謝辞:僕の書いたものは、始まりであってほしい。
今日は感謝について書きたい。
常々思っていたことではあるけど、一応こういう格好で形にしたいと考えていたこと。
というか何度書いても、書き足りないことだと思う。
まあ減るもんじゃないし、いいか。
書きたいことというのは感謝について。
僕がこうして毎日上げている記事に反応してくれる方々。
ひいては、僕と関わってくれるすべての人への感謝。
僕は基本的に『話したがり』な人間だった。
人の話に黙って耳を傾けるのも好きだし、大勢のなかで自分が中心になって話すのも好きだ。
相手の話を深掘りするような質問なんかができた日には、スキップしながら帰る。
話しすぎて疲れたなと思うことも心地良いし、酒の席には最後までいたい。
話している先に何か目的があるか、と訊かれても明確には答えられない。
何か言うとすれば「話すために話している」ということになるかもしれない。
だから僕が最も感謝したいのは、一番言葉を交わしている彼女だったりする。
そう考えると、僕がnoteに投稿したり、小説を書いたりする目的もみえてくる。
つまるところ僕はただ人と話したいのだった。
自分の考えについて、他人の考えについて、おすすめの居酒屋について、ちょっとラッキーな出来事について、気づきについて、不満について、世界について、愛について。
それは自分を表現することでもある。
そして他人の表現を受け取ることでも。
僕はそこに一定の喜びを感じている。
だから僕の記事は『たくさんの人に読まれたい記事』というよりは『人とたくさん話したい記事』というものになる。
読み手にとって、終わりではなく始まりであってほしい。
書いた記事にいただけるコメントをみると、心の底からそう思う。
スキをしてくれた人の記事も読みにいく。
時間の許す範囲になってしまうのが、もどかしいけれど。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
……うん。
やっぱり、減るもんじゃないな。
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