見出し画像

「そんなん、どうでもいいわ」

「そんなん、どうでもいいわ」

とっさに私の口から出ていた。


反応したのは
「嫁としてお義母さんから良く思われないかも知れないよ」という言葉だ。



確かお中元についてだった。


夫の実家に贈るお中元について
私の父が
''嫁としての株''を氣にして
私に言った言葉だ。


父「嫁として良く思われないんじゃないかなぁ」


私「そんなん、どうでもいいわ」


キレたわけではない。
口が悪いだけだ。笑




ただ単純に
嫁としてお義母さんから
どう思われようと

心底どうでも良い。




お中元は贈るし、
夫の実家との関係を
おざなりにしているわけではない。

むしろ、仲はいい。




ただ、''どう思われるか''なんて
考えたところで
超絶時間のムダだと思うんだ。


私がどんな人であろうと
私がどんな行動をとろうと

相手は勝手に「私」を
相手仕様のフィルターで見てくる。


他人に「こう思われたい!」と
一生懸命やったところで
私が思う「こう」とは一致しない。


一致した方が不思議。
一致した方が不気味。
一致した方が不可解。


まるで、世にも奇妙な物語。




私の「こう」見られたい、と
相手の「こう」は

絶対に一致しない。




しかし、
人間はほとんどの場合
「こう」をコントロールしようとする。


そして、
半分はそのコントロールに成功し
半分はコントロールに失敗し、

相手の「こう」に振り回される。


逆に相手の「こう」をコントロールしようなんて、おこがましいとさえ思う。

それは、相手の「こう」の自由を尊重していないからだ。

そして、「こう」に関して
他人が口を挟むことも不気味で仕方ない。




だから、
私は「こう」を「どう」に変える。



「どう」見られてもいい
「どう」思われても
「どう」でもいい




すべては
「こう」→「どう」あるのみだ。
(行動)







おあとがよろしい(?)ようで。









こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!