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群青 五

ぼくは今、九州にいる。
亡き父の故郷だ。
前話の時点から20余年が経ったことになる。
特別、立派でもない。
特別、ダメなわけでもない。

あれからいろいろなことがあった。
いろいろとあるのは人生の、誰でもの常かも知れない。
浮き沈みが誰しも当然あるのだと思う。

何といっても、ぼくの大きな転機は「結婚」だった。
お相手は知床の自然遺産に憧れて幾度と来道していた方。その方と知り合ったとき、住まいが亡き父方の祖母の暮らす自宅とわずか5分の距離だという偶然に驚いた。
「九州に導かれているんだな」と直感した。
「しあわせに生きろ」、命拾いしたくらい、うれしかった。
遠距離恋愛をした。


登山も同じ趣味、その縁談を祖母が張り切ってくれた。もちろんすぐに理解してくれた両親たちにも感謝せねばなりません。
「すぐにご挨拶へ行くべや」と、父。
縁談はお相手のご家族の方にも認めていただき、平成21年の春、ゴールインした。
4月のまだ雪降る網走で挙式を挙げた。
九州からのご参列者みんなを招待し、中には飛行機で具合の悪くなった人がいたとかいないとか…

勤めていた村は、亡き父が生前に赴任を希望し、切願し、叶わなかった地であった。
亡き父と奇しくも一期生になれた大学時代。
都道府県職も手にしてその村に奉職し、公私共に15年、勤めたが、退職した。
厚遇の道庁2年間派遣(札幌市)なども経験させていただいていたので、ほんとうに申し訳なかった。
お父さんがあまりにも若く、そして早く生きすぎて美しく完成してしまったばかりに、ぼくはそれらの期待に押しつぶされそうだったのだ。

夫婦2人で、一人前。
かねてより定年後の憧れだった日本百名山・斜里岳清岳荘の管理人を地元ガイド協会などの皆さんから推薦をいただき単身勤め、以前に勤めていた村の母なる山・藻琴山は大学非常勤講師として、その水や気象を敬いの対象として実学精神の主義で、高山植物の調査、気象観測網を敷いた情報集積や学生指導などを行った。
全学科オホーツク学では二年生向けに講義と実地登山をしていた。

その成果は、おかげさまでやがて母なる山の水源地登山口に、小さな山小屋(林野庁)とバイオトイレ(自治体)を実現する一助に至った。

通年、北海道を伝えるガイドと名のつくものは自然ガイドからバスガイドまでをこなした。 

平成23年、亡き父のちょうど33回忌だった。実家に両親、兄弟たちが揃った。
このとき、九州のお義母さんの目が不自由になり、その後、障害者一級の認定を受けるほどのことだった。
せっかくの憧れだった生きがいの職、大切にお借りしている妻、悩みに悩み抜いた。
亡き父は九州に帰りたかったのかも知れない。

「九州に行くべや」
亡き父のお仏壇と共に移住した。
転居した際にはお義母さんやお義姉さんはもちろんのこと、祖母や叔父叔母、従姉妹たちが歓迎してくれた。
初めての暑い夏、見慣れない森の自然や生きものたち。見るモノすべてが新鮮。
緑地など地域の人たちが温かく迎えてくれた。九州の環境教育、市民力は素晴らしい。
したっけ、ぼくには夢や情熱、そうした生き方や過ごし方がなくなった。わからなくなった。
無欲で穏やかになったのかも知れない。

祖母が認知症になった。
自宅へ行き、カレーライスを作ったり、爪を切ってあげたりしていたが、叔父従姉妹の献身的な支えで施設に入居した。
たくさん慰問した。どうやら誰が誰かさえもわからなくなっているようだった。少女期に見た満開のサクラの花見のことをしきりに話してくれた。
スマホ内にあったサクラの写真をたくさん見せた。
息子(亡き父)のことも忘れてしまい、子が親より先立つ不幸も、もしかすると許されたのかも知れない。
最期まで亡き父の分まで、誰よりも、ぼくは慰問できたと思う。
祖母は平成30年7月20日に逝去した。


祖母も亡くなり、妻と2人でお墓参りをする。妻が供花係、ぼくが掃除係。
亡き祖父母も亡き父も、夜景で有名な皿倉山の望める地で仲良く眠っている。
海ではなく、山が見ている。山を見ているのだ。

皿倉山を望む墓地

こうして、九州から北海道へ渡った亡き父が、今度は北海道から九州へ息子を送り届け、しあわせに丸い生活を送ってゆけるよう天国で采配してくれたことを、ほんとうに、心から感謝している。

ときに大好きな北海道や過去に無性に帰りたくはなるが、境遇に逆らってはいけないのです。
いまに生きていて、良かったです。
だから、ぼくはそのご恩をできる範囲で、家族や出会う身近な人に恩返ししたいと思います。
「恩送り」をしたいと思うのです。

「事情を抱えていない人なんか、いないからね」

メメント・モリ、死を意識することは大切です。
しかし、それよりも肝心なことは「死に囚われないこと」だと、今では思うのです。

「神様が、人間に授けてくれた記憶という宝物は、つまらんことを覚えるためにあるわけじゃない。自分につながった人間の魂を、いついつまでも覚えていて、その人を生かしておくためにある。死んだ人を生かし続けるのは、たぶん人間だけじゃろ。」
(灰谷健次郎)


全5話、最後まで長文駄文をお読み下さり、ありがとうございました。
(おわり)

谷村新司/群青


(カバー写真は、川湯硫黄山)

はじまりの第一話は以下より


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