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スナックふかよみ 志賀直哉『網走まで』第2話


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2023年 某月某日

スナックふかよみ にて





カランカランカラン…


あ、またお客さん。いらっしゃいませ~


ここはスナックふかよみですね?

ママさんはいますか?


ママはあたしですが、何か?


七曲署のものです。


え? け、警察!?


御心配無用。すぐに終わります。

ちょっとお尋ねしたいことがあるだけですので。

あっ、お客さんもそのままで結構。


・・・・・


・・・・・


ん?

誰かと思ったら、「あにき」じゃないですか!


・・・・・


「あにき」ですよね?

間違いねエ。「あにき」だ!


失礼ですが、人違いじゃございませんか?


そんなことねえ。どっからどう見ても「あにき」だ!

神山組の若頭「あにき」こと神山栄次!



刑事さん、この人は確かに「栄次さん」だけど、人違いよ。

だってこの人、組の若頭なんかじゃなくて、この近所にある居酒屋の大将だから。


居酒屋の大将?

じゃあ「あにき」じゃなくて「兆治」か?



ぶっぶ~

札幌ススキノに本店がある炉端焼き居酒屋「コロポックリ」新宿店の大将で~す(笑)


わけあってコロポックリ新宿店の大将を務めさせてもらってる栄次と申します…

以後お見知りおきを…


コロポックリ?

それを言うならコロポックルだろ?


コロボックリとかコロボックルとか何の話をしているんだ、ゴロー?


やれやれ。これだから小樽の都会育ちは…



何か言ったか?


い、いえ… 何でもありません、ボス…

コロポックルというのは、北海道の先住民アイヌの伝承に出て来る森の住人、小さな妖精のことですよ。



栄次さんとやら、どうもすみませんでした。

うちの者がとんだ失礼を…


いいんです。お気になさらずに。


で、こちらの若いお客さんは…


はじめまして刑事さん。米津といいます。


米津? ひょ、ひょっとして、あの米津?


はい、その米津です(笑)


こいつはたまげた!こんなところで本物の米津玄師に出くわすとは!

うちの息子がさァ、あんたの大ファンなんだよ!


それは、どうも(笑)


さ、サインもらってもいいかね?

この手帳に…


ちょっと刑事さん…

うちのお客さんに、そういうことやめてもらえないかしら?


いいんですよ、深代ママ。ファンは大切にしないと(笑)


じゃ、じゃあ… この手帳の、このへんに…

あんたのサインと、息子のために「純くんへ」と…


これ… 警察手帳ですよね…

俺がサインなんかして、いいんですか?


いいんです、いいんです、こんなしょぼくれた手帳…

ここにお願いします… このへんに大きく…


わかりました… それでは…


うちの息子、びっくりするだろうなァ…

この前も息子と一緒に飯を食ってたらラジオであんたの曲が流れたもんだから、サビに合わせて俺が「今でもあなたは私の光~」って歌ったら「音痴なんだからやめてくれ!米津玄師が穢れる!」って生意気言いやがってね…


ん? この匂いは…


匂い?


刑事さんの口臭…

苦いレモンの匂いだ…


に、苦いレモンの匂い?


そうです…

五年前にこの店で会った英二さんの口臭と同じ、苦いレモンの匂いがする…

あわの国の、苦いレモンの匂いが…


うっ…


ゴロー、まさかお前…

さっき待ち合わせをした時間に1時間以上も遅れて来たのは…


す、すいませんボス!

今夜はどうしても行かなきゃならなかったんです…

必ず行くと先月から… 雪子ちゃんと約束してて…


雪子ちゃん?

前にお前が新宿の街で偶然会ったと話していた、富良野の女か?


はい…

新宿の街で、というのは嘘で、実はレモンで偶然…



ねえ深代ママ。刑事さんたち、何の話をしてるんですか?

苦いレモンの匂いの口臭って?


ホントに男ってどうしようもないんだから…

「あわの国」のことよ、めぐみちゃん…


阿波の国?

徳島県って、苦いレモンの匂いがするんですか?


その「あわの国」じゃなくて、別の「あわの国」よ。


チーバくんの下半身?



そうじゃなくて…

阿波の国でも、安房の国でもない、別の「あわの国」があるでしょ?


そんな国ありましたっけ?


男の人にとってはユートピア…

生きることの苦しみを癒してくれる、愛の国なんだけどね…


ガンダーラ?



極楽浄土ガンダーラに近いって言えば近いんだけど…

その国は昔、トルコって呼ばれてたから…


昔はトルコだった?

いったいどこにあるんですか、その「あわの国」は?


話が通じないわね…

それじゃあ単刀直入に言うけど…

「苦いレモンの匂い」ってのは、これのこと。



イソジン? なんで「苦いレモンの匂い」がイソジン?


「あわの国」ではイソジンが欠かせないのよ。

実際「あわの国」に入らなくても、近くを通っただけでイソジンの匂いがしてくるの。


「あわの国」の人たちは、喉のケアに熱心なんですか?


んもう。まったくこの子は…

いつかろくでもない男にハマって、全財産貢いで、借金背負わされて、最後に「あわの国」に沈められても知らないから。


沈められる?

「あわの国」は海底にあるんですか?

乙姫様の住む竜宮城みたいに?



めぐみちゃん… わざとやってるでしょ?


????


ところで刑事さん、深代ママに聞きたい話って?


そうそう!それそれ!

そのために我々はここへ来たんですよ!

え~、深代ママさん!

はい、何でしょうか?


この写真の男に見覚えは?


この写真の男?

きゃっ! し、死体じゃないの!


今朝、晴海ふ頭で水死体として発見された、身元不明の男です。


み、身元不明の水死体?

なんでそんな話がうちに来るのよ…


それが実は深代ママさん…

男の服のポケットに、こんなものが…



うちのマッチが?

だけどあたし… こんな人… 知らないわ…


男が所持していたのは、ここのマッチと、海水で文字が滲んで読めなくなった葉書だけ…

つまり、手掛かりはこの店しかないんですよ。


でもあたし、本当に知りません、こんな人…

ここのお客さんにこんな人は…


あの~ 刑事さん…


何だね、お嬢さん?


その葉書の消印って…

もしかして「宇都宮」だったりします?


ちょ待て… い、今なんて言った?


う・つ・の・み・や(笑)


お嬢さん、どうしてそれを?


だって、その葉書… わたしも持ってるもん。


ハァ!?


め、めぐみちゃん…

これはいったいどういうことなの?


その男の写真、わたしにも見せてもらえます?


あ、はい… どうぞお嬢さん…


お嬢さんなんて呼ばれると、何だかくすぐったくなっちゃう。

わたしはこの店の新人チーママめぐみ、めぐみちゃんと呼んでください。


は、はい… めぐみちゃん、どうぞ…


ああ、やっぱりわたしの思った通り。

「やすき」さんだわ。


安木さん?


めぐみちゃん、あなたの知り合いなの?


こないだ、深代ママが出勤する前の、早い時間帯に来たお客さん。

ポッケに入ってたマッチは、わたしが帰り際にあげたの。


そうだったんだ…


しかし、どうしてあなたと安木に宇都宮から葉書が?


あの~


今度は何だ?


犯人わかっちゃったんですけどぉ~


な、何ィ? 誰なんだ犯人は!?


犯人は、ガーシー。


ガーシー? 逮捕された国会議員の?


こ、国会議員だとォ!?


キャー!


ボ、ボス! ドスですぜ!


ついに正体を現したか…

居酒屋の大将なんて、真っ赤な嘘だったな…


うおおおおおおおお!


お、おいっ!そのドスを捨てろ!

さもなければ… う、撃つぞ!


刑事さん!撃たないで!

めぐみちゃん、そこにある小さな丸太ん棒を取って!


ち、小さな丸太ん棒?

こ、こ、これですか?


そう!

はい、栄次さん!


おうっ!

ガリガリ… ガリガリ…


あ、あれは… 何をしてるんだ?


ニポポ人形を彫ってるんですよ…


ニポポ人形?「アイヌこけし」のことか?



あたしもよくは知らないんだけど、栄次さん…

国会議員に何か恨みがあるみたいで…

腹黒い国会議員に…


腹黒い国会議員に?


だから国会議員という言葉を聞くと、ああやって興奮しちゃうんです…

そして興奮すると、なぜかニポポ人形を彫りたくなるみたいで…


な、なぜ興奮すると人形を彫りたくなるんだ?


何でも、血の気の多かった若い頃に、網走で…

更生と精神修行を兼ねてニポポ人形を彫っていたらしく…


ガリガリ… ガリガリ…


急にドスを出したのは、そういうことだったのか…

人には変わった性癖があるもんだな…


何だか… 英二さんみたいだ…


え?


五年前にここで会った英二さんも、国会議員と聞くと興奮し出して…


そいつも店の中でドスを出したのか?


いいえ。ドスではなく「ピストル」です。


ぴ、ピストルだと?


その「ピストル」で、腹黒い国会議員に…

しょんべん、ひっかけてやるって…



しょんべん? なぜピストルで小便を?


ゴロー、お前の頭はカボチャか?


へ?


お前もさっきスケベったらしいイカしたミック・ジャガーの舌がブラブラぶら下がってるビルの2階で「ピストル」を撃ってきたんだろ。

しょんべんどころか「実弾」を。


お、俺が人前でピストル出して実弾を撃った?

そんなことするわけないじゃないですか、ボス…


馬鹿野郎、「ピストル」は駄洒落、隠語だ。

つまり英二という男が五年前にこの店で犯した罪は、銃刀法違反ではなく、公然わいせつ罪ということ。


????


もう、そんなバカバカしい話はやめて頂戴。

そんなことより晴海ふ頭の水死体でしょ?


これは失礼しました、深代ママさん…


犯人はガーシーって、どういうことなの、めぐみちゃん?

あの人、もう逮捕されたでしょ?

ワイドショーでやってたじゃない…


たぶんママ、違う「ガーシー」の話をしてるわ。

そのガーシーじゃなくて、ガーシーのおじいちゃん。


ガーシーのおじいちゃんって…

まさか、あのガーシーさん?


そう。あのガーシーのおじいちゃんが犯人。


誰なんだ、その「ガーシーのおじいちゃん」というのは?


うちの店に、たまに来るおじいちゃんなんです…

泰然自若というか、明鏡止水というか、たとえ顔にハエが止まっても、追い払うこともせず、何食わぬ顔でお酒を飲み続けているおじいちゃんで…


顔にハエが止まっても、そのまま酒を飲んでる?


ほら、こんな感じで…

あまりにも面白いから、あたし、写真撮っちゃったの。



確かに蠅がとまってる…

もう爺さんだからボケてるんじゃないのか?


まあ、そう言われてみれば、ボケてるところもあるけど…


おいゴロー。ハエの話などどうでもいい。

聞かなければならないもっと大事なことがあるだろう?


あっ、そうでしたボス… すいません…

あの、お嬢さん… じゃなくて、めぐみちゃん…

宇都宮からあなた宛てに届いた葉書には、いったい何が書かれていたのですか?

あなたが犯人だという「ガーシーのおじいちゃん」は、あなたと安木宛てになぜ葉書を送ってよこしたのですか?


うふふ。知りたい?


と、当然でしょう!我々は刑事なんですから!


どうしよっかな~(笑)


めぐみちゃん、何をふざけてるの?

刑事さんの捜査には協力しなきゃダメでしょ?

安木さんという人がここへ来た日に何があったのかも全部話して頂戴。


そうです!これは重要なことなんですよ!

今あなたには協力する義務があります!


それを言われたら仕方ないわね…

じゃあ刑事さん、アレやって。


あれ? あれとは?


決まってるじゃん。

人に何か重要な行動をさせる決心を促す時に言う、決まり文句の「アレ」よ。


決まり文句のアレ?


馬鹿野郎、そんなこともわからんのかゴロー!

人を動かすための決まり文句と言ったら「アレ」に決まってるだろ「アレ」に!


アレですか? あっ、なるほど…

え~ では…


いつやるの?今でしょ!


さむっ。オホーツクの真冬より寒い。


は?


刑事さん、アレというのはアレのことですよ…

「巣立ち」の…


すだち?

徳島の特産物?



そうじゃなくて、倉本聰の『北の国から '92 巣立ち』です…

有名なセリフというかフレーズがあったでしょう?

人に行動を促す言葉が…


あっ!アレのことか!


わたし、見たいな~ 刑事さんのアレ(笑)


アレならアレと早く言ってくださいよォ、めぐみちゃん…

まったく、回りくどいんだからさァ…


わたしはハッキリ言ったつもりですけど。

刑事さんだけよ、わかってなかったのは。


え~ それでは…


やるなら今しかね~!

やるなら今しかねぇ~!




つづく




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