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スナックふかよみ 志賀直哉『網走まで』第十話「ソドムまで」


前回はこちら


2023年 某月某日
東京 新宿
スナックふかよみ にて





あ、なるほど…


おそらくボブ・ディランは『マック・ザ・ナイフ』の原曲『どすのメッキー』とアブラハムの類似点に気付いていたのでしょう。

だからアブラハムを「マック・ザ・フィンガー」と呼んだ。


ガーシーのおじいちゃんと全く同じ見立て…

米津さん凄すぎます。


では『HIGHWAY 61 REVISITED(追憶のハイウェイ61)』4番と5番も解説してもらおう。

出来る限り、足早にな。


はい藤堂さん。わかりました…



この歌は… ガーシー老人の十八番…


そう。健さんがニポポ人形を彫ってる間に、この歌の話になってたの。


4番は何と言ってる?


5番目の娘は12番目の夜に1番目の父へ正しくない話をした。

「私の肌は、いくらなんでも白すぎます」

父は言った。

「どれどれ。こっちへ来て、明るいところでよく見せてごらん」

それから父は言った。

「うーむ。確かにお前の言う通りだ。私が2番目の母に伝えておこう。この件はもう済んだと」

その頃、2番目の母は7番目の息子と一緒にハイウェイ61にいた。


なんのこっちゃ?

娘は「肌が白すぎる」と悩んでいるが、ふつう女性は美白を望むものだろう?


うふふ。もし『北の国から』でこんな場面があったら大問題ね。

純くんの妊娠事件は菅原文太に頭を下げて何とか収まったけど、こっちはフジテレビが世間に謝罪しても収まらないかも(笑)


『北の国から'92巣立ち』「誠意って何かね?」


は?


4番の歌詞では数字が羅列される…

あの数字、臭いな…


さすがボス、いいところに目をつけましたね。

ボブ・ディランは明確な意図をもって数字を羅列しています。

4番の元ネタがそうなっているから。


ということは、やはり『創世記』アブラハムの物語か?


ええ、そうです。

2番と3番は『創世記』第14章の前半部「九王戦争とソドム王ゴモラ王の逃避(2番)」と後半部「人質ロトの奪還とアブラハムの凱旋(3番)」が元ネタになっていました。

実は4番と5番も同じようにセットで一連のエピソードを形成しています。

2番と3番のエピソードの「その後」ですね。


その子?



「その子」じゃなくて「その後」です。

ソドムとゴモラ、アブラハムとロトの「その後」。


「その後」って、何があったんだっけ?


ある夏の暑い日、アブラハムが涼しい日陰に座っていると、どこからともなく3人の人が現れた…

3人は日差しの強い日向にいたのでアブラハムは可哀想だと思い「こちらへおかけなさい」と声をかけた…


それ、何の話?


「その後」の話に決まってるでしょ、深代ママ。

4番と5番の元ネタになってるエピソードは、このシーンから始まるの。

ね? 米津さん。


めぐみちゃんの言う通りです。

この場面は旧約聖書『創世記』の中でも特に重要なもので、ここで交わされるセリフや状況がそのまま新約のイエスの物語「受胎告知」に転用されています。


『Annunciation(受胎告知)』
Fra Angelico(フラ・アンジェリコ)


そうなんだ。

てっきり、めぐみちゃんが全然関係ない話をしてたのかと思ったわ。


失礼ね。わたしは今まで関係ない話なんて1つもしたことないのに。


さて、アブラハムは見ず知らずの3人に対して優しく接しました。

すると突然、こんな展開になります。


創世記 第18章
9 彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。
10 そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。
11 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。
12 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。
14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。


あっ、このシーンのことだったのね。

そういえば五年前も、英二さんとこの話をしたっけ…

この時サラが「妊娠するわけない」と思って「笑った」から、生まれて来た「その子」はヘブライ語で「笑う」という意味の「イサク」と名付けられたんだわ。


その通りです、深代ママ。

英二さんの「あの歌」の話、おもしろかったなあ。


しかし、いくらなんでも高齢すぎやしないか?

この時アブラハムとサラは二人とも百歳前後だったんだろ?

そんな超高齢の爺さんと婆さんが久しぶりに熱烈合体して子供が出来るなんて、いくら聖書といえどもヤリ過ぎだ。


アブラハムとサラの年齢は、実際の「倍」になっているという説があるんです。

本当は50歳前後だったと。


は?


だって、どう考えてもおかしいでしょう?

100歳を超えた老人が女性を妊娠させられますか?

わずかな部下を従えて馬で何百キロも走り、メソポタミアの大軍を打ち破ることが出来ますか?


確かに有り得んな…

三国志の老将 黄忠でさえ60代だ…


『黄忠』横山光輝


しかもこのエピソードの前には、とある王がサラを見て一目惚れし、愛人として後宮に迎え入れたいと申し出る逸話も描かれています。

100歳近い女性を愛人にしたいと願う王って、有り得ますか?


有り得ん… というか、想像しただけで恐ろしい…


だけど半分の「50歳前後」なら有り得ますよね?

『サザエさん』のフネ(52歳)がお婆さんとして描かれているように、今と違って昔のアラフィフは世間一般的には老人でした。

しかし、もしアブラハムの妻サラも、黒木瞳や深代ママさんみたいに「美魔女」だったとしたら…



フネさんは御勘弁願いたいが、ママさんみたいな人だったら…

じゅうぶん有り得るな… ゴクリ…


んもう、ゴロー刑事ったら。今、変なこと想像してるでしょ。

そんなイヤラシイ目で見ないで頂戴。

頭の中でエロいこと想像するのも姦淫の罪なんだからね。


い、いや、そういうわけじゃ…


うふふ。

ところで五年前に米津さんが英二さんと話したという「あの歌」って、たぶん…

長渕剛の『西新宿の親父の唄』のことでしょ?



さすが、めぐみちゃん。

深読み探偵学校は伊達じゃないね。


えへへ。どういたまして。


この歌がアブラハムとサラの年齢と関係あるだと?

い、いったいどういうことなんだよ、おい?


「やるなら今しかねえ」とは「しようとしていることを今すぐしなさい」…

それは最も重要な「祭」の日に発せられたセリフ…

そして菅原文太の「誠意って何かね」とは「真理とは何か」…

それも同じように「祭」の日に発せられたセリフであり、だから菅原文太に納得のできる「答え」は明示されなかった…

つまり「66の親父」の本当の年齢は…

半分の「33歳」…



ハァ?


ゴロー刑事さん、この話は説明するととっても長くなるの。

だからとりあえず置いといて、アブラハムの物語に戻りましょ。

どうしても内容を知りたかったら、また今度この店に来た時に。


うむ… 仕方ねえな…

今日は殺人事件の捜査に来たんだ。

あの真夏の暑い日、安木とガーシー老人の間に何が起きたのか…

そして事件の鍵を握る、不幸な子連れ女とは何者なのか…


では話を進めましょう。

父の手で殺される子イサクの受胎告知の後は、こう続きます。


創世記 第18章
15 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。
16 その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。
17 時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。
18 アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。
19 わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。


あっ…「主の道」とは「公道」…


主ヤハウェを表す神聖四文字「YHWH」が隠されている「HIGHWAY」もアメリカ合衆国の「公道」です。

だから英語の歌にはジョン・デンバーの『カントリーロード』のように「ROAD(道)」と「LORD(主・神)」のダブルミーニングの歌がたくさんあるんですね。

それを応用したのが宮崎駿作詞の『コンクリートロード』です。

『カントリーロード』が「故郷の道」と「神の国」のダブルミーニングであるように、『コンクリートロード』は「舗装道路」と「具象化された神(イエス・キリスト)」のダブルミーニングになっています。



ボブ・ディランといい宮崎駿といい、天才って駄洒落が好きなのね…


駄洒落や言葉遊びは創造の原点ですからね。

太古の昔から人はそうやって物語を紡いで来たんです。


米津さんに言われると説得力があるわ…

『アイネクライネ』や『灰色と青』のタイトルも、そうだったから…


『東海道五十三次 小夜の中山 夜泣き石』
歌川広重
清少納言


清少納言? あの『枕草子』を書いた平安の女流作家か?

2024年の大河ドラマ『光る君へ』でファーストサマーウイカが演じる清少納言が米津さんの歌『灰色と青』?



だって「ファーストサマーウイカ」という名前も、彼女の旧芸名「初夏(ういか)」の駄洒落でしょ?


それと『灰色と青』に何の関係があるんだ?

そもそも『灰色と青』にファーストサマーウイカは出て来ない!

出て来るのは菅田将暉だ!



ではヒントを出しましょう。

「有明」です。


有明?

安木の水死体が発見された場所のことか?



その「有明」ではありません。


それじゃあ九州佐賀の有明か?


この話も長くなるから深入りは禁物。また今度ね。


ちっ。また「また今度」か。

今度とお化けは出た試しがねえって夜の商売ならわかってるだろ。


失礼ね。まるで『西新宿の親父の唄』や『灰色と青』の秘密を説明する機会が絶対に来ないみたいな言い草じゃない。

あたしは約束したことは守るんです。

ボスとの待ち合わせの時間に遅刻した誰かさんと違って。


なんだとォ? このアマ、調子に乗りやがって…


まあまあ二人とも、ケンカはよしてください。

あっしの顔に免じて。


健さんの言う通りだ、ゴロー。

さあ米津さん、話の続きを…


はい…

ソドムまで行く三人に同行したアブラハムは、途中で三人と別れます。

そして神とこんな会話を交わしました。


『創世記』第18章
20 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、
21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。


あっ、そういうことか。

ここから数字の羅列が始まるのよね。

ちょっと意味の分からない数字の羅列が。


その通りです。


27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
29 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
30 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
31 アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。


50、45、40、35、30、25、20、15、10…

この5ずつ減っていく数字に何の意味があるんだ?


特に意味は無いと思われます。

ボブ・ディランが歌った「5番目の娘」と同じように。

「12番目の夜」「1番目の父」「2番目の母」「7番目の息子」も同様に特に意味は無いかと。


そして第19章…

アブラハムと別れた主の御使いはソドムの街へ到着し、アブラハムの甥ロトと出会って家へ案内される…


するとロトの家にソドムの男たちが押しかけて来て、飢えた野獣のように迫った…

「俺たちにヤラせろ!穴を独り占めするな!」

ロトは彼らにこう言った…

「この方たちは私の大事な客人です。もしどうしても穴が欲しいのなら、私の二人の娘の穴をどうぞ」

ソドムの男たちはこう答えた…

「お前の娘には婚約者がいるじゃないか!誰かが入れたかもしれない穴など興味はない!俺たちは100%未開通の穴に入れたいんだ!」


男のケツの穴まで… 狂ってやがる…

まるで辺境の地の収容所で女抜きで何年も過ごし、見境がなくなってしまった囚人みてえだ…


なにか言いましたか?



ソドムの人々の堕落・退廃を目の当たりにした御使いは、ロトに告げた…

「主がこの街に天罰を下すので、一族郎党を連れて街を出なさい」

だけどロトの娘の婚約者がこの話を妄想だと言って信じなかったので、ロトは街を出ることに躊躇してしまう…

すると御使いは強い言葉でロトに最後通告を出した…

「今から主がソドムやゴモラを含めたヨルダン川・塩の海一帯の低地を跡形もなく滅ぼします。妻と二人の娘を連れて今すぐ街を脱出しなさい。出来るだけ高いところへ。逃げる際には決して後ろを振り返ってはなりません」


しかしロトの妻はこの禁を破り、途中の道で「塩の柱」になってしまいました。

そしてソドム郊外の高台に避難したロトとその娘は、禁断の肉体関係をもち、妊娠します。

婚約者を失った二人の娘が、これではもう誰も自分たちの夫になってくれないと悲観して、父の子種をもらって身籠ったんですね。

ちなみにこれが新約イエスの物語では、エリザベスとマリアの「父(神)による、ありえない妊娠」に形を変えたわけです。


『Lot and his daughters(ロトと娘たち)』
Jan Muller(ヤン・ミュラー)


ん?


この場面は昔から人気の題材で、色んな画家が手掛けてるのよね。

人気なのは、もちろんエロいからだと思うけど(笑)


『Lot and his daughters(ロトと娘たち)』
Jan Massys(ヤン・マセイス)


ん? んん?


もうお気づきでしょう。

この場面を描いた絵の中の「娘」は、なぜか肌の色が異常なまでに「白すぎる」んです。

ボブ・ディランはこれをネタにしたんですね。


『Lot and his daughters(ロトと娘たち)』
Joachim Wtewael(ヨアヒム・ウテワール)


そういうことだったのか…

確かに娘が自分でコンプレックスになるくらい肌の色が白すぎる…

そして母親は遠くの道にいる…


塩になった母親が白すぎるなら分かりますが、なぜ娘が白すぎるのか…

いろんな「ロトと娘たち」を見て、ボブ・ディランは気になったんでしょうね。


実に見事な読み解きだ米津君…

うちの刑事になってほしいくらいだな…

ゴローを殉職させるから、代わりに働いてくれないかね?


ボ、ボス!なんてことを!


米津さんが七曲署の刑事か~

きっと似合うだろうな。ニックネームはもちろんハチ刑事(笑)


そのまんまやんけ。


では、このまま最後の5番もよろしく頼む。


はい、わかりましたボス… いえ、藤堂さん。

5番はこの歌のオチになっている重要なパートです…



つづく




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