日の名残り第8話a

「レベッカ」~カズオ・イシグロ『日の名残り』徹底解説・第8話

あのお方は、どこにいたって全てお見通しだ…
全てを知っているんだ…
そう、何もかも…

あのお方…?
いったい誰のことなんでしょうか?

あのお方とは…

M…

М!?

な、なんやてェ!?

あのМか!?

誰…?

いつも一緒にいたくて、隣で笑ってたかった人?

どアホ!

そっちのMとちゃう!

いや、あながち間違ってはいない…

あのお方は、まるでいつもそばにいるかのようなのだ…

すべてを見、すべてを聞き、何もかも御存じなのだよ…

そして常にお顔に笑みを浮かべておられるのだが、その目は決して笑ってはいない…

すげえ…まるで神か、お釈迦様…

いったいどのようにしてMは全てを知るのだろう…

あのお方にとっては簡単なことだ…

部屋の入口に私のアタッシュケースが置いてあるだろう…

アタッシュケース…?

おお、あれか。

見かけんモンがずっと置いてあるんでオカシイなぁ思っとったんやけど、お前のやったんか。

あそこにマイクが仕込まれており、常時、本部へ音声が送信されている…

早よ言わんか、このボケェ!

では、今までの会話も全て筒抜けだったということですね…

あちゃ~

なんかいろいろマズいこと喋っちゃったよね…

とりあえず隣の部屋にでも移しておこうよ…

もう遅いかもしれないけど…


(バタン!)

よし、これでオイラたちの声は聞こえないな…

確かに、もう遅い…

私は重大な任務を、すっぽかしてしまった…

重大な任務?

なんですか、それは?

今回私が来日した最大の目的は、別の大仕事のためだったのだ…

お前らを始末するという任務は、言ってみればウォーミングアップのようなもの…つまり「肩慣らし」だ…

しかし、お前たちの話に付き合ってるうち、メインの任務のことをすっかり忘れてしまった…

約束の時間が過ぎてしまったのだ…

私は諜報員として、致命的なことをしてしまった…

そうゆう場合、どうなるの…?

制裁だ…

与えられた任務を遂行できなかった諜報員に待っているのは、容赦情けの無い、死の制裁…

死の制裁!?

ヒ、ヒ、ヒットマンが来るってことか!?

バットとボールをぶら下げて、な…

ひィ!

バットとボール!?

それがヒットマン?

ただの野球好きの人じゃんか。

「バットとボール」は喩えだ…

直接口にするのは憚れるほどの恐ろしい制裁なのだよ…

子供のお前には、まだわからないだろうが…

まるで前回解説した「ミス・ケントンの生理周期と妊娠疑惑」みたいですね…

カズオ・イシグロは、女性にとってデリケートな問題を「勤務形態と休日の取り方」で表現しました。

「下ネタ」を毛嫌いしとったはずの執事スティーブンスが、真面目腐った口調で「下ネタ」を連発しとったよな。『日の名残り』っちゅう小説は笑えるで。

せやせや。いちおうワイらの簡単な自己紹介もしておこか。今さらやけど念のため。

じゃあついでに物語の登場人物も!

ーー『日の名残り』主要登場人物ーー

執事長スティーブンス(主人公)
女中頭ミス・ケントン(結婚後はベン夫人)
館の主人ダーリントン卿(英国の大物貴族)
新しい主人ファラディ氏(アメリカ人の富豪)
(映画版はファラディ氏がルーイス氏に変更)

ああ…私はどうしたらいいのだ…

なあ、おい…

もうこのチャカ要らんやろ…

そろそろ仕舞ったらどうや?

ああ、そうだな…

すまなかった…

ふう~

ずっと生きた心地がせえへんかったで…

ああ…

今度は私が生きた心地がしない番になってしまった…

いったいどうしたらいいんだ…

このままでは間違いなく「野球」が…

ああ…

落ち着けカツオ。

お前、スパイやろ。スパイっちゅうのは、いつも冷静沈着と相場は決まっとる。

そんなふうにソワソワしてウロウロしたところで、なんの解決にもならへんで。

まだヒットマンが来るまでに時間があるやろ?

それまでに対策を練ったらええ。

お前は「あのお方」の恐ろしさを知らないから、そんなことを言えるのだ…

あのお方は、どんな小さなミスでも見逃さない…

期待に応えられなかった諜報員には、容赦なく罰が与えられる…

そしてその罰からは誰も逃れられない…

ああ…

小さなミスでも、容赦のない罰…?

あの…

つかぬことを聞きますが…

なんだ?

あなたは…

その上司から日常的に体罰を受けてはいませんか?

へ?

これは僕の推測なのですが…

もしかしたら、今の職場だけでなく…

あなたは幼い頃からずっと…

・・・・・

あなたの御両親は、幼いあなたに対し、日常的に体罰を与えていたのではないでしょうか…

ああ、御両親とは限りませんね。

叔父や叔母、あるいは…


年齢の離れた兄や姉だったりするケースもありますから…


・・・・・

なんでそんなことがわかるの…?

怯え方が何だか特徴的だなって思ってね…

幼い頃から抑圧された環境で育った人のそれによく似てるんだ…

それに…

左耳のアザが…

ハッ!

い、いや…これは違う…

じゅ、柔道のせいなんだ…

スパイは柔道が必須なもんだから…

畳でこすれた耳は、腫れて潰れて餃子のようになるんですよ。

でもあなたの左耳は、そうじゃない…

形はそのままで変色してるんです…

これは日常的に「何か強い力」が加えられていたからとしか思えません…

たとえば…


耳を思いっきりつねられて、引きずり回されたり…


ああ!もうやめてくれ!

お前に何がわかるというのだ!

そんな戯言はもう聞きたくない!

せやで、もうやめときいな…

ひとさまの過去を勝手に詮索したらアカン。

本筋の『日の名残り』とも関係ないしな。

いや、それが関係あるんだよ…

ハァ!?

・・・・・

僕は、主人公スティーブンスが、幼い頃から父親に体罰を…

いや…

ほとんど虐待に近いことを受けていたんじゃないかって思うんだ…

ぎゃ、虐待!?

あの親子関係は「普通」じゃない。

同じ屋敷内に住んでいるのに、お互いの部屋に行ったことすらなかったんだ。お互いに「どんな部屋で寝起きしてるか」すら無関心だったんだよ。

しかもここ数年間は、口もほとんどきいていなかったらしい。

スティーブンスが父の部屋を初めて訪ねたのは「副執事長からの降格」を告げるためだった。他の者に聞かれたくないから、部屋に行ったんだ。それがなければ、ずっと部屋を訪れることはなかった…

しかもその時、部屋の「みすぼらしさ」や「狭さ」を淡々と無感情で眺めるんだ…

言われてみれば、不自然やな…

よそよそしいどころの騒ぎやないで。

二度目に父の部屋を訪れるのは、父が倒れた時だ。部屋に入ったスティーブンスは、寝ている父を起こそうとする女中に苛立つ。余計なことをするな、とね。

ここも不自然なんだ。

スティーブンスは明らかに「何か」を恐れてるんだね…

そして、起きてしまった父親とこんな会話が交わされる。

 父は、かけてある毛布の下から両腕をゆっくりと抜き取り、疲れた表情で手の甲をじっと見つめていました。そのまま、しばらく時間がたったと存じます。
「父さんの気分がずいぶんよくなったようで、ほっとしました」私はもう一度言いました。「さて、父さん、下へもどらねばなりません。なにしろ、いま一触即発ですからね」
 父さんはまだ両手を見つづけていました。そして、ゆっくりと言いました。「わしはよい父親だったろうか?そうだったらいいが…」
 私はちょっと笑いました。「父さんの気分がよくなって、何よりです」
「わしはお前を誇りに思う。よい息子だ。お前にとっても、わしがよい父親だったならいいが…。そうではなかったようだ」
「父さん。いま、すごく忙しいのです。また、朝になったら話しにきます」
 父はまだ手を見ていました。自分の手になにやら腹を立てているようにも見えました。

カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版

確かに「何か」を避けてるね…

これが前回訳した『ブルー・ムーン』のCメロ部分やな。

Cメロ
And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will ever hold
I heard somebody whisper ”Please adore me”
And when I looked, the moon had turned to gold

突然それは私の身の上に起こった
私の手を離れることのない唯一の存在
そして私は囁くような声を聞いた
「私を良き父だったと言ってくれ」
見上げると月は金色に輝いていた

そうだ。

ちなみにお父さんは清掃用ワゴンのポールを握りしめたまま倒れたんだったよね。手が硬直してて、なかなか離れなかったんだ…

映画『日の名残り』(@Amazonビデオ)

Cメロ歌詞の2行そのまんま…

そうか…

オトンは死の間際で自分のことを「肯定」して欲しかった…

でもスティーブンスは子供の時分、オトンから虐待を受けとったから「あんた、いい父親やったで」とは言いたくないんや…

そうなんだよ…

彼は父に虐待されていた過去を、思い出したくなかったんだ…

いや、思い出したくないというか「思い出せない」ようになっていたんだ…

心に鍵をかけてしまたんだろうね。

少年時代に父から受けていた「行為」を「無かったこと」とし、長年、感情を押し殺して生きてきたから…

なんでそこまで言えるのさ?

スティーブンスの父には、旧約聖書における「神」が投影されている。つまり、超「厳格な父」だね。どんな理不尽なことでも絶対的に従わせ、逆らった者には容赦なく激しい罰を与える…

だからベッドの中で「自分の手」をずっと見つめていたんだ。

あの手で幾度となく息子に「罰」を与えてきたから…

『シャイン』のオトンやな。

そうだね。

あのお父さんも厳格なユダヤ人の父だった。絶対的な家長であろうとし、自分の思い通りに従わせようと、家族にも容赦なかった…

そのせいで息子はおかしくなりよった。めっちゃ抑圧されとったさかいな。

スティーブンスのお父さんもユダヤ教徒だったんでしょ?

おかえもん説では。

そうだよ。

でも恐らくスティーブンスが子供の頃に改宗している。英国首相ディズレーリの父と同じように。

たぶん様々な事情があっての不本意な改宗だったんだろうね。息子スティーブンスの将来のためとか…

それを暗示させるためにカズオ・イシグロは「父の呼び名」事件を物語に挿入したんだ。

あれが「改宗」を暗示してたの?

ミス・ケントンがスティーブンスの父親を「ウィリアム」とファーストネームで呼び捨てにした。

偶然耳にしたスティーブンスは、それを咎めたね。しかしミス・ケントンは納得がいかないようだった…

「いまおっしゃられたことが、よく飲み込めません。これまでは、下の者をクリスチャン・ネームで呼んできて、それでよいと考えていましたのに、このお屋敷ではいけないと言われる理由がわかりません」
「なるほど、無理もない過ちです、ミス・ケントン。しかし、しばらく考えていただければ、あなたのような人が私の父のような人を呼び捨てにすることの不適切さが、すぐわかるはずです。(中略)もちろん、あなたが言われるとおり、父の肩書は副執事です。しかし、実際はそれ以上です。それをはるかに超えた人です。あなたほどの観察力の持ち主が、そのことに気づいておられないというのは、驚きですな」

カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版

「クリスチャン・ネーム」っちゅう言葉を使いたかったんやな、カズオ・イシグロはんは…

そのためのエピソードなんや。

改宗したことにより、旧約聖書の「厳格な父」から新約聖書の「人畜無害な父」になったってことだね…

しかもイエスと「三位一体」の登場で「唯一絶対の父」ではなくなった…

ユダヤ教徒は、むやみやたらに「神の名」を口にしない。でもキリスト教徒は「Oh my GOD!」を口にすることが多い。カズオ・イシグロは、そのへんをネタにしたわけだ。

ちなみに映画版では、ミス・ケントンが家出先の宿で「Oh my goodness!」と大きな声で言ってしまい、周囲のひんしゅくを買うシーンがある。1956年当時は、女性が公衆の面前で、婉曲表現でもそんなことを言うのは「はしたない」ことだったんだ。

女の人って社会で抑圧されてたんだね。

女性には「おしとやかさ」や男性への「服従」が求められていたからね…

お魚くわえたドラ猫を裸足で追いかけただけで「はしたない」とされた時代だったんだ…

そんな漫画みたいな女おらんやろ。

・・・・・

さて、スティーブンスの父に対する心情は複雑だ。

少年時代、彼は父に虐待されていた。もしかしたらそれは「性的虐待」だったかもしれない。

へ!?

小説版でもそれを臭わせるような描写がいくつかあるんだけど、映画だとそれがわかりやすくなっている。

病床の父からスティーブンスの母親について言及されるシーンだ。

僕が思うに、この件でスティーブンスの父は極度の女性不信に陥ってしまった。そしてそのストレスの矛先は息子へと向かい、どんどん体罰が激しくなり、それが性的虐待にまでなった可能性もある。

スティーブンスが「現実の女」に全く関心を持たんのは、そのせいやないやろか?

幼い頃、自分を捨てて他の男と逃げたオカンのトラウマや…

そしてオトンの性的虐待も…

きっとそうだろうね…

だからスティーブンスは「父」を嫌っていた。しかし「執事」としては憧れていた。スティーブンスを執事として一人前にしたのは、他でもない、彼の父だ。自分の主の名を汚す者を断固として許さない、誇り高き執事だったんだよね。

しかし、高齢になり、衰えが著しくなった。

スティーブンスは「マズい」と思ったんだろう。父を自分の職場ダーリントン・ホールに呼び寄せ、働かせることにした…

なんでマズいの?

頭が少しボケてきたんだよ。

スティーブンスの父は「昔やっていたこと」を無意識のうちにやってしまうようになってきた…

プチ「嘆きの壁」事件やな…

その通り。

スティーブンスの父は、数十年前に棄てたはずのユダヤ教の礼拝を、無意識のうちにやってしまうようになっていたんだ。

恐らく以前の職場で、それを見られて怪しまれたんだろう。だからスティーブンスは父を手元に置く必要があった。もし誰かに見られても、すぐにフォローできるように…

・・・・・

そして女中頭ミス・ケントンは見ちゃったんだね…

『家政婦は見た!』の市原悦子演じる石崎秋子みたいに…


その通り…

小説版では「石段」、映画版では石畳の「出っ張り」に向かって、スティーブンスの父が「嘆きの壁」スタイルの礼拝をやっていたところを目撃したんだ。

石に向かって頭を下げて、祈りの言葉を捧げていた姿を…

「嘆きの壁」スタイルの礼拝っちゅうのは、これのことやったな。

しかもダーリントン・ホールの庭の石畳と「嘆きの壁」の石壁は、よう似とるで。右手に「植込み」があるのも一緒や(笑)

細かいところまで、よく似せてるよね…

さてスティーブンスは、ミス・ケントンが父の「奇行」を眺めているのを見つけて、慌てて窓辺に急いだ。

そして、このあとが重要だ。

ここからのシーンに『日の名残り』という物語における最大のトリックが仕込まれているんだよ…

最大のトリック?

何それ!?

二人の交わす言葉が「意図的に」省略されているんだよね

意図的に省略!?

そう。僕が推測するに…

ミス・ケントンはその「行為」を不思議に思って見ていた。「なにをしてるのかしら?」とスティーブンスに尋ねただろうね。スティーブンスはいろいろ説明をつけて誤魔化したに違いない。

そのうち父親がウロウロ歩き始める。両手で何かを持つ振りをして…

スティーブンスは焦った。

なんで焦るの…?

お盆を持ったまま段差でコケずに歩く練習でしょ?

スティーブンスには、それが「祈祷書を持って祈りを唱えている姿」だとわかっていたからだよ…

「嘆きの壁」でユダヤ教徒がやるみたいにね…

そこで慌ててミス・ケントンに説明した。

「恐らくあれは、段差で転ばぬよう練習しているのでしょう」と…

ああ!

確かに祈祷書を両手で持つ姿と、お盆を運ぶ姿は似てる!

父の奇行を誤魔化した会話が意図的に省略されてるんだ。

しかも、父の奇行はこの時だけじゃないんだよ…

おそらくスティーブンスの父は、石畳にキスもしていた。ユダヤ教徒が「嘆きの壁」にキスするようにね。

その姿もミス・ケントンに見られているはずだ

なぬ!?

キスはどうやって誤魔化したんだ?

キスの時は恐らく「躓いて転んだのでしょう」とスティーブンスは誤魔化しているはず。

紅茶セットを運んでいて転んだ時みたいに…

なるほど、そうゆうわけか…

「石畳に転ぶ」っちゅうのは「嘆きの壁へのキス」を意味してたんか…

こうして見たら、そのものやで…

嘆いてる!

父の「奇行」…いや「祈祷」姿をミス・ケントンに見られて、スティーブンスは焦ったわけやな…

「オトンがボケたせいでユダヤ系っちゅうことがバレてまう!」と思うて…

実際にミス・ケントンさんは気付いていたの?

どうだろうね…

そこは物語では明確にはされないんだ…

『日の名残り』という物語は、主人公スティーブンスが、それを確かめに行く物語だから…

どちらにもとれるように描かれている。

なるほどね…

ところで『ブルー・ムーン』のCメロ最後のフレーズなんだけどさ…

3行目まではよくわかったんだけど、最後の月が金色になるところの意味がわからないな…

And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will ever hold
I heard somebody whisper ”Please adore me”
And when I looked, the moon had turned to gold

せやな。

三行目までは完璧に物語を再現しとるけど…

月が「gold」になったことに対応するエピソードが見当たらん…

そんなことないんだよ。

ちゃんと歌詞通りになっている。

どこが!?

みんな「ブルー・ムーン」が「ゴールド」になったって思ってるよね?

違うんか?

違うんだよ。

ハァ?

これは『BLUE MOON』という歌自体のトリックなんだけど…

Cメロの「ムーン」は「ブルー・ムーン」とは別の「ムーン」なんだよ。

別のムーン!?

だって歌の中ではずっと「blue moon」だったのに、Cメロ部分だけ「the moon」でしょ?

「blue moon」は文字通り夜空に輝く月を意味している。

でも「the moon」は違う。

「夢・まぼろしに彷徨う」という意味での「moon」なんだね。

夢まぼろしに、さまよう!?

そう。「moon」には「夢うつつでウロウロする」って意味があるんだ。

『ブルー・ムーン』という歌は、恋人のいない男が「夢の中」で「まだ見ぬ未来の恋人 or 過去に失った恋人」に会うストーリーなんだよ。

全体の歌詞の中で、Cメロ部分だけが「夢の中」なんだね。

だからそのあとに再び「ブルー・ムーン」に歌いかけるんだ。「夢の中で恋人の存在を知ったので、もう大丈夫です」って。

だからCメロ最後の「turn to gold」というのは、「turn to go」にかけられた表現なんだよ。

「夢の中」で「恋人」の声を聞いて、その姿を見ようとした瞬間、「夢まぼろし」となって消えてしまった…という意味なんだ。

なるほど…

言われてみれば、確かに…

そして、思い出してほしい…

あの歌が、実は…

ムハンマドの「世界を見る」旅の歌だったことを…

せ、せやった…

突然ムハンマドの前に現れた大天使ガブリエルに導かれ、「神殿の丘」の「聖なる岩」の上から天空へ旅立ち、世界の全てを見て、最後は偉大なる神のもとへ至った旅…

そう。

正確に言うと、預言者ムハンマドがアラビア半島のメッカからエルサレム「神殿の丘」の「聖なる岩」まで行った旅(イスラー)と、「聖なる岩」から神のもとへの旅(ミーラージュ)という2つの旅に分かれているんだけどね。

『日の名残り』という物語は、この逸話と同じ構造になっているんだ。

だから冒頭でスティーブンスは新主人から「世界を見てきたらいい」と言われるんだね。

主人公スティーブンスは、ムハンマドだったのか!

だから冒頭シーンで図書室の「脚立」に登っていた。

あれは「JFK暗殺事件」を想起させるためやろ?

犯人オズワルドがビルの「教科書倉庫ビル」の上におったから。

他にも何か意味があるんか?

コーランによると、神とは天国に至る〈はしごの主〉であると述べている。

そして後世につくられた伝承ハディースによると、ムハンマドは「神殿の丘」の「聖なる岩」から「光のはしご」を登って昇天し、神の御座にひれ伏したとされている。

脚立にのぼっていたのは、そういう意味だったのか!

スティーブンスが預言者ムハンマドで、「脚立の持ち主」である館の主人は神なんだ…

それだけじゃない。

「はしご」といえば「Jacob's Ladder」もあるよね…

おお!

ワイも愛用しとるで!

なんだコレ(笑)

ワイも年やろか、最近めっきり筋力が落ちてな…

毎年日本と避暑地シベリアを往復するのもキツうなってきてな…

それで日々鍛えてるっちゅうわけや…

このジェイコブス・ラダーで。

いいねコレ…なんだかハムスターの回転梯子にも見えなくないけど…

今度僕にも試させてくれよ、この「ジェイコブス・ラダー」を。僕も運動不足でね…

ええで。

お互いつらいよな、体力の下り坂、人生の黄昏時に差し掛かった身で…

さて、そもそもの「ジェイコブス・ラダー」とは、ジェイコブ、つまりヤコブが夢に見た「はしご」のことだ。

天使たちが天と地の間を梯子で行き来してる夢を見たんだよね。

ヤコブとはイサクとリベカの子。兄のエサクから長子の相続権を奪って、イスラエルという称号を得た。すべてのユダヤ人は、ヤコブの子孫であることを称する。

そして『日の名残り』の主人公スティーブンスは、ヤコブが投影されたキャラクターでもある…

マジで!?

ヤコブは「約束の地」カナンから逃亡した。

兄エサウになりすまして相続権を奪ったことで、兄の逆鱗に触れたからだ。

そして、その逃避行中に「はしご」の夢を見た。それによってヤコブは自信を持つんだ。自分は神に選ばれた人間なんだ、ってね。

異国で富を成したヤコブは、カナンへ凱旋する。そして全ユダヤ人のルーツとなった…

ちなみに『日の名残り』でも、ヤコブの「なりすまし」のアイデアが使われている。

ど、どこに!?

スティーブンスは「立派な服」を着て「立派な車」に乗って旅をしていたから、どこに行っても「只者ではない」と思われた。さぞかし「名のあるお方」なのだろう、ってね。

車は大富豪の新主人から借りた外国の高級車。小説版では「フォード」で、映画版では「ダイムラー」だった。どちらも当時のイギリスの田舎では見ることすら珍しいものだった。

そしてスーツはダーリントン卿からもらったものにしようかとも考えたけど、さすがにそれはおこがましいと思い、あれこれ悩んだ挙句、わざわざ新調したものにした。

スーツに関しては「うんちく」が長々と語られるよね。そして最後に、こんな理由を述べる…

これほど服装にこだわる私を、鼻持ちならない気障(きざ)とみなす方もございましょうが、そうではありません。旅行中には、身分を明かさねばならない事態がいつ生じるかわかりません。そのようなとき、私がダーリントン・ホールの体面を汚さない服装をしていることは、きわめて重要なことだと存じます。

カズオ・イシグロ; 土屋 政雄『日の名残り』早川書房Kindle版

そうか!

知らない人から見たら、スティーブンスは「血統書つきの人」に見えるもんね!

その通り。

ヤコブも父イサクが「目の見えない」ことを利用して、兄エサウになりすましたんだ。エサウそっくりの格好をして…

卑怯者じゃんか、ヤコブって…

なんでそんなインチキをしたの?

母リベカの入れ知恵だ。

母リベカは、粗野な性格で見た目も美しくない兄エサウを嫌い、聡明で美男子な弟ヤコブを溺愛していたんだね。

ひどい母親だ!

そこにはいろいろな説がある。

一族のこと、ユダヤの将来を思っての行動だったとか、ね。

まあとにかく、このリベカの「ずる賢さ」のおかげで現在のユダヤ人があることは間違いない。

「ずる賢さ」を良しとしない日本人には、なかなかしっくりこないハナシやな…

でも、美化される前の日本神話は相当「マリーシア」に満ちてるよ。

サッカーか!

いや、冗談ではなく…

たとえば…

脱線はやめておこうよ。

ただでさえこのシリーズが「いつ終わる」のか見えないんだから…

そうだね。

よし、結論を言おう。

ミス・ケントンがリベカなんだ!

ええ~~!?

そしてミス・ケントンは、レベッカでもある!



なんだそれ~!?

しかも「Pebekka」って!?

わけわかめ!

・・・・・

ロシア語のレコードジャケットだね。

きっとソ連でも人気があったのかもしれない。

音楽は対共産主義陣営への輸出規制違反、いわゆる「ココム違反」にならんかったんか?

東芝みたいに。

・・・・・

どうなんだろうね?

昔は音楽も遮断してたけど、80年代は大物アーティストがソ連公演とかやってたから、西側の音楽も割と普通に聴けてたんじゃないかな。

カツオさん…

なんだか顔色がさらに悪くなってるよ…

大丈夫?

あ、ああ…

私に気にせず…

話を進めてくれ…


ああっ!


び、びっくりするやんけ!

急にそんなデカい声だしたら!

どうしたの、カツオさん…?

い、いま…

こ、声が…聞こえたんだ…

誰かが…

「姉さん」って呼ぶ声が…


ええ~~!?

空耳でしょ!

それとも…幽霊とか?

セ、センパイ…そうゆう怖いこと言わんといて…

・・・・・


ーー続くーー


レベッカ『ムーン』の「謎の声」by イチゼロシステム

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