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アメリカのあちこちに「反マスク法」という法律がある件(3)

▼アメリカで、どれだけ経っても黒人差別がなくならないのは、人類学的な理由がある、という話について、もう少し続ける。

興味のある人は、前号、前々号もどうぞ。

▼さて、トッド氏の『移民の運命』では、イングランドから輸入された家族システムや、プロテスタントの教義が、アメリカの差異主義と骨絡(ほねがら)みである、という仮説が示される。

いちいち辿(たど)るのは面倒なので、トッド氏本人が簡単に4つの項目にまとめてくれているから、参照しておこう。適宜改行と太字。(81頁)

〈ここでカルヴァン主義的不平等主義から1776年の平等主義にいたるまでの論理的筋道を復習してみよう。

 ーー人類学的システムが兄弟を不平等のものと規定する。

 --当初、兄弟の非平等はイデオロギー的・宗教的平面に移し替えられ、選ばれた者と劫罰に定められた者という人間の非同等性となる。〉

▼この二つが、前回解説した「先験的な形而上学的確信」にあたる。家庭で教育を受けた後は、何があっても変わらない人生観、世界観だ。

「選ばれた者」と「劫罰に定められた者」というのは、聖書由来の考えだ。

〈ーーしだいにインディアンと黒人が、人間と諸国民の非同等性という先験的な形而上学的確信の固着の対象となってゆく。彼らが劫罰に定められた者となる。

 --アメリカの白人は選ばれた者にして平等な者であるとあらためて定義し直され、この白人の平等という考え方が、民主主義制度の誕生を可能にする。

▼白人にとって、黒人が、聖書に定められた「劫罰に定められた者」となる。そうした価値観の上にできあがったのが、アメリカの民主主義だ、というのだ。

▼ということは、アメリカの黒人差別がなくなれば、アメリカの民主主義もなくなるわけだ。

〈人類学的分析を施したところ、導きだされた結論というのは、人種的偏執(へんしつ)はアメリカ民主主義が完成に達していないために残っている不備なのではなく、アメリカ民主主義が拠って立つ基盤の一つなのだ、ということである。

この解釈を以てすれば、アメリカ民主主義のいくつかの独特の特徴、とくにそれが経済的不平等を受容している点を理解することが可能となる。〉(82頁)

▼身も蓋もない解釈だ。トッド氏は同じ解釈を、さまざまな表現を施して繰り返す。

〈アメリカ合衆国憲法が市民的ならびに法的(白人の)平等という限定された領域をまんまと確定することに成功したことは、アメリカの人類学的システムとは、イングランドの原初的な基底が大西洋を越えて投影されたものであって、そもそも平等の観念を含まないのだ、ということから目を背けなければ、何の不思議もないのである。〉(82頁)

▼アメリカの独立宣言は、アメリカ民主主義の象徴であるが、その成り立ちこそが象徴的である。黒人奴隷をたくさん所有していた「南部」から、民主主義の訴えが強まったのだ。なぜだろう。

〈(南部の)こうした推進的役割は、貴族が己れ自身の正統性を破壊しようとする底の倒錯的な情熱から生まれたものなどではない。彼らの生存を保証するプランテーション経済は厖大(ぼうだい)な黒人人口の存在を前提とするものであり、黒人の身体的差異は白人の平等の感情を掻(か)き立てることとなった、という事実から生まれたものにすぎない。〉(80頁)

▼その南部の指導者だったジェファーソン・デイヴィスいわく、

われわれが[黒人奴隷の]存在を認めなければならない理由の一つは、黒人奴隷によって白人たちは同一の普遍的水準に高められ、劣った人種に比べてすべての白人の尊厳が高められるということである」(81頁)     

▼というわけで、『移民の運命』ではいろいろと興味深い分析が続くが、アメリカは【意識レベルでは普遍主義的であり無意識レベルでは差異主義的である】(121頁)という、倒錯(とうさく)した心を持ち続けてきた。

時代はくだり、21世紀に至っても、この意識と無意識との葛藤は変わらない。

言葉をかえれば、「建て前」では平等だとうたいあげながら、「本音」では差別し続けている、ということだ。これは、陰湿だ。どれほどひどい差別と絶望を生むだろうか。

〈現在、アメリカでは、教育を受けた裕福な黒人が定住した街区からも、やはり白人は逃避し続けるということが認められるのである。こうした黒人を受け入れるための裕福なゲットーを造らなければならないという始末だ。

文化的遅れを取り戻して追いつくために費やされた四世紀にわたる歳月の果てに、黒人の場合には最終的に乗り越えがたいものであるということが分かったわけである。〉(130頁)

教育を受けながらも拒絶されているために、アメリカの黒人は今後は己れの劣等性の観念とともに生きなければならない。しかしこれは身体的外見という表面的な基準によって決定されるものであるから、まことに奇妙な劣等性なのである。……残された道は個人個人が心理的・道徳的に崩壊することであり、そのもっとも明瞭な兆候は家族組織の分解である。〉(130頁)

▼筆者はここまで読み返して、(その1)で紹介した黒人政治家のコメントに、どれほど深い絶望が滲(にじ)んでいるのかを思い、あらためて暗然とした。

「根深い偏見が現実にある。白人がマスクをして店に入るのと、黒人が入るのでは全く意味が違う」

まさに、「全く意味が違う」のだ。

▼もともとは、KKKをはじめ白人至上主義者たちの蛮行を制するためにつくられた「反マスク法」なのだが、いまやコロナパンデミックによって誰もがマスクをするようになった。そして、そんな社会の中では、黒人がマスクをしたら、白人警官から「犯罪者」扱いされてしまう。

アメリカをアメリカたらしめた「無意識レベルの差異主義」が、コロナパンデミックによって炙(あぶ)り出されている。

▼同じような状況が、日本で広範囲に起こらないという保証はない。もともと、日本は優生思想の強い、生きづらい国であることは、何度もメモしてきた。

今回のコロナパンデミックでも、すでに2020年3月、さいたま市が、埼玉朝鮮初中級学校の幼稚部にマスクを配らなかった、という事案を起こしている。

アメリカの差異主義の鏡に照らしてみれば、日本では、行政が率先して無意識レベルの人種差別をおこなっていることがわかる。

(この稿つづく)

(2020年5月20日)


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