日の名残り第58話1

「ロレンツ・ハートの子守唄」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第58話

さて、『It Never Entered My Mind』と作者ロレンツ・ハートに関して、ちょっと紹介しようか…

歌の解説はコチラ!

この歌は、1940年のブロードウェイミュージカル『Higher and Higher』のために作られた。

『サヨナラ』『南太平洋』で有名なジョシュア・ローガンが脚本・演出で、ロレンツ・ハートとリチャード・ロジャースの名コンビが曲を書きおろしたんだ。

『Higher and Higher』っちゅうたら、フランク・シナトラの映画デビュー作と同じタイトルやんけ。

シナトラ、若い!

なんで頭の上に本を載せているの?

姿勢を良くするためのトレーニングなんだ。

移民で、まともな教育を受けていない若い女中を「レディ」に仕立て上げてる最中なんだよ。

どゆこと?

さっきの動画のシーンで、シナトラ以外の人たちは、お金持ちの家で働く使用人なんだよ。

でも主人が破産してしまったんで、解雇の危機が迫った。そこで、若い女中を偽の「お嬢様」に仕立て上げ、どこかの金持ちに嫁がせて家を救おうと悪戦奮闘するコメディドラマなんだ。

一緒に本を頭に載せていた男が、この家のバトラー(執事長)で、背の高い女性がハウス・キーパー(女中頭)なんだよね。

この二人が若い女中(黒ドレス)に、一生懸命、上流階級の躾を一から叩き込んでいるんだ。

『日の名残り』の執事長スティーブンスと女中頭ミス・ケントンみたいやな。

映画ではシナトラ用に物語が大幅に書き換えられてしまったんだけど、1940年のミュージカル版では、この執事長と女中頭を中心に物語が展開していくんだよ。まさに『日の名残り』みたいに。

しかも執事長と女中頭は「腐れ縁」だったんだ。かつて男女の仲だったらしいんだよね。

だけど、若い女中も以前から執事長を密かに憧れていて、トレーニングしてるうちに二人は恋に落ちてしまう。

そしてショックを受けた女中頭が、ひとり淋しく『It Never Entered My Mind』を歌うんだね…

「まさかこんなことになるとは思わなかった…」って。

でもwikiによると、映画版には『It Never Entered My Mind』は使われていないようだな…

その通り…

映画では、女中頭サンディが脇役になっちゃったから…

あんなにいい歌なのに、残念だよね…

《It Never Entered My Mind》by Siri Vik

女中頭はミス・サンディってゆうのか。

そう、アレクサンドラだね。

ちなみに洋モノの物語には「アレクサンドラ」という女性がよく登場するんだけど、その場合、歴史上有名な二人の「アレクサンドラ」が投影されていることが多い。

二人のアレクサンドラ?

ひとりはギリシャ神話のカッサンドラ—。

イリオス(トロイア)の王女で、悲劇の預言者として知られている。

悲劇の預言者?

美しいカッサンドラーは、ゼウスの息子アポロ—ンに見初められ「予知能力」を与えられた。だけど、その力を授かった瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、カッサンドラーはアポローンの愛を拒絶してしまう…

やり逃げする気やったんか!

憤慨したアポローンはカッサンドラーに「お前の予言を誰も信じない」という呪いをかけてしまう。

カッサンドラーは、兄のパリスが世界一の美女ヘレネーをさらってきたときも、トロイアの木馬をイリオス市民が市内に運び込もうとしたときも、これらが破滅につながることを予言して抗議したんだ。

だけど、誰も彼女を信じなかった。

そして敗戦後は公衆の面前で凌辱され、惨めな晩年を送る…

トロイア戦争の「発端の事件」と「決着の事件」の両方を予言してたのか!

これを皆がちゃんと聞いていたら、戦争に勝ったかもしれないのに!

女中頭サンディが「あの時ちゃんと聞いておけばよかった…」という歌詞の『It Never Entered My Mind』を歌うのは、カッサンドラーのキャラを裏返しにしたギャグなんだな…

映画版ではシナトラが入って来たんで、サンディーがメインからはじかれてしまった。そしてこの歌もカットされたのだ。

だがシナトラはこの歌を非常に気に入り、すぐにレコーディングして自分の持ち歌とし、生涯にわたって歌い続けた。

皮肉なものだな。

そしてもうひとりの「アレクサンドラ」が「ローマの聖アレクサンドラ」。

聖ジョージに従い、共に殉教した女性だ。

聖ジョージっちゅうたら、イングランドやジョージア(旧グルジア)の守護聖人やな。

そういえば、小説の中にこんなセリフがあったね。

《わが心のジョージア》って、女の名前とアメリカの州名と、どっちとして歌ったほうがいいのかしら?

聖ジョージのことなの?

これはきっと、

「この小説に登場する人名や地名などの固有名詞には、別の意味があります」

ってことだね。

仕掛けをサラリと示唆してるんだ。

なるへそ!

さて、「ローマの聖アレクサンドラ」が生きた時代は3世紀後半。まだキリスト教がローマで「異教」とされ迫害されていた時代だ。

ある時、彼女の夫がゲオルギオス(聖ジョージ)を逮捕して棄教を迫った。しかしゲオルギオスは拷問に耐え、棄教を拒み、処刑されることになった。

アレクサンドラは、どんな拷問にも屈しないゲオルギオスの姿に心を打たれ、牢に繋がれているゲオルギオスのもとを訪ね、その「強さ」の理由を尋ねた。

イエスの教えを聞かされたアレクサンドラは、深く感動し、改宗を考え始める。

それを知った夫は激怒し、アレクサンドラに「棄教」か「死」を突き付けた。

そしてアレクサンドラは「棄教」を拒む…

ええ!夫に殺されちゃう!

夫はゲオルギオスの見ている前で、妻アレクサンドラを力任せに殴り、その体を切り刻んだ。

死の間際、アレクサンドラはゲオルギオスにこうつぶやく…

「私はまだ洗礼を受けておりません。これでは天国に行けませんね…」

ゲオルギオスは答えた。

「今あなたが流すその血が、洗礼となるのです」

それを聞いたアレクサンドラは、満足そうに微笑んで息絶える…

そしてゲオルギオスも処刑された。

コンスタンティヌス1世によってキリスト教が公認される10年前のことだ…

二人の出会いが、あと10年遅かったら!

どちらのアレクサンドラも可哀想だな…

この二人のアレクサンドラが、ミュージカル版『Higher and Higher』の女中頭サンディーに投影されているようだ。

それに合わせてロレンツ・ハートは歌を作っている。

そして、もうひとりの主役であるバトラー(執事長)も、ミュージカル版と映画版で大きく変更されていた。

映画版では名前が普通に「マイク」なんだけど、ミュージカル版では「Zachary Ash」って名前なんだ。

ざかりあっしゅ?

預言者ゼカリヤのことだ。

『It Never Entered My Mind』の元ネタになったことを前回紹介したじゃないか。

イエスがその預言を次々と成就させた「ゼカリヤ書」の作者だな。

ああ!

じゃあミュージカル版『Higher And Higher』は、やっぱり「そういう」話なんだ!

主役の執事長と女中頭が「預言者」なんだもんね!

そうなんだよ。

「Higher And Higher」ってタイトルは「高き天に向かって」という意味なんだ。

つまり、執事長と女中頭の二人が、破産した家を救う「救世主」を育てる物語っちゅうことか!?

そういうこと。若い女中が「イエス」で、主人が「天の父」なんだね。

それで納得できたよ!

『It Never Entered My Mind』が、もろ聖書ネタの歌だったことに!

しかもこの執事長ザカリーと女中頭サンディの二人は「ユダヤ系」っぽいんだよね。

ヨーロッパでの「ユダヤ人迫害」を恐れてる歌があるんだ。

このへんも映画版ではカットされちゃったけど。

その代わりに映画版では「若い女中」が「フランスからの移民」という設定になったんじゃないか?

そういうことだろう。

ロレンツ・ハートもユダヤ人だったもんな…

しかも彼は、ただのユダヤ人ではなかった。

ただのユダヤ人じゃない?

ロレンツ・ハートの曾祖父は、詩人ハインリヒ・ハイネの弟なんだよ。

詩人ハイネって、あのハイネ!?

そう、あのハイネだよ。

Heinrich Heine(1797 - 1856)

なんかボブ・ディランの若い頃に似てるよな。

似てる!

オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフの妃エリザベートが、彼の詩の大ファンだったことは前に紹介したよね。

うん!何度も聞いた!

ロミー・シュナイダーは、エリザベートの若き日を『プリンセス・シシー』で演じ、晩年のエリザベートをルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』で演じたんだよね!

彼女の当たり役だ!

だけどハイネはユダヤ人だったために、多くのドイツ人から嫌われていた。

27歳の時にキリスト教に改宗したんだけど、「元ユダヤ人」という「汚名」は一生彼に付いて回ったんだ…

27歳といえば、カズオ・イシグロが日本人から英国人に「改籍」したのと同じ年だな…

ああ、ホントだ。

さて、ハイネが亡くなった時、エリザベートは偉大なる詩人を偲んで記念碑を作らせたんだけど、ハイネの生地デュッセルドルフの市当局は、その設置を拒んだんだ…

え?生誕の地なのに?

そしてフランクフルトとマインツが次の候補地として名前が挙がったんだけど、両市も議会の反対により設置を断った…

ええ~~~!?

行き場のないハイネ記念碑は、結局アメリカへ贈られた。

そしてニューヨークのブロンクスに設置されたんだね。すぐ近くに旧ヤンキースタジアムがあった場所だ。

ひどいな、しかし…

ナチスが政権をとる半世紀以上も前のことじゃんか…

だよね。

だけどドイツ人のハイネ嫌いはエスカレートし、ついにナチスによって「憎悪」の対象とまでされるんだ。

ハイネの本は、1933年に始まった焚書で格好のターゲットとなった。

なんでそこまで嫌われたんや?

まずひとつ、ハイネが共産主義者の「マルクスとエンゲルス」と親しかったこと…

そしてもうひとつが、ハイネの戯曲『アルマンゾル』にあったセリフがヒトラーの逆鱗に触れたこと…

「焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」

予言だ!

ちなみにこの焚書では、アルトゥール・シュニッツラーの本も焼かれた。シュニッツラーもユダヤ人だったからね。

1933年に最初の大規模焚書が行われた時、シュニッツラー原作の映画『Liebelei(恋愛三昧)』がプレミア上映されていたんだけど、この焚書を知るや否や、監督のマックス・オフュルスは上映会を投げ出して、すぐさまフランスへ亡命した。

なんで?

シュニッツラー作品を映画化したというだけでも同罪になっちゃうの?

実はマックス・オフュルスもユダヤ人だったんだ。

差別から逃れるために、ずっと偽名を使っていたんだね。本名はマクシミリアン・オッペンハイマーというんだ。

そしてアメリカに渡りハリウッドで映画を撮り、戦後はヨーロッパへ戻って巨匠と呼ばれ数々の名作を残す。

そういや、その映画『恋愛三昧』で主演しとったのが、ロミー・シュナイダーのオカン、マグダ・シュナイダーやったな。

そんで1958年に娘のロミー主演でリメイクされたんや。『Christine(恋ひとすじに)』っちゅうタイトルで。

さて、ロレンツ・ハートは、19世紀末にドイツからアメリカに渡った両親のもと、ニューヨークのハーレム地区に生まれた。

Lorenz Hart(1895 – 1943)

さ、桜井くん!?

誰それ?

な、なんでもないわ…

ちょっと他人と思えんかったもんやさかい…

ハートは青春時代を、あの「熱い」ハーレムで過ごす。

「ハーレム・ルネサンス」が花開く直前の揺籃時期のハーレムで、少年時代のハートはアメリカ最先端の音楽や文学に触れた。


やっぱり、小っちゃな頃から悪ガキだったのかな…

へ?

だって、昔のハーレムといえば「観光客が決して足を踏み入れてはいけない場所」の代名詞だったからな…

ナイフみたいに尖った年端も無い少年たちが、触るものを手当たり次第に傷付けていたんだ…

どっかで聞いたことのあるようなこと言っとるな、さっきから。

い、いや…

なんでもない…

わかってくれとは言わないが…

アメリカ主流派のWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)から蔑まれていた黒人文化とユダヤ文化という両文化が融合して、第一次世界大戦後に、とんでもないムーブメントが巻き起こったんだよな。

「黒人文化」という側面だけで語られることの多い「ハーレム・ルネサンス」だが、文学や作曲では「ユダヤ文化」の影響が強かった。

その通りですね。

1930~40年代、ハリウッドにミュージカル映画の黄金時代が到来するんだけど、それを支えた偉大な音楽家たちの多くはユダヤ系だった。そして彼らは皆、この1920年代のハーレムで青春時代を過ごしていた。

幼い頃から身に沁み込んでいた伝統的なユダヤ音楽の上に、アフリカやカリブ音楽のエッセンスをどんどん取り入れていったんだね。

ハーレム生まれのロレンツ・ハートは、このムーブメントにどっぷりと浸かった。そしてソングライティングを始める…

「ハーレム・ルネサンス」において、もうひとつ、ハートにとって重要なムーブメントがあったよな。

ハートにとって重要なムーブメント?

ゲイ・カルチャーだね。

「ハーレム・ルネサンス」では、それまでアメリカではタブーとされてきた様々なカルチャーが「解放」された。

黒人文化、ドラッグ、そしてセックス…

のちに「ビート」ムーブメントを巻き起こすジャック・ケルアックも、この「ハーレム・ルネサンス」にやられたクチだな。

ビートの中心人物たちは、「ハーレム・ルネサンス」の「残り香」を嗅いで育った。

ですね。

特に「性」を大胆に描いた作品は、それまでのアメリカ文学には無かったものなので、人々に大きな衝撃を与えた…

アメリカで最初のゲイバーがグリニッジ・ビレッジ界隈に出現したのも、この頃だ…

そして、実を言うと、ロレンツ・ハートもゲイだったらしい…

なんとなく読めてたけど、やっぱりそうだったのか!

正式にカミングアウトしたわけじゃないから、あくまで「らしい」の域なんだけど、様々な証言から「そうだったらしい」ので、便宜上「そうだった」ことにして話を進めるよ。

OK!

ユダヤ人でゲイのロレンツ・ハートにとって、1920年代のハーレムは「天国」みたいな場所だった。

出自も性志向も、決して恥ずべきことではなく、周りには多くの理解者がいたからね。

だけど1929年に世界大恐慌が始まると、状況は一変する。

社会が急激に保守化し、「ハーレム・ルネサンス」は収束してゆく。一時的に「解放」されたカルチャーも、再び「タブー」となって「アンダーグランド」へ沈んでいった。

ロレンツ・ハートも「クローゼット」になった…

クローゼット?

ゲイであることを秘密にするって意味だよ。

そんなにゲイって悪いことなのか…

当時は、バレたら社会的に抹殺されてしまうレベルだったからね。

アメリカの全州で同性愛は「違法行為」だったし、逮捕されたら新聞に名前が公表されて、その社会では生きていけなくなるほどだった…

だからロレンツ・ハートは、密かに歌詞の中に自身の思いを込めるようになっていった。

ユダヤ人としての苦悩、そしてゲイであることの苦悩を…

ハートは「苦悩の人」やったんか!

せやから『It Never Entered My Mind』の「私」も、めっちゃ苦悩してたんやな!

ハートは、ギザギザハートだったんだ…

ちょーオヤジギャグ。

だからハートの歌には、自分自身のことを歌ったものが多いんだよ。

彼の歌には女性を主人公したものが多いんだけど、それって、ゲイだったハート自身の投影なんだよね。

投影!?

じゃあ、ハートの代表作のひとつ『ザ・レディ・イズ・ア・トランプ』を見てみようか…

タイトルは「この女はイカレテル」という意味だね。

数年前に、トニー・ベネットとレディ・ガガが歌って話題になったから、記憶にも新しいと思う。

でも、イシグロに敬意を表して、フランク・シナトラとエラ・フィッツジェラルドのデュエットでどうぞ。

Lorenz Hart《The Lady is a Tramp》
by Frank Sinatra & Ella Fitzgerald

『夜想曲集』第2話《降っても晴れても》の主人公レイとヒロインのエミリは、「フランク・シナトラとエラ・フィッツジェラルドが苦手」って言っとったやんけ。

イシグロの書いてることは文字通りに受け取っちゃいけないと、いつになったら覚えるんだ?

じゃかァしいわボケ!

この歌って「ちょっと変わったおねいさん」のことを歌ったものでしょ?

それがハーツ自身のことなの?

そうだよ。


「お腹が空いて、夜8時まで待てない」

「イケてる人みたいにショーに遅れて行けない」

「自分を嫌ってる人と一緒に居ても苦にならない」

「金持ちのオジサマとギャンブルするのは好きじゃない」

「お洒落してハーレムにくり出すのは好きじゃない」

「売れ残りの女たちと噂話をするのは好きじゃない」


これって、ロレンツ・ハート自身のことなんだ。

全部「反対」のことだけどね…


は、反対!?

この歌って「あれが好き、これが嫌い」と我が儘を言ってるように見せかけて、全部「自分と反対のこと」を羅列してるコミックソングなんだよ。

本当は「遅い時間のディナー」が好きだし、「時間ピッタリに劇場へ行く」ことなんか嫌いなんだ。

じゃあ、「自分を嫌ってる人と一緒に居る」のは全然気にならないどころか超ムカついて、「オジサマと賭け事して遊ぶ」のは嫌いじゃないってこと?

その通り。

「お洒落してハーレムに行く」のも嫌いやのうて、「売れ残りの女どもと噂話で盛り上がる」のも嫌いどころか大好きっちゅうことか!?

そうだよ。

だってハートは、アメリカで最高にイケてた町ハーレムが地元だからね。

そして彼は、いわゆる「パーティー・ピープル」だった。

パーリーピーポー!?

「ハーレム・ルネサンス」華やかなりし頃は、ハーレム地区のあちこちで夜な夜なパーティーが繰り広げられていた。だが1930年代以降は当局の目を恐れて「アングラ」で行われるようになったのだ。

だから「そっち系」の人々は、普段はそれを隠していなければならなかった。いわゆる「クローゼット」だな。

そして「クローゼット」同士で通じる「符丁」が発達した。

符丁か…

『オズの魔法使い』や『スタア誕生』に監督のジョージ・キューカーや作詞家のエドガー・イップ・ハーバーグが様々な「符丁」を忍ばせたおかげで、ジュディ・ガーランドは「ゲイ・アイコン」になったんだもんな…

だけど、なんでこの歌の歌詞が「反対」だってわかるの?

どこにもそんなこと出て来ないじゃんか!

暗号ソングは「Cメロ」で種明かしになるって前に言ったでしょ?

この歌もそうなんだよ。Cメロを見てみよう。

She likes the free fresh wind in her hair,
Life without care
She's broke and it's ok

彼女は自由で新しい風に髪をなびかせ
何にも縛られない人生を生きる
ぶっ壊れてるけど全然OK

「彼女」が「ハート自身」ってことは…

自由で、何にも縛られない生活で、金欠で、ぶっ壊れてるってこと?

だね。

そしてCメロは、こう締め括られる…

Hates California, it's cold and it's damp
That's why the lady is a tramp

カリフォルニアなんて大っ嫌い
寒くてジメジメしてて…
こんなこと言ってるから
私は「イカレタ女」って言われるのよね

なんでカリフォルニアが「寒くてジメジメ」しとるんや?

この女、アホか?

アホはお前だ。

この歌は「反対ことば遊び」だと言っただろう。

「カリフォルニアは寒くてジメジメしてる」という部分で、どんな鈍い奴でもこれが「ジョークの歌」だということに気付くようになっている。

だから「That's why the lady is a tramp」なのだ。

そしてこの歌の一番の面白いところは、Cメロだけロレンツ・ハート自身の本音になっているところなんだ…

「自由が好きで、束縛が嫌いで、カリフォルニアが大っ嫌い」っていうのは、ハートの本音なんだよ。

ハァ!?

カリフォルニアって自由なとこじゃん!

東海岸より束縛が少ないんじゃないの?

一般的なイメージでは、確かにそうだ。

だが、エンタメの世界ではそうではない…

エンタメの世界?

NYのブロードウェイと、LAのハリウッドのことだよ。

実はハリウッドって超保守的だったんだ。今も「ある意味」そうだけど。

ロレンツ・ハートの作品は、そのほとんどがブロードウェイ・ミュージカル向けに作られたものだった。だけどそれがハリウッドで映画化されると、大幅に歌がカットされた。ハートが思い入れのある歌ほど、映画版では使われなかったりしたんだ。

『It Never Entered My Mind』みたいにね…

なんで!?

きわどい歌詞が多かったからだよ。

「同性愛」「宗教への懐疑的態度」「政治風刺」など、ハリウッドが嫌う要素が多く含まれていたんだね、ハートが書く歌には…

ハリウッド映画のメインターゲットは、アメリカの「田舎の人」だ。

ニューヨークみたいに、ヨーロッパ文化に詳しい人が多いところならハートの歌はウケるんだけど、自分の生まれた町以外のことを知らないような素朴な人たちに聞かせるには刺激が強過ぎたんだよね。

そうだったのか~!

ハートの代表曲といえば、『マイ・ファニー・バレンタイン』も忘れちゃいけないね…

これも彼自身のことを歌ったものなんだ。

「お茶目なバレンタイン」がロレンツ・ハートってこと!?

だね。

まず曲を聴いてもらおうか…

ぜひともジョアン・チャモロの歌で聴いて欲しいな…

この歌は、こうでなくちゃいけない…

Lorenz Hart《My Funny Valentine》
by Joan Chamorro with Divas

わお!

いつもの天才少女のおねいさんたちがコーラスに回って、いつもは脇役に徹していたチャモロ先生がリードボーカルなんだ!

しかし、なぜ「この歌はこうでなくちゃいけない」のだ?

実はこの歌…

「あまりイケてない、ゲイの自分」を歌ったものなんだよ…

髪が薄い自分を、励ます歌なんだ…

ええ~~!?

しかも、聖バレンタインを題材にしたことにも、深い意味がある…

「世間に認めてもらえないゲイの自分を、聖バレンタインに重ね合わせている」歌なのだ。

ど、どゆこと!?

じゃあ、歌詞を見てみようか…

『My funny Valentine』

written by Lorenz Hart
日本語訳:おかえもん

My funny Valentine, sweet comic Valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable
Unphotographable
Yet you're my favorite work of art
Is your figure less than Greek?
Is your mouth a little weak?
When you open it to speak
Are you smart?
But don't change a hair for me
Not if you care for me
Stay little Valentine, stay
Each day is Valentine's Day

私の愛しのバレンタイン
ちょっとお茶目なバレンタイン
あなたといると笑いが絶えない
だって見た目が笑えるし
写真に映った姿なんて最高にダサい
だけどあなたは私にとって
最高にイカした芸術作品なの
顔も体もギリシャ彫刻みたいじゃないって?
いつもその口で失敗してるって?
あなた、バカなの?
そんなあなたが好きなんだから
髪の毛一本変えないで
私に余計な気を使わないで頂戴
そのままで、そのままでいて
私の聖バレンタイン
そしたら毎日がバレンタインデーになるから

ロレンツ・ハートが「私」であり「ブサメンの彼氏」でもあるってこと?

たぶんそうだね。

鏡に映った自分に歌っているんだと思う。

わかったで!

「この歌はこうでなくちゃいけない」っちゅうのは、「髪の毛一本変えないで」っちゅう歌詞があるからやな!

ハートの自虐ネタっちゅうわけか!

そうなんだよ…

ハートは恐らく自分自身にコンプレックスがあった…

若い頃から髪の毛が薄かったから…

そんな自分を鏡に映して「funny」と言ったんだ…

・・・・・

そしてハートは口が悪かった。

いつも酔っぱらっては暴言を吐いていたと言われている…

ユダヤ人である出自を誇れなかったり、ゲイであることを隠していたからストレスも人一倍だったんだろう。

しかもハリウッドは、彼の素晴らしい歌を容赦なくカットするし…

だから晩年は深刻なアルコール依存症になっていたらしい。それが原因で「最強のチーム」と謳われたリチャード・ロジャースとのコンビも解消することになったんだ…

ところで…

聖バレンタインは、どう関係があるの?

聖バレンタインは殉教して聖人になった人なんだけど、なぜ彼が処刑されたか知ってる?

なぜ?

チョコのせいとか?

実は「禁じられた結婚」を執り行っていたからなんだ。

皇帝によって結婚を禁止されたカップルに、こっそり「結婚」の祝福を与えていたんだね。

「結婚を禁じられたカップル」って誰!?

3世紀頃、ローマ皇帝は兵士たちの結婚を禁じていたんだよね。「士気が下がる」という理由で。

だけど兵士たちは結婚したがった。

聖バレンタインことウァレンティヌスは「婚姻とは神による秘跡だから、皇帝が禁止するのはおかしい」と考え、兵士たちの結婚を祝福したんだ。

これが皇帝の逆鱗に触れ、ウァレンティヌスは処刑され、後に殉教者バレンタインとして聖人となった。

恐らくハートは、「禁じられたカップル」を祝福して処刑された聖バレンタインに、決して誰かと公に結ばれることのない同性愛者である自分を重ね合わせたんだと思う。

つまり…

「Each day is Valentine's Day」という最後の歌詞は…

「毎日が、《禁じられたカップル》を祝福した聖バレンタインの日になりますように…」

って意味なのか…

なんて痛々しい歌詞なんだ…

この歌は、ハートが自分自身に向けて歌った、ギザギザハートの子守歌なのか…

深いよな。ハートの歌詞は。

最後にもう一曲紹介しましょう。

『リトル・ガール・ブルー』という曲です。

この歌は、ニーナ・シモンを置いて他はないでしょうね…


Lorenz Hart《Little Girl Blue》
by Nina Simone

なぜだか涙が止まらない!

水を差すようで申し訳ないが、この歌の「Little Girl」もロレンツ・ハート自身のことだよな。

そうだとは思ってたけど、やっぱり歌が美しすぎる…

確かに「年をとった自分」のことを自虐的に歌っている一面もあるけど、この歌にはもっと深い意味も込められている…

では歌詞を見てみようか…


『LITTLE GIRL BLUE』

Lyrics:Lorenz Hart
Music:Richard Rodgers
日本語訳:おかえもん

Sit there and count your fingers
What can you do
Old girl you’re through
Sit there, count your little fingers
Unhappy little girl blue

Sit there , count the raindrops
Falling on you
It’s time you knew
All you can ever count on
Are the raindrops
That fall on little girl blue

No use old girl
You might as well surrender
‘Cause your hopes are getting slender and slender
Why won’t somebody send a tender blue boy
To cheer up little girl blue

そこに座って、指で数を数えてなさい
他に何が出来るというの?
あなたはもうお姉ちゃんなんだから
そこに座って、指で数を数えていなさい
あなたの人生の不運の数を

そこに座って、雨だれを数えてなさい
あなたに滴り落ちる雨だれを
そろそろわかってもいい頃よ
あなたに出来ることは
それだけなんだってことを
あなたの頭上にはただ雨雲があるだけ

まったく仕方のない子よね
もう諦めたほうがいいっていうのに
あなたは希望と共にどんどん痩せ細っていくわ
なぜ誰かがあなたに
救世主を送ってくれないのかしらね
あなたみたいな可哀想な子を
勇気づけてあげるために

なんていう救いのない歌詞なんだ!

こんな悲惨な歌、聞いたことないよ!

せやけど、これまでの法則やと「雨」は不幸とは限らんかった…

これももしや…

ちなみにこの歌も、ブロードウェイ・ミュージカルのために作られたものだ。

「サーカス」を舞台にした『JUMBO』という、「1935年」のミュージカルだ…

「サーカス」と「1935年」がヒントなんだね。

オイラ、なんだかわかってきたぞ…

このシリーズの賢明なる読者は、もうピンと来たかもしれないな。

このミュージカルは、1962年には映画にもなった。

ドリス・デイの主演で公開された映画『ジャンボ』だね。

あらすじは、こうだ…

象のジャンボが大人気の「ワンダー・サーカス団」が、とある中西部の町にやって来た。団長はギャンブル好きで、負けに負けを重ねた挙句、ついにはサーカスの経営権を借金のかたとして奪われてしまう。

次々と団員が去って行く中、団長の娘キティは何とかサーカスを立て直そうと、サムという男を雇う。しかし彼の正体は、なんと悪徳プロモーターの息子で、「ワンダー・サーカス団」の経営権を債権者から買い取り、旧経営家族を一掃して乗っ取ろうとしていたのだ。

団長とキティたちは新たに旅の一座を結成するが、昔の仲間や動物のいない一座は上手くいかない。だけどキティとサムが恋に落ち、サムは「ワンダー・サーカス団」を再建するために父親と決別することを選ぶ。そして象のジャンボを連れだした…

もうわかったよね?

この物語が、本当は何を物語っているのかを…

何って、サーカスの再建物語やろ?

お前、マジでそう思ってるのか?

他に何があるん?

この団長の「ルックス」、どこかで見覚えがない?

どこかで?

オーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ1世なんだよ。

なぬ!?

前にも話した通り、フランツ・ヨーゼフ1世は多民族国家を標榜し、ユダヤ人宥和政策を行った。他の国では制限されているユダヤ人の居住・職業の自由を認めていたんだ。

だからウィーンには主に東欧からユダヤ人が流入し、しかも裕福な者が多かったため、ドイツ系市民は不満を訴え始める。

そして「反ユダヤ主義」を掲げるカール・ルエーガー市長が誕生するに至る。

当時ウィーンに留学していたアドルフ・ヒトラーは、ルエーガーに大きな影響を受けた…

ああ…そうだったのか…

ユダヤ人宥和政策をとっていたオーストリア=ハンガリー帝国だったが、ドイツ語圏の中心は北部のプロイセンとベルリンに移っており、ウィーンは時代遅れとなって経済も破綻し、第一次世界大戦の敗戦をもって栄光のハプスブルク家は終焉した。

そんな中、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人テオドール・ヘルツルを中心に、スイスで「シオニスト会議」が開催される。

欧州各地で悪化するポグロム(ユダヤ人迫害)と弱体化するオーストリアという危機的状況を受け、オスマントルコと交渉し、パレスチナへの入植を進める運動が始まったんだ。

これがやがて「イスラエル建国」を目指す動きになってゆく…

映画『マダガスカル3』だな!

その通り。

この『JUMBO』という物語は「ユダヤ人国家建設」の投影になってるんだよね。

「サーカスもの」の映画には多いんだ、ユダヤ人が投影されているものが。どちらも移動しながら「天幕」を張るからね。

なるへそ!

ユダヤ人にとって「安住の地」かと思われたオーストリアがそうではなくなり、彼らは新天地を探さなければいけなくなった…

だけどヨーロッパには新天地などなく、リスキーな場所しかない。そして同じリスキーなら、いっそのことパレスチナに行こうと彼らは考えた…

移動サーカスが舞台となった『マダガスカル3』は、この『JUMBO』の物語を踏まえていたんだ。

なるほど…

そういうことだったのか…

そして『Little Girl Blue』という歌は、大好きなサーカスを奪われたキティが、ため息混じりに歌うんだね。

「他人を信用したばかりに、全てを失ってしまった」って…

せやからあそこまで絶望的やったんか…

それだけじゃないよね!

「1935年」だもん。

そうなんだよ。

『Little Girl Blue』は、当時のヨーロッパにおけるユダヤ人の置かれた状況を歌ったものなんだ…

1933年1月、ヒトラー内閣が誕生すると、すぐさまヒトラーは国会を解散し、2月には国会議事堂放火事件が起こる。ヒトラーはこれを共産主義者とユダヤ人の陰謀とし、3月にはドイツ各地で大規模な焚書が行われた。

ハイネやシュニッツラーをはじめとするユダヤ系の作家の本が大量に焼かれたんだね。

そして4月には公職から共産主義者とユダヤ人が追放され、以後、他の職業にもどんどん広がって行く。

『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクの一家は、1934年12月から35年の1月にかけてアムステルダムに逃亡した。

Anne Frank(1929 - 1945)

そして1935年には『ニュルンベルク法』が制定され、ユダヤ人は「国籍を保持するが、帝国市民(ライヒ市民)ではない」とされた。つまり「奴隷」だね。

そして『ニュルンベルク法』では、ユダヤ人とドイツ人との性交渉が禁じられる…

映画『ニュルンベルク裁判』で取り上げられた、あの法律だな…

でも1935年当時、これに対して他の国は、特に何も言わなかったんだ。ドイツはソ連の共産主義に対する重要な「防波堤」だから黙認していたんだよね。

これは英仏だけでなく、アメリカもそうだった。

そしてこれらの国の市民には、ドイツの対ユダヤ人政策に積極的に賛同する者も少なくなかったんだ…

イシグロの『日の名残り』における、ダーリントン卿みたいに…

ああ…

ドイツで『ニュルンベルク法』が制定され、それをアメリカなどが黙認したことで、ロレンツ・ハートは相当ショックを受けたに違いない。

ナチスは「ユダヤ人」と「同性愛者」を「悪しき存在」だとした。社会から抹殺されるべきだと主張し、それを実行に移したんだからね。

ユダヤ人というだけでなく同性愛者でもあったロレンツ・ハートは、どのユダヤ人よりも「恐怖」と「罪悪感」を強く感じていたはずだ。

自分みたいな人間は、ドイツでは「生きることが許されない存在」になっていたんだから…

それが『Little Girl Blue』という歌になったのか…

間違いないでしょうね…

あの歌詞はどう見ても「追い詰められたユダヤ人」のことですから…

『ニュルンベルク法』が1935年の9月、そしてミュージカル『JUMBO』の初公演が同年11月…

この法律の成立は、間違いなく作品に大きな影響を与えているはずだ。

僕が彼の立場にいたら、やはり「恐怖」と「不安」とを歌にせずにはいられないと思う…

せやな。ワイもそうするわ、きっと。

あんな恐ろしい法律を、ドイツ人だけやなくて他の国のモンも認めるんやからな。自由の国アメリカまでが…

いつ自分の周りの人間も同じこと言い出さんかとビクビクしとるかもしれん。

怖い時代だったんだね…

誰よりも自由を求めたハートが、心を縛られて…

歌に込めた夢は、ハリウッドで削られて…

ハートの歌が、かなりメッセージ性の強いものだったということが、良くわかったかな?

だから映画化される時に、ことごとくカットされてしまったんだよね。

映画化と言うけれど、何を映画化するのだろう…

だけどそれを見捨てなかった仲間たちがいた。

映画化の時にボツとなったハートの歌は、シナトラやビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドなど多くの歌手たちによってレコーディングされ、没後75年の今でもスタンダードナンバーとして歌い継がれている。

今回も濃厚な回だったが、『夜想曲集』的には重要な回になりそうだな。

僕も何だかそんな気がします…

ハートの心はギザギザハート…

おかえもん、かけてやらんかい。

え?

なんのこと?

カヅオさん、ずっとアピールしてたじゃんか。

けっこう前から…

アピール?

もういい。俺が歌ってやる。




——つづく——




『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳



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