叔父になる。
このあいだ、近況報告や相談をかねて父母と通話をした。
僕の家族はたまにそうして通話をして、お互いの生命状態を確認し、活動を記録し、それを実験結果として某機関に提出していた。
「本人の口からじゃなくてわるいんやけど」
父はそう言って一呼吸おいた。
「次男に子供ができてん」
僕は驚いた。
驚いて、持っていたコーヒーカップを落とし、椅子から転げ落ち、デスクがひっくり返り、パソコンのモニター二枚が粉々になった。
「おじいちゃんおばあちゃんやん、あなたがた」
なぜか、そんなことが最初に頭に浮かんだ。
もっと他に言うべきことがあるのではないか、という気がした。
「おじさんや。あんたは」
母親が言った。
たしかに、と思った。
しかしそれはとても想像しにくいことだった。
おじさん、と言われると思い起こされる人がいた。
父の兄である。
彼は祖父母の家に暮らしていて、建築関係の仕事をしていた。
詳しくは知らないが、主に設計の面で重要な役職についているらしかった。
僕ら兄弟、妹がその家に遊びに行くと、よくドライブに連れて行ってもらった。
「ここはおじちゃんが建てたところなんやよ」
祖母はよく誇らしげにそう話していた。
僕らもそれを聞き、まるで芸術家の作品をみるかのようにその建物の数々をみていた。
そのどれもがすごく立派なものだった。
僕がマイクラで、四角い木造建築を建てているのとはわけが違った。
おじちゃんは僕らにとって、とても親しみやすい人物だった。
『父親がもう一人』と言ってしまうのは、実の父親がちょっと気にするだろうか、とはばかる気持ちがありながらも、実際そんな感じだった。
僕らの相談にはなんでも親身になってのってくれたし、懐が広かった。
記憶に残る限りで、怒られたことは一度もない。
僕らにとって、叔父とはそういう存在だった。
一方で、僕はそんな存在になるのだろうか、と思うとまるで想像ができなかった。
とりあえず今のうちに、まだみぬ甥ないし姪に胸をはれるように、城のひとつやふたつでも建築しておいたほうがいいのではないかと思った。
もちろん、マイクラ内の話だが。
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