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子どもが「答えの奴隷」になっちゃう件 文系と理系とAIと(4)

▼先日、「「白か黒か」決められない件」というタイトルで何度かメモした。

たとえば「ジンバブエのムガベ大統領」や「イギリスのEU離脱」の評価も、「ダウンロード違法化」の是非も、「北方領土交渉」の評価も、「答えの奴隷」になっちゃうと、これらに関する価値的な思考も行動もとれない、ということを書いた。

▼筆者にとって上田紀行氏と新井紀子氏の対談が面白いと感じるのは、上記のようなテーマを、違う言葉で表現してくれているからだ。

つまり、「答えの奴隷」とは、たとえば「誰かが測ってくれて、私はそれを知るだけ」という知的態度ばかりとっていたり、「誰かが作った問題」ばかり解いていて、「自分で問題を発見すること」にトライしていなかったりする人が陥る状態である。

具体的には、「コピペすらできなくなっている高校生」や、「「平均」という概念がわからない大学生」たちが、「答えの奴隷」の予備軍にあたるだろう。

▼それらの状態について、「中央公論」2019年4月号の対談では上田氏が「人間のAI化」とか、「優秀な学生が容易にシステムの奴隷になってしまう」「評価システムの奴隷になっている学生、いや教員も全ての社会人もですが」と語っている。

耳が痛い、という人もこの文章の読者のなかにおられることだろう。こう書いている筆者自身も耳が痛いところだ。

▼「答えの奴隷」「人間のAI化」「評価システムの奴隷」の具体例を、もう少し引用しておきたい。

上田 ルールと初期条件があって、そのなかでどう最適解を求めるかという問題に関しては、人間がAIに負けるのは当然です。人間の強みは、初期条件のはっきりしない問題に取り組むときに発揮されるのに、いまや、優秀な学生でさえも、「君何やりたいの?」と聞くと、「その前に初期条件を言ってください」などと言う。

新井 初期条件。(笑)〉(36-37頁)

▼たぶん認識しておいたほうがいい事実は、どんな環境を選んだ人でも、こういう思考の構造に陥ってしまう場合がある、ということだ。それは、組織のなかで生きていようと、フリーランスで生きていようと、関係ない。

▼この対談では、「答えの奴隷」「AI化した人間」「評価システムの奴隷」予備軍の具体例と分析が、他にもたくさん示されている。

上田 授業で恋愛の話になったときに、「顔とか性格とか収入とかの値を合算して、最大値の人が一番良い」と言った学生がいました。分かったけど、お前それをどうやって計算すんだよ。目の前通りかかった人がその最大値の人だって、どうやって分かんの、って聞いたら「それは考えていませんでした」って。(笑)

新井 それすごくおかしい。木の高さを巻き尺で測ると言うのと同じですね。自分に合っている条件を最適化した人を連れて来てくれたら、彼女と付き合います、って、誰が連れてくるのと。(笑)

上田 どこに行ったら会えるんだよって。何も考えてない。

新井 リアリティがないんですよね。

上田 つまり人間が生きていることの意味はなんだろう。あるいは2019年に東京で生きていることの意味とか、または2050年とか1950年に生きていればどうだったんだろうということをなかなか考えられない。誰が解いてもこうだろう、という解答を求めてしまう。〉(37-38頁)

▼こうやって並べてみると、「コピペすらできない高校生」や「「平均」概念がわからない大学生」の話も、「誰が解いてもこうだろう、という解答を求めてしまう」学生の話は、「コンプライアンスの奴隷」になって安心しているバカが蔓延(まんえん)する話につながる。個人が国家や法律や大会社や法人の発想に馴らされてしまう社会論に直結している。法哲学や政治思想の次元の話でもある。

「答えの奴隷」であれ、「コンプライアンスの奴隷」であれ、厄介なところは、自分が奴隷であることに気づいていない点にある。その意味で、「とっても頭がよくて、何も考えていない」人は、「奴隷」であることを認識している本物の奴隷よりも、ある面では救いがないのかもしれない。(つづく)

(2019年3月18日)

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