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【目印を見つけるノート】463. きみがぼくをしってる

7月9日(金)終日雨
きのうのことを書いています📚

所用により仕事はお休み、午後は数ヶ所回ってお話してきました。説明を受けたり質問をしていましたが、対面でのやりとりが久しぶりでしたので、相手の方のタイミングが読めず走り気味に質問してしまいました。

相手の方は丁寧にひとつずつ説明してくださっていて、私はとにかく適切な方法が何かを知りたい。それで走り気味になるのです。相手の方の趣旨が分かりましたので、途中から修正して反芻・反復型に切り替えました。

無事にお話は終了しましたので、よかったです。勉強になりました。

知りたいことがあって質問をするとき、例えば取材などは、8割ぐらいはお話を聞くようになるかと思います。専門家の方だと9割ぐらいはお任せでお話いただいた方がいいかもしれません。私の知見や考えは関係なく、その方を紹介するのが目的だからです。その分野の素人として疑問に思うことをお尋ねするぐらいでいい。

自分が噛む場合はバランスを考えるといいかもしれません。といいますか、バランスを考えるだけの余裕があるといいなと思います。それで、結論にいたるのもスムーズになるでしょう。

私はそもそも話すのが得意ではありません。書くのはタイムラグがあるので大丈夫ですが、話して理路整然とはなりません(書くのも理路整然ではないですね)。あと、一度司会を頼まれましたが、台本がないとダメだと痛感しました。軽妙なアドリブはよほどのことがないと出てきません。
ただ、話を聞く機会がそこそこあったせいか、要約したり抽象的な言葉に変換するのだけは得意です。そうすると話す方を促すことができる。
やはり、自分として望ましいのは聞くことへのリアクションなのですね。

などとつらつら考えているうちに、書くというのはずいぶん一方的な作業だなと思いました。この項目の場合は完全にひとり語りですから。
「私のことをみんな知りたいでしょう。教えてあげる」というほどの、美貌であるとか天賦の才を持ち合わせてはいません。素敵に若いわけでも華やかな経歴も……ないですね(20代の頃より今の方がきれいかなとは思っていますが、あくまでも自分というフィールドの話です)。

えーと、前にも書きましたが、私のことを知っている人に向けての手紙のように書いています。そして、私のことを知っている誰が見てもいいように書いています。これが意外とストライクゾーン広いのですよね、それをクリアできたら不特定多数に向けて書くのは難しいことではないぐらい。

もしかしたら、そのような方法は世の流れとちょっと違うのかもしれません。匿名だから好きなことが書けるという方も多いでしょう。
私の尾方佐羽は筆名ですが、小説も何も書くときはそれが名前だと思っています。知っている方も多いです。数年前に昔の職場の方に15年ぶりぐらいかな、お会いする機会があったとき、いきなり「おがたさわ」と言われたのにはびっくりしましたが。
筆名は匿名ではないようです。

エッセイはそのような気持ちで書いていますが、小説は完全に違います。

でもやっぱりエッセイ、「書きっぱなし」な感じはしています。本当は、もっと聞きたいな、知りたいなって思いながら書いてもいるのです。
たまに教えてくれて、ありがとう。
でももっともっと知りたい。
聞かせてね。

ということで、今日はこの曲を引用したいです。この曲がとっても大好きで、こんな風に思えたらってずっと願ってきたのです。

Kiyoshiro&Chabo『君が僕を知ってる』

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽



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