日の名残り第60話1

「エミリー・エミリー&メリイ・クリスマス後篇」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第60話

め、メリイ・クリスマス?

そう…

カズオ・イシグロの短編『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』は、太宰治の『メリイ・クリスマス』という短編を元ネタとして書かれているんだ…

前回を読んでない人にはチンプンカンプンだな。

まずはこれを読んで、衝撃の展開に備えたほうがいいぞ。

ほ、本当なのか?

間違いないですね。

だって「ブーツ」が重要なアイテムとして出て来るでしょ?

「ブーツ」といえば「太宰治」だ。

太宰治って当時の日本人としては足が大きくて、自分に合った靴がなかなか見つからなく、いつも配給品の軍用ブーツを履いていて、足が臭かったらしい…

Osamu Dazai(1909 - 1948)

マジで!?

イシグロの代表作『日の名残り』は三島由紀夫の『仮面の告白』をベースにしているって言ったけど、実は太宰治ネタも使われている。

『日の名残り』で主人公スティーブンスの父が「鼻から汗」を垂らしていたのは、太宰の遺作『桜桃』の登場人物である「父」からの引用なんだ。

しかも『桜桃』は旧約聖書のパロディになっていて、イシグロはそれも『日の名残り』に応用した。

そもそも『桜桃』は「詩篇:第121篇」の冒頭の言葉「われ、山にむかいて、目を挙あぐ」から始まる。

この「詩篇121篇」は俗に「都上がり」の歌とも呼ばれており、田舎からエルサレムにやって来た時に歌われた体になっている。それを太宰は、終戦後に青森から東京へ上京した自分の姿と重ねているわけだ。

ちなみに小説には出て来ないが、本来それに続く言葉は「我が助けは、 いずこより来たるや」だ。

貧乏なのに子沢山で、しかも長男に障碍があった。太宰はこの長男と心中してしまいたいと発作的に考える。そして「親は子のためならどんな犠牲も厭わない」という世間の「美徳」に対し、太宰は「何だかんだで子は強い。そして親というのは案外弱い。だから親である自分は特別扱いされたっていいじゃないか。子供より親が大事なんだ」と夜の街へ繰り出し、子供たちには決して食べさせることのない贅沢品の桜桃を、バーでムシャムシャ食べる。

「だけど自分は決して救われることはない」と、どこかで思いながら…

太宰治《桜桃》 朗読:佐藤節子

ひどい親だな!

強烈な風刺なんだよ。戦後の日本の。

戦後の日本の風刺!?

しかも「子供」や「親戚」が、戦時中の日本の占領地や、朝鮮・台湾・満州などに喩えられているんだ。新聞記事として紹介される「子供惨殺事件」の数々は、戦争後期に次々攻め落とされた日本の旧占領地のことだね。(青空文庫はコチラ

イシグロも『日の名残り』で同じようなことをやっていた。

ダーリントン・ホールでのやりとりは、大英帝国の各植民地の暗喩になっていたよね。

そうだったな…

しかし、ただの偶然ってことも考えられる…

確かに「偶然」かもしれない…

だけどイシグロの『降っても晴れても』と太宰の『メリイクリスマス』の共通性は、ちょっと「偶然」という言葉では片づけられないんだよね…

短い作品だから、ちょっと目を通してみて…

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太宰治《メリイクリスマス》 朗読:西村俊彦

なんだか面白い小説だね。

っちゅうか、出だしから皮肉たっぷりやな。

この小説は、全編が「聖書のジョーク」と「日本への皮肉」になっている。駄洒落と語呂合わせを駆使してな。

遺作『桜桃』は、このテーマをソリッドにミニマム化したものだ。

『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』と共通点がたくさんあったでしょ?

気付いた?

小説の中に映画や歌が使われてる!

主人公が久しぶりに首都に来たっちゅうところも一緒やな。

『メリイクリスマス』は東京で、『降っても晴れても』はロンドンや。

あと、服装もそうだったな。

街にいる人々は黒いスーツ姿なのに、どちらの主人公も「浮いた服装」をしている。

名前も面白いんだ。

『メリイクリスマス』の主人公は「笠井」という男。もちろん太宰本人がモデルのキャラクターなんだけどね。

で、なんで「笠井」なのかわかる?

なんか理由あるの?

たぶん「イスカリオテのユダ」のことなんだよ。

師イエスを売った「裏切り者ユダ」だね。

またユダ!?

「笠井」は「久留米絣(くるめがすり)」の着物を着ている。

これは太宰自身が「手織りの久留米絣」を好んで着ていたからなんだけどね…

それが何か関係あるのか?

「イスカリオテ」を逆さまにしてみろ。

逆さまに?

テオリ…カスイ…

ああ!「手織り笠井」だ!

うそォ!?駄洒落!?

嘘じゃないよ…

太宰治は駄洒落好きなんだ。イシグロに負けないくらいにね。

そして「シズエ子」ちゃんは「イエス・キリスト」だ。

ええ!?

「JESUS」を並び替えると「SSJUE」ってなるんだよ…

「シズエ」って読めるでしょ?

「シズエ子」の「子」が無いじゃんか!

「キリスト」が「子」だからな。

それに「Child」も「Christ」も「Ch」で始まるだろう。

「シズエ子」で「Jesus Christ」となっているのだ。

せやったらシズエ子のオカン「陣場さん」は誰なんや!?

どうゆう意味になっとるんか説明してみい!

母娘の苗字「陣場」とは、「陣屋」や「本陣」のある場所という意味の言葉だ。

「本陣」って、わかるかな?

よく「戦国もの」のドラマで、「いくさ」のシーンに出てくるでしょ?

知ってる!

戦場で大将が床几に座ってて、周りを幕で四角く囲んである「統括指令本部」みたいなところでしょ。

その通り。

ところで、あれって「何か」に似てない?

何か?

ああ!わかったぞ!

「幕屋」だ!

まくや!?

ユダヤ教における移動式の「神殿」だ…

神聖なテントは、モーセの兄アロンの子孫であるレビ族が代々管理することになり、それはやがて司祭の家系となった…

「陣場さん」とは「幕屋」のことだったんだな。

つまり「神ヤハウェ」だ。

だからその娘である「シズエ子」が「イエス・キリスト」となる。

図にすると、こんな感じだ。

『降っても晴れても』と同じだ!

そうなんだよ。

『降っても晴れても』で主人公レイモンドは、チャーリーとエミリ夫婦の両方と同じ場所で同時には会うことが出来ない。

そして『メリイクリスマス』の主人公笠井も、陣場母娘と同じ場所で同時に会うことが出来ない…

娘の存在を忘れていた時に一瞬だけ母親の「影」が見えたのは、そうゆうことだったのか!

だな。

ちなみに主人公いわく「唯一のひと」である「陣場さん」の「特徴」も、すべて聖書ネタになっている。

1、綺麗好き

外出から帰ると必ず玄関で手と足とを洗う。聖書に何度も出て来る描写だな。

そして部屋を常に綺麗にしていた。特に台所には細心の注意を払っていた。これはユダヤ人が「過越し」の際に、酵母菌を徹底的に排除することのパロディだ。

2、「私」に少しも惚れていない

ユダだから仕方ない。

3、存命中の作家に就いては一言も言った事が無い

これも仕方ない。聖書に出て来る預言者は、みな過去の人物だ。

4、アパートには、いつも酒が豊富に在った

「カナの婚礼」で葡萄酒が切れた時に、イエスが奇跡を行って、葡萄酒を満タンにしたことのパロディだな。

あと、

5、食べ物にうるさい

ってのもあった…

あわわわわ…

そして笠井とシズエ子は屋台の鰻屋へ行く。

広島の「空襲」で亡くなったシズエ子の母は、ウナギが大好物だったから…

そこで「小串」を「三人前」注文する…

こ、これもまさか…

「串」が「3つ」だからな。

これしかないだろ。

《The Crucifiction》 Andrea Mantegna

あわわわわわ…

そして屋台の先客だった「紳士」が上機嫌で冗談を言い出す。

「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ…」

以前どこかの酔っ払いに「東京駅は俺の家だ」と言われたことに対して「それなら丸ビルは俺の妾宅だ」と言い返してやり込めたことを自慢する。

へ?

どゆこと?

昭和天皇のことをジョークにしてるのだ。

だから太宰は、小説の前半でわざわざ「いつの時代でも本当の事を言ったら殺されますわね」なんてセリフを陣場さんに言わせてるのだな。

ど、ど、どゆこと!?

紳士にカラんだ男は、紳士が『リンゴの唄』を口ずさんだことに反応して「東京駅ハオレノ家ダ」と洒落を言ったんだね。

紳士が「アイツ頭ガイイカラネエ」と言ってるくらいだから…

意味がわかんない!

歌を聴けばわかる。

《リンゴの唄》並木路子&霧島昇

へ?

東京駅も丸ビルも出て来ないぞ!

ここで歌われている「リンゴ」って、昭和天皇のことなんだよ…

そして当時、東京駅の「丸の内中央口」は皇室専用貴賓出入口だった…

なぬ!?

この歌は、いろんな意味で戦後の象徴となった歌だ。

戦後に公開された日本映画の第1号『そよかぜ』の挿入歌として、1945年(昭和20年)10月10日に発表された。

そして戦後最初のヒット曲となったんだね。

だけどこの歌、本当は戦時中に「戦意高揚歌」として作られたものだったんだ。

ある種の軍歌としてね…

ええ!?どゆこと!?

けれども軍当局によって「発売禁止」にされていたんだ…

歌詞が「不適切である」として…

歌詞が不適切?

どこが?

歌詞をよく読めば一目瞭然だよ。

だって「昭和天皇」を「リンゴ」に喩えてるんだから…


『リンゴの唄』

作詞:サトウハチロー
作曲:万城目正

1番
赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも 云わないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
2番
あの娘よい子だ 気立のよい子
リンゴによく似た 可愛い娘
どなたがいったか うれしい噂
軽いクシャミも とんで出る
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
3番
朝のあいさつ 夕べの別れ
愛しいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
明日もまたねと 夢見顔
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
4番
歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
皆で歌えば なおなおうれし
リンゴの気持ちを 伝えよか
リンゴ可愛や 可愛やリンゴ

な、なんにも言わないリンゴ…

言葉は出さずに 小くびを曲げるリンゴ…

せやった…

一般人は「玉音放送」で初めて天皇の肉声を聞いたんやった…

それまでは、畏れ多くて直接声を聞いたらアカン存在やったんや…

そうだったね。

そして戦時中は職場や学校、そして各家庭にも天皇皇后両陛下の写真「御真影」が飾られていた…

国民はそれに向かって、毎朝毎夕、最敬礼で「挨拶」をしていたんだ…

だから、正確には…

「御真影」を「リンゴ」に喩えた歌

だね…

一般国民はそんなこと露にも知らずに『リンゴの唄』を聞いていたが、当時の知識人はこの歌の「仕掛け」に気付いていたんだろう。

だから太宰もジョークで使ったのだ。

なるほど!

イシグロが『夜想曲集』で、いろんな「暗号ソング」を引用しまくってるのと一緒だな!

知らない人には、ただの「昔のヒット曲」だけど、歌詞の本当の意味を知ってる人には、物語の本当の意味がわかるようになってるんだ!

そういうことだ。

太宰はサーカス映画の引用で「モーセの出エジプト」を暗示し、『リンゴの唄』で日本人にとっての「主」であった昭和天皇を暗示させた。

そして紳士の最後のセリフ「メリイ・クリスマアス!」で、これまで平静を装わせてきた主人公笠井に噴き出させる。

この小説が「聖書」のパロディだってことを、最後にメタ表現を使って示したわけだ。

イシグロが『日の名残り』のラストで主人公スティーブンスに「ジョークの練習をしなければ」と言わせたことと一緒だね。

もちろんこの『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』も、そうなんだけど…

そうゆうことやったんか…

イシグロめ…

ここまで大胆に太宰をパクりよってからに…

ねえねえ、おかえもん…

じゃあ『降っても晴れても』のお話も、こんな感じってこと?

太宰の『メリイ・クリスマス』みたいに、駄洒落と語呂合わせだらけで、全編ジョークで出来ているってことなの?

そうだよ。

じゃあ第2話の本編を解説していこうか…

マジ笑えるぞ。


——つづく——



『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳


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