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20代で2回結婚した話

なんなら苗字は今4つ目。
お母さんが再婚したからね!
どうでもいいけど、出席番号がどんどん下がっていってます。

元夫と結婚したのは24歳の時。
16歳から一度も別れずに8年間付き合ってのゴールイン。高校時代のクラスメイトで、当時から「もう熟年夫婦みたいだよね。結婚式呼んでね」って色んな友達に言われるほど、「ぴったり」な私たちだった。
私が高校中退したり、元夫が浪人して遠距離恋愛になったり、元夫のお母さんが亡くなったり。色んなことを一緒に乗り越えてきた。元夫は進学先も私の近くでと決めたほどだった。こんなん運命の相手と思うやん。

ここで元夫スペック
頑固者だけどめちゃくちゃ優しい。
子どもや動物が好きで面倒見のいい長男。
高校の同級生、地方国立大学理系卒、準公務員みたいな仕事
身長あんま高くない、ヒョロガリ、顔はAIで96%綾野剛。少しだけ草彅剛のかほり。
ポケモンとB'zオタク。コレクター。
今は、現夫公認のいい友達。

元夫と現夫がややこしいので、元夫をA、夫はBと表記します。

「俺、○○との子どもはいらないや」
福岡の実家に帰る車の中で、最愛の夫に言われた。高校生の頃は、一緒に子どもの名前まで考えていたのに。

Aと暮らしてる時はとにかく鬱がひどかった。私は元々名古屋で正社員をしていたけど、鬱になって時短勤務すらできなくなり仕事をクビになった。その頃ちょうど、Aは大学を卒業し、九州での就職が決まった。このタイミングで籍を入れよう。そんなにお金も貯まっていなかった私たちは、挙式もせず指輪も買わず写真も撮らず、婚姻届を初めて付き合った日に提出した。

結婚生活、はじめは良かった。市内からは程遠いど田舎で、新婚生活が始まった。失業手当もあったし、特に生活には困ってなかった。ふたりで犬も飼い始めた。最初は自転車で移動してたけど、不便すぎて車も買った。

まもなく私も仕事を始めたけど、鬱がひどくてめまいで倒れたり吐いたりしてすぐクビになった。何度か職場を転々としたけど、どこも長続きしなかった。
今でこそ家族と仲はいいけど当時はそんなことなくて、近くに友達も知り合いもいないし、Aは帰ってくるの遅いし、家事なんてもうやることがない。愛犬と近所の田んぼをぐるっと散歩してまわる日々だった。

週末しか一緒に過ごせないのに特にやれるこどない寂しそうな私を見て、AはSwitchを買い与えてくれた。これが良くも悪くも人生を変えた。

私は子供の頃はゲーム好きだったけど、大人になってからは全くやってなかった。でも「スプラトゥーン2」にハマり、Twitterでオンラインの友達を作り、毎日何時間もやるようになった。
Aはずっとゲームが好きで、というよりポケモンが大好きで、最初は一緒にやってたけどだんだんうんざりしていた。
やりすぎて夢にゲーム映像が出てくるほどだったけど、それでも私はやめなかった。

その頃、Aの仕事が忙しくなり、毎日イライラしてて愚痴をよく話すようになった。私はそれが嫌でゲームに走り、ますますコミュニケーションを取らなくなった。

鬱はどんどんひどくなった。ベッドから一日中起き上がれない日も多々あった。精神科へは、名古屋の時から定期的に通っていたけど全然良くならなかった。病院すら1人で行けず、Aが付き添ってくれることもあった。
後になって双極性障害とわかるのだけど、私はずっと鬱と診断されていた。双極性障害は医者でも診断するのが難しく、こういった人はたくさんいるらしい。当時は病院にちゃんと通ってるのに良くならないことにイライラしていた。

働いてないからお金もない。なのに整形したいと騒いだり、3万の靴を欲しがったり、東京に旅行に行ったり、完全に躁状態だったけど、病院では「元気になった」と思われていた。

私との子どもはいらない。
Aがそう言ったのも当然のことだった。こんな、自分の世話もちゃんと出来ないほど病気がひどくて、子育てなんて到底無理だ。
私はずっとAとの子どもが欲しかったけど、妊活は一度もしなかった。

私たちはどんどんすれ違っていった。Aは週末にカフェや犬が遊べる広い公園など連れ出してくれたけど、私の鬱が良くなることはなかった。
結婚して2年経った頃、私は毎日「もう別れたい。離婚したい」と泣いて訴えた。それだけじゃなく、何回も自殺未遂をしており、仕事も忙しいAは疲れ切っていた。それでもAは「もう私のことを前のように好きじゃないけど、大切なのは変わりないから絶対に別れたくない。離れたくない」と毎日言っていた。今考えると過ごしてきた時間への執着だったと思う。

そのうち私は「お互い、お互いが知らないから辛くなるんじゃないの?知らない人ともデートとかしてみようよ」と提案した。今考えると躁状態だけど、当時はもちろんわからない。
Aは職場の子が気になると言って、私はそれを応援した。私は出会いがないのでマッチングアプリを始めた。中にはごはん食べて喋るだけのいい人もいたけど、既婚者と伝えていたから遊び目的の人ばかりで危ない目にもあった。

そのうち、オンラインの友達で「両思い」の人ができた。もうその時には結婚記念日に離婚することが決まっていたので、Aにはそれを話していた。

4月の3年記念日に、私とAは離婚した。
8年間付き合って、3年間の結婚生活。お互い傷つけあって、もうボロボロだった。
離婚してもAは「また再婚すればいい」と言っていた。

6月、私はオンラインの友達と会ってデートをした。その日は市内に泊まって、Aは私を駅まで迎えにきてくれた。帰りの車でAは「もう俺のものじゃなくなっちゃったね」と言って、なぜか私が泣いた。

結局そのオンラインの彼にはすぐ振られて終わってしまうんだけど、Aはよその男と付き合ってる間も別れてからも「ずっとここにいたらいい」と言っていた。今思うと不気味だけど、私は働くこともできず実家にも帰れずで行くところがないので、離婚してるのに一緒に住む生活が続いた。

離婚後は楽しかった。あんなに愛し合っていた人と傷つけあっていたのがよっぽど辛かったようで、別れた後は清々としていた。愛犬を連れて旅行にも何度か行った。
障害者手帳を取得したので、病院の障害者雇用で働き始めた。休みがちだったけど、なんとか社会と関われているのは私の心の支えだった。
ゲームは相変わらずやっていた。

そして転機が訪れた。
たまたま共通のフォロワーが多くて同じゲームをやっている人と、Twitterで繋がった。今の夫、Bだ。
こちらとしては話してて楽しいくらいだったけど、向こうは頻繁に電話をかけたりLINEを送ってきた。私のことを気に入ってたらしく、Aから「またBから電話だよ」と呆れられるほどだった。

11月。Bから「付き合ってほしい」と言われた。でもBには同棲している彼女がいた。「追い出すまではいかんでも、せめて別れてから言ってくれん?」と伝えた。次の日、別れてきたので付き合うことになった。
雑談の中でBは恋愛が長く続かないとか浮気したことあるとか言っていたので、今思えば…よく付き合ったな…正常な判断できてたら絶対付き合ってなかったよな…と思うので、精神疾患は恐ろしい。
結論から先に言うと、浮気は一度もされず(わかりやすい性格なので、してたら絶対気づく)、結婚してめちゃくちゃいい夫&パパになるので、人生わからない。

Aは「今度のやつは大丈夫なん?ちょっと俺とそいつ、電話で話しさせて」と言われ、私もBも承諾した。登場人物でまともな奴がいない。
Bと話した後、Aは「今度のやつはなかなかいい奴だ!」と言っていて、元夫からの太鼓判という意味のわからないものを貰った。

1月、福岡で私はBと初めて会うことになった。Bは神奈川から飛行機に乗って来てくれて、2泊3日共に過ごし、お互いに元パートナーのいる家に帰っていった。

そこからトントン拍子に話は進んだ。
Bの元カノが出て行ったので、Bの住む神奈川に引っ越すことになった。Aは最後まで私に「出て行かんでいいのに」と言っていた。いい加減諦めてほしい。
引っ越し準備をどんどん進める私にAは「引っ越す前に一回向こう行って、本当に暮らせそうか確かめとき」とアドバイスしてくれて、素直に従った。
Bと同棲するまでに会ったのは、たった2回だった。

2回目に会う時、Bのワンルームの家はそれはそれは汚くて、本当にここで女と住んでたんか?と疑わしいほど汚かった。私は掃除や片付けは得意なので、めちゃくちゃ綺麗にした。

2月。引っ越しの日がやってきた。Aは私を新幹線の駅まで送ってくれた。話し合った結果、犬は経済力のあるAが育てることになっていた。
時間まで駅前の公園で散歩した。犬を連れて時々来ていた。Aと過ごしたのは、高校1年生の友達としての1年間、付き合った8年間、結婚生活3年間、離婚してからの1年弱。合計13年間も一緒にいた。

一生を共にすると誓った人との最後のお別れ。

駅前のクレープを半分こして食べた。今までどのくらい一緒に食事してきたんだろう。
「もう行くね」「じゃあね」
最後に私たちはハグをして別れた。人生の大半の濃い時間を共に過ごしてきた。半身が引き裂かれそうな気持ちになった。新幹線の中で声を殺して泣いた。
AからLINEが来た。「さすがに家で泣いたよ」
それを見てまた涙が出た。

あれからもうAとは会ってない。

夜、東京駅に着いた。私の新しい生活が始まった。今日からのパートナーは、私のためにビーフシチューとオペラチョコを作って家で待っていてくれた。

Bとの生活はとても楽しかった。犬と離れて寂しがる私にとモルモットを飼い始めた。
私は毎日Bにお弁当や食事を作り、Bは私の生活費を全て出してくれた。
休みの日はふたりで東京へ遊びに行って、色んな街を歩いた。

引っ越すたびに精神科が変わるのだけど、新しい主治医は私の病歴を見て「あなたは鬱ではなくて、双極性障害ですね」と診断した。薬が変わり、あんなに辛くて何もできなかった私の症状はどんどん良くなり、仕事も長続きするようになった。

神奈川の自宅は、2人には狭すぎる7.5畳のワンルームだったけど、私はこれまでの人生で一番幸せだった。

付き合って1年が経った11月、29歳。私たちは入籍した。
私の結婚は2度目だったので、指輪も挙式も不要だと言ったけど、Bの希望で結婚指輪を買い、フォトウェディングを撮影した。結果的にいい思い出になったので良かった。

精神も安定し、仕事もできるようになり、前のような鬱状態が減った私は子どもがほしくなり、Bの地元もある関西に引っ越すことに決めた。翌年の10月のことだった。

11月にめでたく妊娠が発覚し、そこからは怒涛の日々だった。
今年、息子が誕生した。人生にはこんな幸せがあったんだ。
これまでの私は、どこかでずっとAと別れたことを後悔ではないけど、気がかりだった。
でも、Aと別れたからこそ、息子は今この世に存在している。それだけは全肯定の事実だった。

夫と生活し始めてからずっと、「人生で一番幸せな日」が続いている。

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