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短編小説:『幸せのおまじない』後編


 あのね、先生。

 私は今でも美術を選択して、すごく良かったって思ってるよ。今だから正直に話すけど、人気の書道から外れちゃったときは『美術なんて』って思った。だって将来『絵が上手い』より『字がきれい』のほうが、人として品格が違うでしょ? それに移動教室だし。書道が人気なのは自分のクラスで受けられるってことだけ。受験生にとっては時間はなによりも大切なものだから。私たちの教室から美術室の距離ったら。

 ……冗談だよ。そんな残念そうにしちゃって。

 でも私は本当に選択科目が美術になってよかったと思ってる。というより、先生と知り合えたことが、かな。あの頃の私には、心が休まる時間は美術でなにかを作っているときだけだった。まるで美術室だけが校舎の外にあって、世界から切り離されたアトリエみたいに思えたの。これは本当。そこに入れば、少なくとも一時間は勉強以外のことを考えられるから。それに先生がそれを許してくれる。先生に絵筆の使い方を教えてもらっているときだけが、私が私でいられる時間だったんだよ。

 なんでこんな話をしているのかって言うと、私がその時間を『幸せ』だって思っちゃったから。だから私のクラスの美術からは、人が減っていったんじゃないかって思ってるの。

 ……もちろん、先生は「違う」って言ってくれると思ってた。「君のせいなんてことはない」って。でも信じられないかもしれないけど、本当のことなの。あの『おまじない』はそういうものだった。

 それを確信したのは、期末試験のとき。私たちの学校って、クラスごとの平均点みたいなものが張り出されるのは知ってた? 一応進学校らしく生徒を競わせようとしてるみたいだったけど、私はあんまり好きじゃなかった。他人を蹴落としてまで上に行こうとは思わないんだもん。でもクラス内の仲が良かったのってそういう理由もあるのかもね。

 で、その期末試験で各教科の平均点すべてで、私たちのクラスが一番だった。すごいと思う?

 ……ちがうの。これはあとで別のクラスの友だちから聞いた話なんだけどね。私たちのクラス以外の成績上位者が、テストを満足に受けられてなかったの。3組の高木さんは怪我、5組の寺岡くんは親戚が危篤。2組に至ってはインフルエンザが大流行、みたいに。しかもそれが示し合わせたみたいに、その生徒が得意な教科の日に集中してたんだって。

 わかってる。そういう偶然もある、って言いたいんでしょ。でも先生、そのときの私にはそうは思えなかった。恐ろしいこと。でも世の中ってきっとそうしてできてる面もある。恐ろしくて残酷でどうしようもなくて。弱肉強食。どれだけ抗おうとしても、そのシステムはどこかでかならず顔を出す。

 お決まりの動画に、お決まりの投稿。みんなが観ているものが、私の好きなもの。出る杭は、いつの間にか打たれていることにすら気づかない。でも『おまじない』はそうじゃないって教えてくれた気がするの。私の幸せは私だけのもの。それは他人の幸せを奪ってでも、手に入れる価値のあるもの。世界中の皆が不幸になれば、私は、私だけは幸せになれる。この世はゼロサムゲームなんだ、って。

 そう。だからカナとあいつの身に起こったことも、きっと私は無関係じゃない。あいつだけは、絶対に許せなかったから。カナを傷物にしたあいつを。


 あいつとカナが出会ったのは、私の知っている限りなら高2の夏休みごろだったと思う。

 その頃はたぶんどの高校生もその親も、教師も受験を意識し始めるはずだよね。私の親もそうだったし、どの家も似たりよったりだった。カナのところも例外じゃなくて。そういうとき、親は子供を塾に入れればいいって考えるんだよね。安直だと思わない? 勉強する時間と勉強する場所を用意してやれば、上手く勉強するようになるだろうって。

 カナの親のことは知ってる仲だけど、けっこう厳しいんだよね。ああしなさい、こうしなさいって。昔、夕食が並んだ机に、スマホを置いてたら、取り上げられたって聞いたこともある。夕食とスマホ、両方。子供の頃も、なんども外に放り出されてたって。

 そんな親だから、塾に行かせたかったのも納得。私は結局行かなかった。高三の後期にはもう、『おまじない』の力を信じ切っていたし、自分でも勉強するようになってたから。

 とにかくカナは高2の夏休みに塾に通い出した。あの子の通ってたところは、二人の生徒を一人の大学生が受け持つ、みたいな形式のところだった。あいつの担当は数学だった。そんな塾って、まあ、言っちゃえば恋愛に発展しちゃうのも無理はないよなあ、と思うの。先生と生徒の年齢も距離も近い。会う日も多い。試験前とかで追い込みをかけてるときには、特に。そういうのなんていうんだっけ。吊り橋効果? みたいな。でもだからって、教える側がそれを利用するのは許せない。

 あいつには、はじめからカナを教えるつもりなんかなかった。いま思い返しても吐き気がする。あいつはバイキングで好みの料理を品定めするみたいに生徒のことを見てたんだ。

 でもしばらくのあいだカナは楽しそうだったし、私も応援した。だって純粋な恋愛だったら、それはとっても素敵なことに思えたもん。生徒と先生。そこには親だって、踏み込めない絆ができることもある。そういうふうに思うの。

 カナとも何度かそういう話をしたよ。でも彼女の場合そうはならなかった。私はその話を聞いたとき、体の中身が全部のたうちまわってるみたいな吐き気を覚えた。実際に吐いたし。通話してるカナの声はかすれて、震えてた。何度も何度もむせび泣いて、嗚咽したあとのあの声。

 私は『おまじない』を結び直した。いま私が強烈に感じている不幸。それをなんとかして、って。勉強なんかどうでもよかった。将来とか、私のためじゃない『おまじない』。結果はこのまえ話した通りだよ。

 私、バカだったかな。いけないことをしたと思う?

 でももしも『おまじない』の結果を知っていたとしても、仮にそれで誰に責められたとしても、私はやっぱり今と同じことをすると思うな。人の命は重い。それでも私は「自分のしたことの責任は自分の命をもって償います」なんて、むしのいい話だと思うの。カナからあいつがマンションから飛び降りたって話を聞いたときも、私はまず「なんだ、それ」って思ったもん。

 ねえ、先生。もうどうしていいかわからないの。私。
 人間って、どうしたら『幸せ』になれるの?
 それは人を不幸にしないと手に入らないものなの?
 私はこれからも『おまじない』にすがり続けるの?

 もう、そんなのは嫌なの。私は私の意志で、『幸せ』になりたい。『おまじない』を知ったのは偶然で、しかたのないこと。でもそれはただの運命。私はそれを否定したい。

 それで私はこうして、また先生と話したいと思ったの。これからもあなたに、いろんなことを教えてほしい。あの美術室で、私に絵の具の使い方や色の組み合わせを教えてくれたみたいに。

 ずっとずっとあなたのことが好きでした。そばにいてください。私を『幸せ』にしてください。

 え? 髪に?
 ああ、藁だ。さっき、ついたんだと思う。
 ……ううん。なんでもないの。今日は風がつよいだけじゃないかな。



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