見出し画像

母の日に折り紙で作ったカーネーションをあげたら「カーネーションってセンスの悪い花よね」と言われた話

昨今あちこちで目にする「自己肯定感」の文字。
勿論高い方が良いのだろうが、おそらく私はそれが非常に低い人間である。
なぜ自己肯定感が低いのか。まぁスタイルは非常に日本人的であるし、顔も希望を言い出せばキリがないレベルだ。
しかし、私の場合こうなった理由には、母の存在が大きいと思っている。

私の母は非常に美しい人で、いかに自分が美人で幼少期から男性にモテていたかという話を、事あるごとに私に語る人だった。なおかつ自分の美的センスに絶対的な自信を持っており、他の意見は全く認めないというタイプだった。
私が持つ文房具や子供部屋のインテリア(ぬいぐるみやシーツまで)、私が着る洋服など全ての物を母が決め、私が意見を言うより先に母が感想を述べた。母が「ミニーよりドナルドダックの方がおしゃれ」と言ったことで、本当はミニーちゃんが好きで、ミニーちゃんが描かれたピンク色のスリッパが欲しかったことを言い出せなかった。

そんな母の趣味で私は幼少期よりピアノを習っていた。
ピアノは特に好きでも嫌いでもなかったが、生来大人しく従順な性格だったので、文句も言わずお教室に通っていた。
ピアノといえば、発表会である。発表会といえば男の子は半ズボンのスーツに蝶ネクタイ、女の子はふわっとしたチュールが幾重にも重なったような淡いドレスのお姫様スタイルが主流だ。
そんな中、私は黒いベロアの長袖ワンピースにアンティークレースのエプロンという、中世のメイドのような、幼い女の子にとっては一つも面白くない服を着せられていた。
私は他のお姫様のような友人達を見て、いいなぁ、と思っていた。みんなのように、お姫様みたいなドレスが着たいな。
何回目かの発表会の前、思い切って母に伝えてみた。私も○○ちゃんみたいなドレスが着たい、と。
すると母は「えぇ〜、ライラもあんなのが良いんだぁ」と言った。その声色と表情には、幼い子供でも読み取れるほどの「あんたも俗っぽいつまんない趣味してるのねぇ」という蔑みが見てとれた。発表会はまた黒いベロアのワンピースだった。

ある日、幼稚園で母の日に贈るためのカーネーションを作った。ピンクと赤の折り紙をクシャクシャさせて花を作り、緑の棒につけた。
帰宅して母にそれを渡した時、母は顔色を変えずに「なんで母の日ってカーネーションなのかしら。センスの悪い花よねぇ。薔薇だったら良かったのに」と言った。それが、悲しかったのかどうかは正直記憶にない。ただ、あまりに衝撃で40年近くたった今もその時の母の口調を覚えている。ただただ、驚いた。

付き合う男の子についても勿論母の目は光っていた。
あの子はチャラチャラしててライラの本当の良さが分からないタイプ、今回の子は器が小さそう、ママだったら絶対もっと身長の高い子じゃないと嫌だわ〜など、褒められた事はほとんどない。母のお眼鏡に叶うのは、「母親の自分のことも面倒見て幸せにしてくれそうな経済力と包容力のある男性」だった。勘も異様に鋭く、男の子とデートに行く日は必ず母にバレていて、帰宅するとどこに行ったのか、どんな車に乗っていたのか、ご馳走してくれたかなど事細かに聞きたがった。(ちなみに私は車なんかにはものすごく疎く、銀色だったとか濃い青だったとか、四駆タイプか普通のやつか位しか分からなかった)

そうやって自分のことを何も決めさせてもらえず、母の好みに合っていないものは容赦無く否定されて育った私は、自分の決定に全く自信の持てない人間になった。小学校から大学までエスカレーターの学校に入れられてしまったので、受験もせず、自分は将来的に何がしたいのか、どう生きていこうかという事を全く考えるタイミングがなかった。いや、一度高校生の時、絵を描くのが大好きだったので美大に行きたいと思った。母に内緒で予備校の見学にも行ったが、それが母にバレてすごい剣幕で怒られた。「あんたぐらい描ける人なんか掃いて捨てるほどいる。絵なんか勉強したって絶対に食べていけない」と。その時は本当に絵が好きだったので、私も泣きながら母に訴えたが、全く聞く耳を持ってもらえなかった。初めての明確な反抗だったが、いかに私に才能がないかを叫び続ける母の姿にすっかり萎縮してしまい、それっきり絵を描くのは辞めてしまった。大学も本当は心理学科に行きたかったが、母の強い勧めで英文科に行った。

うちに限らず、娘を無意識にコントロールしようとしている母親は多いような気がする。母娘の共依存についての本も少なからず出版されている。愛情という名前で自分の管理下に置き、そこから出ようとすることに強い罪悪感を抱かせるのだ。若い世代に知ってほしい。母親の望み通りに生きてはいけない。母親の顔色を伺ってはいけない。あなたがあなたの人生を消費して母親を幸せにする必要はない。親が困っている時だけ、できる範囲で助けてやれば良い。

せっかく生まれたのだ。生きるだけで大変な時代、何十年も自分自身をないがしろにして生きるのは辛すぎる。子供は3歳までに一生分の親孝行をするという。その通りだ。それを忘れずに、その後は自分の好きなように生きてください。ピンクが好きでも良い、青が好きでも良い、同性が好きでも異性が好きでも良い。結婚してもしなくても子供ができてもできなくても良い。公務員になってもアーティストになっても良い。全部やってみたって良い。自分を大事にすることを忘れず、いつも自分の心の声をしっかりと聞き取ってほしい。

誰がなんと言おうと、自分自身を大好きと思えることが、最高の親孝行であり、自己肯定感を上げる方法なのだから。


#自己肯定感 #アダルトチルドレン #hsp   #うつ #適応障害 #母娘関係 #親子関係 #休職 #エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?