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五体満足に産めなかった貴方へ

こんにちは。黄河(おうかわ)のんと申します
末端の麻雀プロをしてまして、一児の母です
今回はコラムにつき、麻雀は出てきません
なぜ書こうと思ったのかも、ちょっと分かりません
そこの所よろしくお願いします


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皆さん、コンプレックスはありますか?

人によって色々だと思うんですが
私は、生まれつき身体に、もようがあります

左胸~肩、左腕のほぼすべてがマダラに焦げ茶色で
左右の腕の色が違うんですよ。かなりはっきりと
皮膚がただれてる訳ではなく、日焼けみたいな
今はアプリで、どれだけでも修正できますし
宣材はスーツだし、コスプレする機会もないので
大人である今、人に指摘されることは稀です


でも、子供の時って違いますよね

小学3年生の頃、何人かの同級生にイジられました
お前の腕、なんか色変じゃね??
ちょっとした、からかいだったと思います
帰宅後話すと、母はすぐ病院の予約を取りました

それまでほぼ学校を休まなかった私が
突然母に手を引っ張られて、大学病院に
担任の先生はかなり気になったそうです


さんざん待って、診察した医師に言われたのは

「もようを無くすことは、困難です」

体の広範囲に及んでおり、摘出することは難しく
逆に全身を焦げ茶色に統一させるレーザー照射も
この年齢だと、激痛が伴うためオススメしない
特に日常生活に支障がないなら、そのままで

これが医師の見解でした


昔から母は、いつ何時も親と子の関係を崩さず
上から目線で、知識をドヤってくるタイプでした
当時は、大分めんどくさいなと思ってました 

そんな母が、帰り道
小さな私の手を引っ張りながら、青空越しに
「ごめんなさい」と何度も、速足で歩いていく
初めて見た、その震える後ろ姿に
もうこの話を、母にはしないようにしよう
9歳は思ったのでした


その後、母は担任の先生に聞かれ
事情を話したそうです そしてすぐ
容姿や生まれ持ったものを、馬鹿にするのは卑怯!
とクラスに話して下さり、イジりは収束しました



20年後、私は出産しました
そして、重度の産後ウツになりました
病に伏せ、布団から出られず、食事もできず
みるみる痩せていく私を
母が仕事を辞めて必死に看病してくれたのですが
その時、ふと言ったのが

私は五体満足に産めなかったけど
貴方は産めたじゃない 元気出して

当時は具合が悪く、自分の体調に精一杯で
全く気にも留めなかったのですが
復活して、第二子の臨月を迎えた今
あぁ、五体満足に産んであげられなかったと
母は30年近くも思っていたのかと
衝撃を受けたのでした


五体満足で産まれなかった個体なのか
分かりませんが、少なくとも私は
貴方が思っているほど
気にせず、楽しく過ごせています
昨日もラスりましたけど


だから、元気出して


出産まで、あと3週間。




読んで頂き有難うございます。とっても嬉しいです★競技麻雀界で仕事をし続けたいので、拡散やサポート、応援宜しくお願いします!母ちゃんがんばります