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【第25話】「変わらない」ことで、変わった私

「今の自分を変えたい」と、思っている人もいるはず。私もその1人だった。いつも自分に満足していなかった。自分が嫌いで、変わりたかった。バッタモン家族から抜け出したかった。

今日は「変わらない」ことで、変わった私の話をしようと思う。少し長くなるが、お付き合いいただきたい。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

話は中学時代まで、さかのぼる。

中学生になった当初はまだ、毎日がキラキラ輝いて、友達と共に部活や勉強に情熱を注ぐ、まさにドラマのような青春の学生生活を思い描いていた。

当然、現実はそれとは全く違うものだった。

家では抑圧、我慢、束縛が繰り返される毎日。学校では、その反動で常に不機嫌だった。友人や家族になかなか心が開けず、笑顔のウラではいつも黒い影が渦巻いていた。部活はサボってばかり。熱心な先生がいたにも関わらず、勉強も放棄。

 「笑えば可愛いのに…」
 「彼女、いつも怒ってるよね!」
 「感じ悪〜。」
 「眉間にシワ寄せて怖い〜!」
 「性格悪そう。」

そんな声がいつもどこからか耳に入ってきていた。

勉強もスポーツも嫌い。住んでいる田舎の町も嫌い。自分のことも嫌い。家族はもっと嫌い。嫌い、嫌い、嫌い。頭の中は「嫌い」なことで埋め尽くされていた。

学校が終わる時間が近づくと、さらに憂鬱だった。家に帰りたくない。でも帰る場所はあそこしかない。「今日は親が機嫌がいいといいな…」そんな事を思いながら家路につく。家の扉を開ける瞬間はいつも小さな賭けだった。

友達と遊ぶささいな時間さえ、バッタモン家族はやすやすと奪い去っていく。私の交友関係は両親の機嫌に左右されていたと言っても過言ではない。ドタキャンなど当たり前で、その度に断りの嘘をつかなければならない。毎回”親につかされる嘘”は、私の心をじわじわと蝕んだ。

そのうちに、遊びに誘われても自分から断るようになっていった。その時はまだ中学生だ。直接会って遊ばなくなれば、みんなの話についていけなくなるまで大した時間はかからない。いつのまにか、私だけ離れ小島に流されたように独りぼっちになっていった。

そんなわけで、中学生の間、家にいることがほとんどだった。親からは買い物、家事、兄弟の世話を見るのを任されたが、私の好きなようにはさせてくれない。友達もいない今、言われたことをやりきることだけが、私の居場所を確保する術の様にさえ感じていた。

そんな中、読書と出会った。いや、再会を果たした。

ある時期、妹を連れて毎日図書館へ通っていた。最初は両親に家から出て行けと言われたからだったが(出ていくなと言われたり、出て行けと言われたり本当に毎日混乱の連続だ…)、空調が効いてウォータークーラーもトイレもあった。快適で、閉館時間までいられる、つまり、家に居なくていい点が気に入っていた。妹も、本を読むのが好きだったようだ。

図書館に入り浸りだした理由は、そんなくだらない理由だった。しかし、ある時ふと手にとった外国小説に夢中になった。どんどんと繰り広げられるストーリーに、魅力的な登場人物。その物語の中には、自分の知らない世界が広がっていた。

私がまだ小さかった頃、父とよく本屋に行ったっけ。父はあの時まだ、私に向かって優しく微笑んでくれる父だった。絵本をたくさん買ってくれたな…

そうして思い出した。あの時から私は読書が好きだったのだ。それに気がついた途端に読書が楽しくなり、嬉しくなった。ひとりで没頭できることを見つけた喜びもあったが、それより何より、離れ小島の孤独な心を満たすものをようやく得たと感じたのだ。

帰路につき、さっそく両親に図書館で出会った本のことを話す。小さな頃の、父と絵本の思い出を振り返りながら。私の顔には、恐らく久しぶりに笑顔が灯っていただろう。

 「今日図書館で見つけたこの本な、めちゃ面白いねん!あのさ、主人公の〇〇がな…」
 「ふん、本なんか読んでどないすんの?しょーもない!」
 「そんなん読んで、何が楽しいの?!もっと(家族の)役にたつことしたら?」
 「勉強なんてしても、意味ない意味ない!」

まるで虫でも跳ね除けるようにして、私の中で再燃し始めていた読書愛は砕かれてしまった。もちろん、その後長らく、読書などしなくなってしまったことは言うまでもない。

元の自分を押し殺していい子ちゃんでいる日々に戻ってしまった。

そして、もう楽しみを見つけることも、夢中になれるものを探すのを止めた。何も考えず、親の言うとおりに従っていれば、怒られない。心を閉ざしていれば、苦しむこともない。

私は、何にも興味を持ったらアカン。楽しんだらアカンねんなぁ…

周りの子たちは好きなことをしていて、私よりも何倍も輝いて見えた。それを目のあたりにする度に羨望、嫉妬や怒りが溢れた。だから自分の周りに人を置きたくなかった。自分ができないことを周りの子たちがしているのを、見たくなかった。油断すると、いつも途端に嫉妬に飲み込まれそうだった。

「あ…私の人生は、このまま終わっていくのかな」なんて悲観的になったこともある。中学3年間はそのことで、思い悩んでいた。

高校生になっても悲観的な考えは消えずにいた。どうやって平穏に、怒られずに一日を終わらせられるのか、そればかり考えていた。自分も家族も嫌で嫌で、全てをやり直したい思いに駆られた。何かを変えなければと思うものの、どうやって、何を変えるべきなのかは分からなかった。

とにかく、両親から離れたい。そんな気持ちから、高校卒業後は都会に出た。実はこの都会生活は、同棲していた彼氏との別れによって3年ほどで終わりをみる。しかしながら、親に抑制されることなく、好きな友達と好きに遊べ、欲しいものが買え、したいことができたこの時間は、本当に、本当に嬉しかった。その時、初めて「自由」を噛み締めた記憶がある。一度自由を味わった私は、バッタモン家族と完全に決別したいと思い始めていた。

21歳。都会生活から実家へ帰ると、残念ながら、元の”あの”生活に逆戻りだった。

抑圧、我慢、束縛。一度「自由」を味わっただけに、変わらぬ元の生活は一段と辛く感じた。ただ、明らかな変化もあった…悪い方に。私がいない間に、父親の暴力がエスカレートしていたのだ。

実家に戻って話を聞くと、母は私が居ない間に、顔の原型がなくなるまで殴られたことさえあったみたいだ。さすがに離婚を持ちかけたが、父からは小さな弟や妹は置いていけという条件を突きつけられたらしい。母は仕方なく耐えることを選び、父との生活を続けていたのだ。もっとひどいこともされていたのではないか。私は、自分を責めた。私が自由を謳歌している間に、家がこんなことになっていたなんて。私がここに居れば、もしかしたらこんなことにならなかったのでは…

私自身も、その時までには色々と疲れ切っていた。一応、相手側が結婚も考えていたほどの恋愛が終わりを迎えた直後、実家で向き合うことになった家族の変わらぬ有様。留学したくて働いて貯めたお金は、何かと理由をつけて親に搾り取られていく。将来について計画する余地はなく、とりあえずまとまったお金があれば何とか状況を打開できるかもしれないと考え、漠然と働き詰める日々。

数年ぶりに戻ったバッタモン家族には、いつ、誰が、どこで地雷を踏むか分からない、張り詰めた空気がまとわりついていた。ここには、もう10年以上も変わらない抑圧、我慢、束縛がある。もしかしたら逃れられないのかもしれない、変わらないのかもしれない。想像するだけで、どす黒い絶望感が私の頭を支配したのだった。

このままでは、また「このまま私の人生は終わっていくのかな」と悲観しながら生きることになってしまう…こんなの、全部変えたい、変わりたい。でも、いくら変えようともがいても、結局は元の場所に引き戻される。学校も、読書も、都会生活も、全部そうだった。しかも、一度もがいて元に戻る度に、一段と”何も変わらない”感覚が強くなっていく。

どうしたらいいの…!

途方に暮れる、というのはああいう気持ちのことをいうのだろう。本当に、どこに進んでも行き止まりに阻まれるようで、気を抜くと叫びだしそうだった。

そんな最中に、カナダ在住で、海外在住歴も長いという人と知り合った。友達の友達で、不思議と気が合った。メッセージなどをやりとりするうち、もしかしたら、もしかしたら自分の夢である留学に、少しでも近づけるかもしれないと、淡い期待も抱いていた。

彼と仲良くなり、家族のことや自分の気持を打ち明けた時、一言こんなことを言われた。

「何かを変えたいなら、これまでの全部を、まるっと大きく変えんとアカン。」

ガツン、と頭を何かで叩かれたような衝撃を受けた。

そうか、そうだ。そんなにシンプルなことだったのだ。私も、家族も変わらないとアカン。今までのように、小手先のやりとりで何かを変えた気になっていてはダメだ。取り返しの付かないことが起こってしまう前に、誰も怪我したり、死んだりしないうちに何とかしなければ。

毎日のように飛び交う両親の叫び声や怒号、妹や弟の悲しい顔、無関心な兄夫婦。そして…傍若無人に振る舞い、暴れる父の拳。最終的には、私たち兄弟の誰か、もしくは母が父を殺してもおかしくない、そんな状況だ。大きく、まるっと、状況を変えなければ、何も変わらない。

私は母、妹、弟を説得し、4人で父から逃げた。

生半可に距離を置くのではなく、本気で、それまでの生活を捨てて、逃げたのだ。

「何かを変えたいなら、これまでの全部をまるっと大きく変えんとアカン。」

最終的に、この言葉をくれた人の元へ、私は逃げた。今彼は私の旦那さんとなり、私と一緒に逃亡生活を送ってくれている。

※ここでは割愛するが、逃げることも一筋縄では行かなかった。別の機会に、詳しくお話できればと思う。

バッタモン家族を脱出してから、4年。当時あれだけ自分を変えたいと思っていた私には…少しわかったことがある。

今までの私は「変わる=他の誰かのようになること」だと思っていた。学校で羨ましいと眺めていた友達や、都会生活で関わった華やかに過ごす人たちの様になることだと。彼ら・彼女らの様に自分が変われば、「幸せ」になれるんだと思っていた。

でも、旦那さんとの”逃亡生活”の中で掴んだ「幸せ」は、そんなものとは全然別の形をしていた。

本来の私。私は元々、ちょっとのことでよく笑い、よく泣く。感情を押し込めたり、我慢したりしない。1人で静かに過ごすことが好きで、書くことが好き。読書も好きだ。自分の世界に浸るのが好きだし。人見知りで、内気。ビビリ。気疲れしやすい。思い込みが激しいこともある。

私はずっと、本来の自分ではダメだと思いこんでいたのだ。無理して違う自分になるのは、しんどいし、辛い。それこそ、家族に強いられていた自分の在り方と、同じようなものだ。

「変わる=本来の自分を取り戻す」こと。つまり、変に自分を変えてしまわないこと。

今の自分自身を認めて、「こんな自分もアリ」と思えるのがちょうどいい。違う自分には、無理しないとなれない。いつも頑張らないといけない。人にどう見られているか気にしないといけない。それって、疲れるよね。いっそのこと、「こんな私やけど、好きになってくれるなら好きになってね」そのくらいの気持ちでいい。誰にどう見られるかより、自分に素直になることが大事。

私が”変わる”ための、幸せになるためのヒントは、”変わらない”ことだったのだ。

私もまだ練習中で、時には凹んでしまったり、泣いてしまったり、チョコレートを食べて気分を上げる必要だってある。

それでも私は今、私本来の笑顔で毎日笑えていると思う。

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