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ふるさとを思い出し、八丈島にも行きたくなった。


つい最近、「MONO NO AWARE」というバンドを知った。

大地を駆け巡る風のような、疾走感あふれるメロディー。
それでいてどこか寂し気だったり、土や植物の香りがするような、ノスタルジーな空気も含んでいる。

そして調べている中で、ギターボーカルの玉置周啓さんのこんな記事を読んだ。


私と同年代の彼は、東京の八丈島で育っており、海や山などの自然いっぱいの土地で育ったらしい。
もしかしたら彼の瑞々しい感性は、そんな大自然の風景や体験から生み出されているのではないかと思った。

なぜならその素朴さも感じる音楽と歌詞に、私自身心地よさと儚くも美しい尊さを感じたからである。
彼のアコースティックユニットであるMIZでも、より高い純度でそれらが詰まっているように感じる。

人工的に作った景色ではなく、自然が生み出した「そこに在る」風景や空気。
私自身も幼少期に、田園風景に囲まれ、連なる山々のある田舎で育ったからこそ共感できる部分かもしれない。

この胸の奥から目の奥にかけてこみあげてくる気持ちは何だろう。
静かであり、時に激しくリズムを刻むギターの音がタイムスリップの合図であるかのように昔の記憶を引き出していく。


祖父母の家の近くのお墓までの道のりにて


土から滲み出てくる水
湿度の高いじっとりとした土を踏む感覚
採れたてのキュウリをかじったときの音
タンポポの茎の青い香りや、ユーカリの木の香り
遊具の鉄のにおい
太陽を見たときの目が眩むような眩しい光
蛙が水たまりに飛び込む時の音
赤い椿の花が風に揺られて落ちる瞬間


それらが鮮明に思い出される。
私はこんな「記憶と結びついていく」音楽を求めていたのかもしれない。

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岡山に住む田舎の祖父母の裏山近くの公園で、子供のころに遊んでいた。
そのときの、ほんのちょっと寂しさも含んだ空気の香りを思い出す。

大阪からの親戚のお姉ちゃんたちと

あの公園は、私が10歳だった16年くらい前はまだその地域にも子供が何人か近所に住んでいて、よくその近所の子たちと遊んだこともあった。

春には公園にある大きな桜の木。
滑り台の頂上から眺めて鳥になった気分になって眺めたり。
木の下で祖父母と母と妹の5人でお弁当を食べながらお花見をした。
土手にはつくしなんかも生えていて、それらを摘んで祖母に喜んでもらったり、祖母にぺんぺん草の遊び方を教えてもらった。

夏の水遊び


夏には木陰や遊具の下で、太陽に隠れて休憩しながら遊んだ。
汗をかいても構わず遊具鬼ごっこをして、隣の池では鯉にお麩をあげたり、笹船を作って遊んだり。

妹と夏の水遊び


祖母が時々裏庭でプールを作ってくれていて、「inoriちゃん、今日はプールしとるから入る?」と言ってくれて、プールにつかりながら塩を付けたキュウリを食べたり。
裏庭には夏でも木陰が多くて涼しい竹林があったから、そこでよく取ってきた植物をつぶしておままごとをしていた。


秋祭りの様子


秋には裏庭と道をつなぐ坂にはどんぐりが一杯落ちていて、踏みしめるとパリっと割れる音がした。
祖母の家から離れた山の中の墓地の横には栗の木があって、祖母が押してくれる猫車に乗って栗拾いに行ったこともあった。
墓地は江戸時代の終わり頃、150年以上前からあるような旧家の古い土葬の墓石なんかもある場所だったけど、怖くはなかった。
祖父の父親(私の曾祖父)が、「お墓のあるところは、人が沢山いるから賑やかでいい」と言っていた話をしていてくれたおかげかもしれない。
「秋」という季節が今も好きなのは、そんなどこか寂しさやノスタルジーを含んだ季節だからかもしれない。

夕方になって日が暮れるまで遊んだ頃、まだまだ元気だったばあちゃんが、
「inoriちゃんそこおるんかな~! そろそろお母さん帰るって言ようるよ」
って声をかけてくれる。

それから十数年後、大学卒業と同時に私も「生まれ育ったふるさと」を出た。
帰省なんかで地元に帰った時、少し前まで住んでいたのに今はここで生活を送っていないことでなんだか自分は「お客さん」のような気持ちになったことがあった。
祖父母と両親と妹の生活が身近になかっただけで、祖父母と両親は年を取ったように見えるし、妹は私の知っている妹ではない気がした。
昔あった商店が無くなったり、道路の工事でまるっきり風景が変わったところもあって、知っていた風景も少しずつ変化していた。

若かりし頃の父と私


それは何も世界で私だけが感じている寂しさではなかった。
同年代である玉置さんも同じように、知っている「ふるさと」に対して「他人行儀」になる感覚を感じていたのだ。

けれど見える風景が変わったり、そこに住まう人々が変化しても、私の感性は間違いなくあの田舎の田園風景が連なる場所の少し丘にある祖父母の家で育まれたということは言い切れる。


刻一刻と変化する目の前にある美しい自然に、美しさの本質があることを見出せたのもそんな幼少期の頃の体験があったからだと思う。

ふるさとは、目には見えないけれど私のアイデンティティとなって、日々の生活の中で時々顔を覗かせる。
幼少期の頃に自然と「深く」「一体」となった経験は、今の私の感受性のベースであり、大きな影響も与えていると思う。

「田舎の風景」と「周りの人の優しさの中」で育まれた、心の機微を日々の生活の中で忘れないように、失わないように暮らしたい。


一見田畑や山や川、古くて大きな民家しかなくて、コンビニもなければ、本屋だってない田舎。
もちろん映画館や大型商業施設なんかもない。
傍から見たら時代に追いついていなくて不便だし、大人になった今はもう物足りないと思ってしまうこともある場所。
そんな田舎でも、私にとって優しく暖かい祖父母や、夕焼けのグラデーションが美しい空、晴れている冬の空に満天に煌めく星々がある。
それは私だけが知っている、特別な景色。

玉置さんの生まれ育った八丈島も、私の田舎と少し似ている。
「東京」のMVを見て、深くどこまでも青い太平洋と島の自然とのコントラストに引き込まれた。
本州から離れた伊豆諸島の美しい海に浮かぶ島の自然。
火山島ならではの黒々とした岩だってある。
生きとし生けるものと、白波の力強さ。
近いうちに、自分の目で地球の力を感じる八丈島に訪れたくなった。

私は彼のように音楽を作る才能はない。
子供の頃にピアノを習ったり、高校時代にホルンを吹いていたこともあるけれど、作り方なんて知らなかった。専ら聞くことの方が好きだ。

その代わりこんな風に文章だったり、写真なんかでも表現したい。
それか服を作ったり、アクセサリーを作ったり、絵を描いたり、そんな風に自分の感性を表現できる場所をSNS上に作っていきたい。

それは、SNS上に自分の生きた証を残すことにも繋がる。

空、海、川、水面、山、大地などの風景を写真におさめるのが好きだ。
時に私の感受性は、敏感すぎる。
社会で生きていくためには「もっと鈍感で入れたらいいのに」と思うことの方が多い。

不思議なことに仕事で疲れたり、心に元気がなくて動く体力がない日でも、何故か書きたい文章は頭の中から溢れ出てくる。
言葉にしなければと、居ても立っても居られない気持ちになる。

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