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ダラダラした日こそ、進歩した日と思おう。

 よし、今日はがんばるぞ!と思って、結局、ダラダラしてしまった。そんな日もあるかもしれません。そして、ダラダラしてしまった・・・。と落ち込むこともあるかもしれません。そんなときは、発想を変えて、ダラダラした日こそ、進歩した日と思いましょう。

まずは、本当にダラダラしていたのか問いかけ直す

 発想を変える前に、本当にダラダラしていたのか問いかけてみましょう。冷静に振り返ると、ささいなことならば、何か1つは進めることができたのではないでしょうか。そんなときは、明らかに進歩しているいえます。今の自分にとっては、ほんのささいなことだから、それは、進歩に計上しなかったのかもしれません。たしかに、ほんのささいなことかもしれませんが、昔の自分からしたら、そのささいなことをやることすらも、大きな進歩だったりする場合もあるのではないでしょうか。

ダラダラから気づくこともある。

 いやいや、全ての時間、ダラダラしていた。ささいなことすらも、進んでいない。そんな場合もあるかもしれません。そもそも、本来、理想の姿としては、毎日毎日、目標に向かって生産性高く行動できたら良いものに映ります。しかし、実は、それだと、結局、自分の決めたことをひたすら守り続けるだけなので、発想の転換となるような、ひらめきは起こりづらいかもしれません。なぜなら、きちんと毎日、行動できてしまっているから、新しい考えを入れる必要がないからです。その点、ダラダラしているということは、本来決めたことと違うことをしているので、普通に決めたことをこなしていては気づかないような大きなひらめきに出会うチャンスでもあります。テレビやネットの記事や動画を見たり、ぼーっとするなど、ダラダラする中で、ん?あれ?と何か気づくものがあるかもしれません。

ダラダラしているのが正解の日だったかもしれない。

 単にダラダラしているだけ。気づきなんてないよ。とそんな場合もあるかもしれません。しかし、ダラダラはやはり必要不可欠なものです。毎日毎日、目標に向かってロボットのように正確に行動していても、その行動から学ぶことを、自分の頭の中できちんと整理をする時間が不足するという自体になるかもしれません。そんなときは、ダラダラして、思考を整える必要があります。また、一生懸命、毎日がんばっているけれど、実は、方向性が間違っていて、見当違いな無駄な努力ばかりしている場合もあるかもしれません。そうした場合は、ダラダラしている方が、良い時間だったということになりますし、方向性の修正にも、一役買ってくれるので、ダラダラしているのが正解だということになります。自分の頭だけで考えると、今日も頑張ったほうが得だと思っていても、実は広い視点、高い視点でみると、ダラダラしている方が、得だったという可能性が大いにあります。

何より、心が楽。

 ダラダラがとても、正解だとは思えない。そんな場合もあるかもしれません。しかし、ダラダラが進歩と思うことのメリットは、何より心が楽だということです。ダラダラした日こそ、進歩した日だ!と唱えていることは、心の安定につながります。取り返しのつかない自分の過去ダラダラと過ごした時間を、肯定してくれるワードだからです。過去は変えられないので、その過去に対して、ダラダラしてしまった・・・と落ち込む反応をするよりも、進歩したぞ!と言えている方が、心が楽です。しっかりがんばった日も、自分を褒め、ダラダラした日も、自分を肯定することで、毎日が、より良い日々に育っていくはずです。

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