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図鑑

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カリガ版の架空の図鑑です。わけあって一冊しか存在しません。
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記事一覧

動物の図鑑-カリガ版-

〈64ページ「雨蛙」〉

 彼女が「こんにちは」と挨拶したから僕も「こんにちは」と挨拶した。

 彼女はもう夕暮れなのに日傘を差して遊歩道から見える田んぼを眺めていた。田んぼに水が入ると風が冷たくなる。冷たい風に乗って今年も雨蛙が賑やかに歌い始める。彼女はずっとその歌に耳を傾けていた。僕が彼女に話しかけようとしても言葉は雨蛙の歌にかき消され彼女の耳には届かなかった。仕方がないので僕も彼女の隣で田ん

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植物の図鑑-カリガ版-



〈139ページ 「バラ」〉

前略

 お元気ですか?私は帰郷して3ヶ月経ちますがまだ生活に慣れずにいます。あなたのいる街が恋しくて、たまに落ち込むときに思い出しては胸が張り裂けそうになります。

 さて、あなたに貰った「白雪姫」が咲いたので写真を贈ります。最初につけた蕾がすごく愛おしくて、咲いてからは自分だけのものにしたくなって切り花にしました。あなたが「君に似ている」と言ったのはどういう所

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植物の図鑑-カリガ版-

〈452ページ 「ヤグルマギク」〉

水島さん

 お手紙ありがとう。それとサクランボもありがとう。手紙にはサクランボよりも咲いたバラのことしか書いていなくていかにも君らしい手紙だなと読んでいて微笑ましくなりました。サクランボは食べきれなかったので、大家さんに分けました。大家さんからはお礼にと庭の花を貰いました(ちょうど庭の草むしりをしていたのです)。名前の知らない花だったので調べたらヤグルマギク

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植物の図鑑-カリガ版-

〈867ページ 「ラベンダー」〉

前略

 お元気ですか?山形はだいぶ暑くなってきました。金沢も同じですよね。それでも時折吹く草花を揺らす風が心地よくて立ち止まってはつい見入ってしまいます。特別、何かあるわけでは無いのだけれど、あなたに手紙を書いてみたくなって筆を取っています。手紙はいいですね。時間がゆっくりと過ぎていきます。

 そうそう、庭にラベンダーが咲いていました。私が以前、母の日に贈っ

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植物の図鑑-カリガ版-

〈235ページ 「クロタネソウ」〉

水島さん

 お手紙ありがとう。元気そうでなにより。この間、大家さんへ家賃を持って行ったら庭に細い茎にボールのようなモノがちょこんと乗っかっている奇怪な植物が生えていて大家さんに聞いてみたところ「クロタネソウ」という植物の実なのだそう。君はクロタネソウ、知ってましたか?

 そうそうこの間、生活費を工面しようと愛読書の『イタリア・ルネサンスの文化』を売るため犀

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植物の図鑑ーカリガ版ー

〈255ページ「秋桜」〉

前略

すっかり秋めいてきましたね。こちらはコスモスが満開です。あなたの街はどうですか?風に揺れるコスモスは美しいですが儚いです。

そうそう、夏のお礼を言わせてください。たった一日だけだったけどとても素敵な時間でした。犀川大橋からあなたが見せてくれた金魚は昔、浅野川で見た金魚と同じなんですね。その時そこにあなたもいたなんて!当時は気付かなくてごめんなさい。あの時に知り

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植物の図鑑ーカリガ版ー

〈255ページ「秋桜」〉

水島さん

久しぶりの手紙を読んで水島さんが元気そうでよかった。こちらは相変わらずです。いや、変わらなくてはいけないのだろうけれど。

コスモスは金沢でも咲き始めましたよ。大学へ向かう辰巳用水の遊歩道を歩いていたら風に気持ちよさそうに揺れていました。そうだ!コスモスは中国では「可思莫思花」と書いたりするみたいですよ。「思うべし思うなかれ」うーん、どういう意味なのか…。大

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植物の図鑑-カリガ版-

〈12ページ 「紫陽花」〉

大家さんに今月分の家賃を納めに行くと庭に紫陽花が咲いていた。紫陽花は青と紫があり何気なしに眺めていると大家さんが「欲しいの?」と尋ねた。私自身は部屋に飾るような人間ではないが、水島さんなら喜ぶかもしれないと思った。そうだ、これを口実に水島さんと会話できるかもしれない。私の脳内の妄想は次第にエスカレートしていき、この紫陽花があれば水島さんと会話ができると錯覚してきた。

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動物の図鑑-カリガ版-

〈576ページ「フクロウ」〉

僕の先生はフクロウ。比喩ではなく本物のフクロウ。

日中は学校へ行かず部屋で息をひそめて生きているけど夜になると外に出る。僕の住んでいる所は田舎だから夜になると明かりも無く真っ暗で闇夜に浮かぶ星空と月明かりが光源だ。月明かりに照らされた畦道を歩くとどこからともなくホーホーと鳴く声が聞こえる。畦道の向こう側はフクロウの住む森なのだ。僕はその声に導かれるように森へ向かう

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動物の図鑑-カリガ版-

〈520ページ 「猫」〉

 この頃巷で猫背の人間が猫になるという奇病が流行っているらしい。猫鑑定士なる人まで出現し、ヒヨコのオスメスを見分ける要領で猫と人間を見分けてくれると聞いた。私は特にこの病が流行しているというある町を取材で訪れた。「のんびり暮らせる猫の人生(この場合はニャン生か)も悪くない気もするけどな」と猫になった自分を夢想しながら私は町医者に話を聞いた。

「君、これから先ずっとキャ

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植物の図鑑-カリガ版-

〈320ページ「ヒマワリ」〉

春先に知人から短い手紙と一緒に送られてきたヒマワリの種5つを庭に撒いた。しばらくすると5つの芽が出てきたのだが、その中の1つが物凄く太く立派な芽で感心した。しかし、芽が出て一週間くらいしてその芽以外が枯れてしまった。原因はわからない。立派な芽はというと以前より生命力が増したようでツヤツヤしている。

 それから一か月後、芽は私の身長位になった。茎も随分と太くなり片手

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植物の図鑑‐カリガ版‐

〈325ページ「ヒヤシンス」〉

4月某日。

いつものように何をするでもなく部屋でウダウダと空虚な時間を消費していたら水島さんからメールが届いた。彼女が金沢に戻って来るという。あまりの突然の話に携帯がつるりと手から滑り足の小指に衝突してもんどりうった。

急いで支度をしてバスに飛び乗り金沢駅へ向かう。観光シーズンにはまだ早いけれど駅は十分すぎるほど込み合っていた。私は大勢の人から彼女を探すが上手

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