有名です。『清正公前』という交差点がありますが、その辺りです。都内の道路を走る方ならご存じでしょう。

文禄・慶長の役(朝鮮出兵)での彼の活躍と礼節がよく分かる縁起です。あとは明治神宮の一角にある『清正井』(きよまさのいど、湧水)が有名です。こちらは清正の指示で掘削したら見つかった湧水ですね。パワースポットにもなっています。

領地の肥後熊本で大規模な治水工事を采配した実績があるからできたことでしょう。

清正井。

とはいえ、
加藤清正は江戸時代を8年ほどしか知りません。一触即発の状態だった豊臣秀頼・淀の方(大坂方)と徳川家康の関係の調整をしている最中、急に倒れて亡くなったのです。数えで50になったばかりだったのではないでしょうか。もし彼がもっと長生きしていれば、大坂の陣に至る状況は多少変わったかもしれません。
それにも関わらず、
熊本(肥後)の人々は加藤清正を慕い続けましたし、加藤家が改易になった後の細川家も敬意を持ってその地を受け継ぎました。

さて、話を戻します。
こちらのお寺(本門寺)も清正公と縁があります。山門の石段、此経難持坂
(しきょうなんじざか)などは加藤清正が寄進したものですし、他にも清正の側室・正応院の寄進した塔や清正の娘(瑶林院)が嫁いだ紀州徳川家の墓所もあります。瑶林院の寄進したお堂もあります。

水野勝成の妹、清浄院が加藤清正に嫁いだということもあって、私もこちらの史跡からだいぶ情報収集😓をさせていただいています。お話も書きましたし、出てもいただきました。

此経難持坂。

ということで、このお堂再建にちょびっと協力。清正公に感謝の気持ちがたくさんありますので、ちょびっとでもお役に立てると喜んでいます。

まだお出しするかもしれませんし🤔

そのような「ありがとう」の気持ちは売るほどあるのですが。

Thanks to you, I'm much obliged.という歌詞をなぜか思いだし、この曲を。
Led Zeppelin『Rumble On』

この曲の歌詞はJ.R.R.トールキンの『指輪物語』にインスパイアされたというエピソードを読んだことがあります。『ロード・オブ・ザ・リング』と言った方が分かりやすいかもしれません。
「人生はなにかを探す旅」だというのは今でもそう思いますし、先人の皆さまのうちにもそのように捉えていた方はいるのではないでしょうか。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 旅はどうでしたか😊

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