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批判の必要性【オヤジ店長のツイート日記vol.83】

こんにちは!オヤジ店長と申します!

人材育成、リーダーシップなどについてTwitterで発信している某外資系アパレルブランドで店長をしている読書好き、50代のオヤジです!

簡単な経歴や活動は、宜しければ私のTwitterをご覧ください。➡ @OyajiTencho

ツイートした事を掘り下げて記事にしています。今回のテーマは?

批判の必要性

批判の必要性についてツイートしました。結構反響を頂いたので掘り下げたいと思います。

このnote記事も内容が良いと思われたら「スキ♥」を押して頂けると幸いです。コメント、感想等も合わせて是非、よろしくお願いいたします!

今回は批判の必要性に関してお話ししたいと思います。

「批判」という言葉の響きはネガティブなイメージがありますよね…しかし批判の定義を調べると

批判の「批」は「正す、判断する」という意味を持ち「判」は「区別する、決定する」という意味を持つので「物事の可否を検討して決定を下す」「他人の言動に対しその誤りや欠点を指摘し正すよう求める事」

とされています。私達が持つネガティブなイメージは「非難」や「中傷」という言葉の方に当てはまるのかもしれません。非難とは「人の過ちやミスを指摘して責める事」中傷とは「根拠の無い事を言いふらして他人の名誉を傷つける事」とされているので批判とは全く違いますよね。

クリティカルシンキング「イシューを特定しろ!」

批判的思考は「クリティカルシンキング」とも言われており「論理的な矛盾は無いか?」といった起きている事象や課題を深堀りされる為に使います。

因みに私、大昔とあるビジネススクールに短期間ですが通った事があり「クリティカルシンキング」というクラスでした。

「何故、何故…?」と徹底的に深堀りして課題を整理し、モレ無くダブり無く論理的に説明した事に対して指摘し合うプロセスで、まさに「頭に汗をかく」と言った表現が合う勉強でした。出された課題に徹夜で取り組んだ事もあります…w

「皆さんはこのクラスを受講後、論理的思考を元に【クリティカルシンキング=批判的思考】という鋭い武器(言葉)を手に入れる事が出来るでしょう」と講師の方に言われ、当初は「そうかな…」と思っていましたが後々、様々なビジネスシーンに役立ちました。

例えば何かしら提案して承認が必要な時、提案内容が「イシュー(課題、論点)」からズレないようにする癖が付きましたし

課題に対して話し合っている時、論点がズレるのは「イシュー」を意識していないのであって所謂「そもそも論」が抜け落ちるのです。

「イシューを特定しろ!」というのがクリティカルシンキングの源で毎回講義て刷り込まれました…w「何を考え何を論じるのか」という所を押さえていけば、批判も有効な手立てになりそうですよね。

目的無き批判は批判にあらず

批判の定義が理解出来たと思いますが、目的のある無しが大前提ですよね。イシューに次いで大事な部分です。

例えば売上を上げる施策議論に対して「その施策は〇〇✕✕だと思うので、こちらの方が…」とあくまで売上を上げる目的が大前提にある意見なら良い批判と言えるかもしれませんが

「ソレってどうなの!?」「どう経費を捻出するの?」「誰が責任を取るの?」みたいな物言いは良い「批判」とは言えないですよね。当たり前で単純な事ですが、このような本来の目的から脱線させてしまう人はいるのです…「因みに貴方の意見は?」と聞きたくなりますね。  

批判はしないという綺麗事

「批判は止めましょう」というもっともらしい理由で大事な事が抜け落ちる事もあります。

例えば、研修や会議の場で「参加にあたりルールがあります、批判的な意見を言うのは止めましょう」等と言われた事は無いでしょうか?

恐らく前途説明した非難や中傷を止めましょうという考えの元で注意喚起する人が大半だと思いますが「場を乱すな」みたいな事を前提に線引してくる人もいるので、有意義な意見交換や大事な事が抜け落ちる恐れがありますね…

「斜に構える」という態度も良くないとされていますが、皮肉やシニカルな態度をしてしまう原因が何なのか?受け手は考える必要があると思いますし

文句や不満と捉えられるモノの中に鋭く本質を付いた意見がある場合もありますから聞き分ける感性を磨きたいですね。

問題を本当に解決したい時は、綺麗事ではなく目的とイシューを特定してハッキリ言い合う事が大切ですね。

「栄枯盛衰」批判なき企業文化は衰退する

最近、弊社でも「余計な事は言うな」という雰囲気がありありで会議等でも活発な意見が全く交わされなくなりました…

私もその中にいるので、何とも情けないのですが、首脳陣が周りを「忖度イエスマン」で固めてしまったので多勢に無勢で埒が行かない状態です…

やはり企業の文化「社風」ってトップが作るものだな~と最近つくづく思います。

ツイートしているように私は今の会社に30年以上働いてきた言わば「生き証人」です。トップの交代も何度も見てきました。

弊社は世界的に名の知られたブランドなのですが、昔は「猫も杓子も〇〇」なんて言われ凄い勢いがありました。社内の風通しも良く、お店のマネジャーも会議等では活発な意見(批判…w)も出せて(私は筆頭でした…w)本部の担当者も謙虚に受け止める姿勢がありましたし、上の顔ばかり伺わず現場の意見を取り入れ様々な課題が改善された事もあります。

現在も業績が悪いとまでは行かないものの、昔の勢いは無くなり先細りを感じている中で「批判的思考」というのが全く無くなり「場を乱さない」という悪い意味の保守的な思考が蔓延した事が会社の勢いにも比例しているのではないか…と変わりゆく「社風」と「衰退」を感じています。

風通しの良い組織とは

批判的な意見は確かにムカッと来る時があります。言われる方は「ごもっとも」な意見は嫌うものです。

しかし、両方経験した私はこう思うのです。

多少雰囲気が悪くなったとしても目的を見失わず、議論を戦わせる集団は意見が合わず腹が立っても収まりが早く、どこか認め合う雰囲気があり、そうでない集団は一見平和に見えても、微妙な苛立ちや不満、恐れが残り続け、自分の事しか考えない思考になっているのが恐ろしく、勇気ある集団と臆病な集団の違いを痛感しています…

真のリーダーシップとは「独断」では無く多数の意見に耳を傾け苦悩しながら「英断」する事であり、その中に「批判的思考」のプロセスは必要と思いますね。

最後までお読み頂きありがとうございました!🙇

Twitterやnoteで読書本を紹介していましたが、noteのマガジンにしましたので!宜しければ本選びの参考にして頂けると幸いです!⬇


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