雇われるということ(稼ぐとは)①

ということで、かきます。
(今半分ぐらい書いて冒頭に戻ってきました。長くなりすぎたので分けることにしました。この記事、雇われるということについても、稼ぐということについても、ほぼほぼ触れてません。←)

大学卒業後、一年間のフリーター生活を経て、入りたいと思っていた学校に就職することができました。
天職だと思っている前職は、とある特別支援学校の教員です。

《先生》という職業には、小学生の頃から興味を持っていました。いや、「頃から」じゃなくて「頃は」かもしれない。ていうのも、小学生のときの先生って、比較的みんな好きだったんです。特に小3のときの担任の先生はとても魅力的で、ああ、わたしも先生になりたいなぁ、と思わせてくれた人でした。中高では、先生というものに良い印象が一切なくて、むしろ先生なんてキライでした。でも、それはただそのヒトが嫌なだけで、先生という職業自体が嫌になったわけではなかったです。

《福祉》というものに目を向けるようになったのは、障害の有無で人を悪い方に差別することに違和感を覚えたから。そう思うようになったのは従弟の存在が大きいです。先天的に障害を持つ従弟が身近にいて、わたしにとって彼は「障害者」ではなく「家族」だと、小さいころから当たり前のように思っていたので、人として接する上で障害の有無は必要なんだろうかと不思議に思っていました。

障害ゆえに”難しいこと”はもちろんあります。わたしの従弟は主に斜視、知的障害。すごく簡単に言ってしまえば、見えづらいし、コミュニケーションをとるのがスムーズにいかないときもあります。でも”難しい”だけで、”できない”わけではありません。人より少し難しいけど、彼にあったやり方を考えれば”できる”んです。…ということを、彼が学校に行くようになって気づかされ、具体的に特別支援学校の先生というものに興味を持ちました。(今回はかなり省略して書きましたが、もう少し具体的なエピソードもあります。その辺はまた機会があれば。)

《特別支援学校の先生》になりたいと思ったのは、何歳のときだったんだろう。あんまりよく覚えていませんが、大学受験のときに、その目標をはっきりと掲げていたことは確かです。

大学在学中は、それこそいろいろな出会いがあり、いろんな価値観に触れて、理想のオトナ像を浅はかにたくさん考えていました。でも、なんだかんだでぶれずにそれを目指し続けたことは、今でも誇りに思っています。

大学3年生になると周りも就活モードになり、ちょっとそわそわし始めます。わたし《特別支援学校の先生》になりたいとは言え、なんか、いろいろと知らなさすぎじゃない…?と思い始めたころ、ちょっといいキッカケがあって、ボランティアを始めました。それが、前の職場です。そして実は、従弟の通っている特別支援学校でもありました。


もともと従弟に会いに行事とかで顔を出していた学校でもあったし、何より従弟がそこで人気者だったので(笑)、先生方にはすぐにわたしのことも覚えてもらえました。

ボランティアって聞こえはいいけど、受け入れる側は本当に大変なことと思います。特に今回の場合、児童生徒と接するのにはどうしても責任というものが生じます、が、ボランティアのわたしにそんな責任は持てません。となると、結局は先生が一人近くにいる必要があります。なので、ボランティアをしに行ったというよりは、ボランティアという名の勉強をさせてもらっていた感覚です。

そして月日は絶ち、大学4年生も半分を過ぎたころ。
《特別支援学校の先生》になりたい気持ちは、《この学校の先生》になりたい、に変わっていきました。
ところがなんと、来年度の教員の募集は男性のみ…と!まさかの展開。笑
そもそもそんなに大きな学校ではないので、仕方ないっちゃ仕方ない。。

さあ、どうする。
わたしの目の前に現れた選択肢は3つ。
①別の職場を探す
②別の職種を探す
③あきらめない

…即決で③でした。

あきらめないってなんかかっこつけましたけど、正確に言うと、あきらめられない(いろんな意味で)、でした。
障害を持つこどもたちとのかかわりに魅力を感じ、さらにこの学校全体に対する魅力を感じ、今さら別の職場も職種も、考えられなかったです。
親に何度目かわからない「ごめんなさい」をして、一年間、ゆるりと過ごさせてもらうことにしました。ゆるりっていうのには理由があって、求人がなかったことも大きな理由ではありますが、それとは別に、当時わたし拒食症(予備軍ぐらい)を患っており、体重が今より15kgぐらい少なかったんです。体力なんて微塵もありませんでした。そんな状態で、こどもたちと向き合うことは不可能かもしれない、って少しずつ感じていたんです。だから、求人がなかったことは逆にチャンスだ!と前向きにとらえ、一年後(必ずしも求人があるかどうかわからない状態でしたが)に向けてさらなる準備を進めることにしました。

一年間、何もしないで実家に居座るのもあれだな…と思って、バイトはしてました。せっかくだから、今までやりたかったけどできなかったバイトをしようと思い、当時めちゃくちゃ流行ってたパンケーキ屋さんのホールのお仕事を始めました。混んでるときは死にそうな思いをしましたが、きらきらしたパンケーキを見ているのは楽しかったし、接客もやっぱりすきだなぁって思えたし、何より思いのほか体力がつきました。お皿重かったしお店の構造が複雑…。
あと、まかないでたまにパンケーキ食べさせてもらえるときに勢いでめちゃくちゃ食べちゃって、それから徐々に胃袋が広がり、一年間で10kgぐらい太りました。笑

時系列が前後してしまうのですが、フリーター生活が確定してからもボランティアは続けていました。毎週決まった曜日に定期的に通えるようになったし、こどもたちのことも少しずつ覚えてきたので、任せてもらえることもちょっとだけ増えました。(先生たちの足元にも及びませんが)

そんなある日、教頭先生より、少しの間パートとしてきませんか?とのお声かけをいただきました。

よくよく話を聞くと、産休に入られる先生がいて、新しい先生が来られるまでの間、手伝ってくれないかとのことでした。

断る理由が見当たりません。

せっかくのチャンス…という考えは正直あまりなくて、わたしに務まるのだろうかという不安の方が大きく、、、でもボランティアのときには見えなかったものが見えてくるかも…!と思い、やらせてもらうことにしました。

ボランティアからパートになる。
まず目に見える大きな変化は、お金が発生するか否か、だと思います。

では、お金が発生するとはどういうことなのか…
いよいよタイトルに書いたことに迫るときが来ましたが、きりがいいのでいったんここで切ります。笑

正直、お金が発生することについて、当時のわたしはあんまり考えられてなかったんだよね~…という一言を残して次に続けたいと思います。

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