見出し画像

「とにかく生活したい」症候群。

さいきん、仕事がとてつもなく暇で(体調はとってもいい)ぼやーっと考える時間が増えて、昨日なんか、暇すぎて本屋にずっといた。お目当ての本「生まれた時からアルデンテ」が店頭になかったので取り寄せてもらって、ふらふらあてもなくジュンク堂名古屋店をさまよったりなんかして。あ、いまのデジャブだ。ジュンク堂を純銅とタイプミスしてしまうやつ。うわあ、おもしろいな。
で。お目当ての本の代わりに「哲学用語図鑑」と、「考える教室 大人のための哲学入門」を買った。ようするに、いま興味があるのは哲学なんです。

むかしっから、かたくるしいなと思うものにたいして苦手意識があった。例えば宗教のこととか、社会学とか、あとは…政治とか。昔といっても子供のころで、そりゃ苦手でしょうねといった感じなんだけど、いまもその苦手意識をひきづっていることが、なんとなく息苦しいというかね。
難しいと言われているものに対して、興味はあるけど上澄みの知識しかないのがいやで、いつも本を買っては床に積んでいるんだけど、いまはそういうのぜんぶ吸収したいなって思うようになった。
で、その入り口が哲学なの。哲学とか、ひとの意識とか考え方みたいなものって、むかしっからほとんど変わらないのが面白いなあって思って。とりあえず、暇すぎるので読んでみます。やさしめの本をチョイスしたので。

そんなこんなで暇な時間はひたすら好きなwebサイトを見たり、たべてみたい料理のレシピをみたりして過ごしているもんだから、インプットの量がすさまじい。おかげで「あれもやりたい、これもやりたい」なわたしになってしまった。どう考えてもいいことで、ああわたし、こんなにやりたいことがあるってすごいことなんだぞ、と胸の中の私に言う。去年の暮れから今年にかけて、そんな風に考えることができなかったから。

そもそもね。
なにもできないわたしが、それはもうコンプレックスなのです。いまでも実家に暮らして、おばあちゃんと生きるのが好きすぎて、ふつうのひとよりちょびっとだけ経験が少ないのかな、なんて思ってたりね。ひとりで病気になってさみしい夜をすごすだとか、ひもじくて食いっぱぐれそうになったりだとか、そういう経験のないじぶん、も大好きなんだけど、なにかあるたびに誰かにそれをチクチク刺されるのもめんどうだなあって。

「小林さん、まだ一人暮らししてないの?」
はい、してません。

「料理とかできるの?ごはんの炊き方とかわかるの?スーパーも1人でいったことないんでしょ?」
はい、料理はばあちゃんの支配下でしかつくったことありません。
スーパーも未知の世界です。

「洗濯機は?そうじは?」
じぶんの部屋しか掃除したことありません。

「ゴキブリ倒せるの?」
こわいのでばあちゃんの部屋に避難していっしょの布団で寝ます。
ばあちゃんのとなりだとすぐに眠れます。

・・・ほらね。
そんなわけで、100万貯めたら一人暮らしする、という目標を立てました。今はそれに向けて、こつこつ貯金してます。今年いっぱいには達成できるかな?といったところ。いまにみてろよ。いま、わたしはいろんな人のズボラ飯レシピを読み漁っているんだからな!明太バターごはんをひとりでかきこんでやるからな!って鼻息荒くしながらね。
とにかく未来に想いを馳せるのが楽しくてしょうがない。「哲学を知った私」は「いままでの哲学を知らなかったわたし」と比べてどう変わるんだろう。「明太バターご飯を作ったことのない私」と「ひとり部屋のなかで明太バターご飯をかきこむわたし」は違うんだろうなあ、みたいな感じで。

生きるのたのしいね。子供の頃よりも、いまがずっと楽しい。
そう思えるこころを失わずに、生きてこれてほんとうによかったと思うよ。


サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。