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人生の価値について

小さいとき、アリを殺したことがある。
今も知らず知らずのうちに殺しているかもしれない。

セミの死骸が道脇に転がっていても僕は何も思わない。

あなただって僕と同じだと思っている。

12月、
駅前でホームレスの人を目にした。
僕は悲しい気持ちになった。

アリもセミも生き物で、人間も生き物である。
同じ生き物である。

死んだアリには同情しないが、生きているこの人には同情した。

なぜなら、

この人にも
「生まれてきてくれてありがとう」
と言ってくれた人がいる。

そう思ったからである。

あなたにも同じような人がいると思っている。
僕にもいる。

だから僕たちの人生はそれだけで価値がある。

そんな人生のなか、真冬に道端でかがんでいる。

それを他人事だとそのときの僕は思えなかったのである。

人生は選択の連続である。

ときには、
「ああしておけばよかった」
と後悔することもある。

それも一度や二度ではなく、人生を通して沢山ある。
これから先も僕たちは沢山後悔していく。

そしてときには何もかも嫌になる時がある。
明日かもしれない。
今がその時の人もいるだろう。

しかし、そんな困難続きの人生でも
「生まれてきてくれてありがとう」
からスタートしたことを忘れないようにしたい。

どんなに心が曇っているときでも、失敗続きだったとしても、それだけで自分の人生には価値があることを思い出せるからである。

だから僕たちのこれからの人生は決して0点になることはない。

生まれたときに、僕たちは確実に点をもらっている。

後悔や失敗もマイナスにはならない。

後悔や失敗も全部含めて「人生」である。

そんな人生すべてに対して
「生まれてきてくれてありがとう」
だからである。

そして僕たちの未来は、「この価値のある人生をどれだけ彩ることができるか」ということなのである。

人生は終わっていない。

「人生の選択を間違えた」と思っている人も沢山いるだろう。

しかし、その答えはまだ出ていない。

人生はまだ終わってないからである。

もし、あなたが思う「成功の選択」をしていたら、それに浮かれて不注意で交通事故にあっていたかもしれない。

だらだらして何もしなかったことを後悔したなら、「だらだらしていなかったら死んでいたに違いない。ラッキー」と思って次に行けばいい。

また、「後悔している選択」はこれからの僕たちの行動次第で当初思っている以上の成果を上げるかもしれない。そのときにはじめて、過去の選択に対して「成功だった」と自分勝手に判断したらいい。

「過去の選択」もこれからの自分次第である。

中には、優しいがゆえに

「期待してくれているのにこんな自分で情けない…」

と思い悩んでしまっている人もいるかもしれない。

その悩みは全然ちがう。

どんな自分だっていいのである。

周りから何を言われたって気にせず、ありのままの自分をさらけ出したっていい。

周りから冷たい目で見られているなら、それを誰にも打ち明けず隠したっていい。

自分がいま上手くいってないなと思うなら、嘘をついて見栄を張っても全然問題ない。

なぜなら、期待よりも先に、そもそもあなたが生きてくれていることに価値を感じてくれている人がいるからである。

僕たちが思っている以上に僕たちを愛してくれる人はいる。

だから全く心配しなくていい。

そう思えばアリだってセミだって、
なんなら食器や本だって、
愛してくれるものがいるならそれだけで価値があることに気づく。

小さいとき見たアリも愛されていたかもしれない。

道脇のセミも愛されていたかもしれない。

そうすると、アリやセミに対してなんとも感じなかったことが申し訳なく思えてくる…

…かといえばそんなことはなく、僕はできた人間ではないので依然何も思わない笑


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